5月後半の学びは、規定2。
小見出しは、以下の通り。
* オカルトの学習での障害
* 障害の克服
規定2深き瞑想において影が応答するとき、仕事が進行する。低位の光が上方へと投げ上げられ、偉大なる光が三つのものを照らし、四つのものの仕事が進行する。
前半の時間を使って、規定2に書かれている内容の構成を、チームに別れ検討した。以下が、私が参加したチームでまとめたもの。少し修正を加えてみた。
この図をもとに、規定2をひも解いていくとともに、この章に書かれていることをいくつか追ってみる。
ただし、
「今は「偉大なる光」について論じ、「低位の光を情報へと投げ上げる」ということについては後で取り上げるつもりである。」(p113)
とのこと。後者は、次章で説明があるらしい。
まず、「影」とは、パーソナリティとのこと。
前回のブログでも紹介した通り、パーソナリティとは、エーテル体、アストラル体、メンタル体から成るが、最終的にはそれらが統合されなくてはならない。
そして、
規定1にあるように、「深き瞑想」状態にある「魂」から、何かが(!)伝えられるのであるが、深い瞑想に入ることで、これに「影が応答する(できる)」のである。これが成された時、仕事、すなわち、大計画を遂行するための仕事が進む、ということだ。
ここには、前提があることを理解しなければならない。
「この規定2を考察する上で、魂とその影である物質界の人間との間に意識的な関係がすでに確立されていることを前提にしていることに注意しなければならない。双方が既に瞑想しているのである。」(p99)
これが、まさしく、瞑想をしていくことが、進化のために行うべき2つの重要な行為のひとつである、理由である。
「毎日行う瞑想の目的の一つが、「深き瞑想の中で」その反映との通信を求めている魂に、脳とマインドが同調して振動できるようにすることである。」(p99)
本物の瞑想を日々していくことは容易ではないが、ちょっと嬉しいのは、魂は、
「通信を求めている(!)」
ということ。
「「偉大なる光」とは魂の光であり、そして魂は三重のパーソナリティの顕現を照らす光そのものである。」(p.98)
つまり、魂は、黙って瞑想を続けながら伝達をし、パーソナリティ側が瞑想を続け、3つを統合したパーソナリティとして、それに応答できるようになるのを待っている、ということである。
(なんて素敵!)
「この応答の結果、「三つのものと一なるものとの統合を生み出すために低位人間が方向転換し、その結果として四つのものの仕事が進行する。」(p100)
私たちは、物質世界に生きている。関心ごとと言えば、どうしても目に見える物質だったり、自分の周りを取り巻くものだったりする。それは、下へと引っ張られるエネルギーである。しかし、瞑想をし、魂の伝達に応答できるようになり、つながることができたなら、そのエネルギーの方向は、下へ、でなく、上に向かうことができる、ということである。そこで、初めて高次のものとつながって、仕事に参加することができるのである。
この一連のステップであり、重要なキーワードが、図中の
1.伝達
2.応答
3.方向転換
4.合一 (p101)
である。
しかし、このステップを歩んでいく過程において、以下の障害があるとのこと。ここでは主に、西洋文化圏にいる者たちの障害を示している。
1.西洋の歴史の浅さ
→秘教の歩みは、高度に磁化された安定した環境で進行するということで、時代の古さと波動の高さが、これを容易にするのだそうだ。
2.具体的マインドの過剰発達
→高位レベルからのインスピレーションを妨げるのだそうだ。
3.物質的な側面の強調
→それにより、形ない抽象的な世界を科学は認めず、神は存在せず、人間の中に霊はないとし、未来が正しく理解されていない。
4.肉食と発酵した飲食物によって築かれてきた肉体
→発酵した、つまり、腐敗した食物を長期にわたり摂取してきたことにより、秘教がもたらす緊張に耐えられず、内在する生命が明るく輝き出るのを妨げる。
(p105 - p112)
では、これをどのように克服したらよいのだろうか。
(以下の)「三つの認識が人生観を極めて強く支配しているならば、不屈の努力によって、前に述べた四つの障害を克服することが期待できるであろう。」(p113)
a 義務を遵守し、知っている限り最高の真理に固執することによって、さらに啓示を受けるための道が開ける。
b 冷静さを培う。
c 相反する対を成すもの(陰と陽)を融合する。
「規定は、パーソナリティーが統合され、マインドが次第に統御されつつある人々のためのもの」(p113)である。
マインドの統御とは、2つの様相があるマインドの統合を意味している。
2つの様相のうち、魂は、高位マインド(抽象マインド)なるものを使っており、統合されていないパーソナリティー側は、低位マインド(推理する具体的マインド)を使っているためである。これを統合しなくてはならないのだが、この2つの様相は、陰陽、つまり、相反する対を成すあらゆるものに反映されている、と捉えられる。
パーソナリティー側は、「マインドを魂に対して、積極的に、消極的かつ受動的にすること」(p113)が、必要であるのだそうだ。この積極的に、受動的になる、ということは、「陰に対して陽になる」という意味であり、これに、正しい行動の鍵が隠されている(!)らしい。
魂は、瞑想を通じて、「低位マインドが印象付けを受けられるようにすること」(p113)が仕事なのだそうだ。私たちが魂とつながるために、魂も仕事しているということだ。両者、瞑想を通じて、同調することが、マインドを統御し、魂とつながる道なのである。
これにより、私たちは、大計画の仕事に協力できるようになる、、のだそうだ。
最後に、魂の方向転換についても書かれている。
これまで魂は、「主として自分自身の世界での霊との関係にあった。」(p116)
しかし、今、「方向転換しつつある。その結果、そのパワーを人間の世界へと・・差し向けることが可能になる。・・・その統合は物質界で行わなければならない。それを行うために魂は、自らの道具を敏感に反応できる状態にした他のすべての魂たちと一緒に、「深き瞑想」に入っている。これは基本的なグループ瞑想である。」(p117)
このように魂は魂で、パーソナリティはパーソナリティで、それぞれの仕事をし、大計画が進められるのであろう。
と、ここまで書いてみると、規定2で既に、私たちが当面やるべきことの基本、その構造が、表されていることに気づく。この後に続く規定では、その構造に沿ったプロセス、そこで何が起きるのか、というような機能的な解説、そして、私たちが具体的に行っていくべきことを示している、、のように思える。
そういう理解でいいのかなぁ~?
次章に説明されるという「低位の光が除法へと投げ上げられ、」の部分。
さて、どういう意味が秘められているのか。
楽しみ~♪