昔から雨の日はあまり好きでない。
特にシトシトと降る雨。なんとなく気が沈む。
今朝から東京は雨である。
高校生のある日、化学室の窓からシトシトと降る雨を見ていた。
一緒に化学部だった友人が、
「私、雨の日けっこう好きなのよねー。」と言っていた。
雨の日が好き、なんて、少々格好つけているな、と思ったけど、同時に、この子は、この雨の日の情緒を感じる事ができるのだなー。とも思った。その頃のわたしは、そこに、「さび」感があるのだろう、とは思っていたけれど、それに感じ入ることをできる人間ではなかった。
スクーバダイビングのとあるツアーに参加した時のこと。小雨の日だった。
ダイビングから戻ってきて、ガイドをしてくれたインストラクターが淡々と言っていた。
「ダイビングは自然という場を借りて行うものです。だから、晴れの日でも楽しめ、また、雨の日でも、風の日でも楽しむ事ができるのが、真のダイバーの姿です。」と。
わたし達は、自然という場を借りて生きているのだ。だから、晴れの日でも、雨の日でも楽しむことができるのが、真の生きる姿、ということか。
コンクリートに囲まれて、首都高が走る中に住んでいると、なかなかそうは考えがたい。
ただ、いつも雨の日に思うのだが、なんとなく街が洗われる感は、ある。そして、雨上がりの翌日は、確かにきれいな都市の姿を感じる。美しいとさえ感じる時がある。
コンクリートの中を傘をさして歩く。
頭の直ぐ上の傘の屋根と暖かいジャケットに挟まれた空間に程よく冷たい風がよぎる。
気持ちよかった。
雨の日の少し嬉しい瞬間だった。