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アンデスの旅 その11:太陽に一番近い湖

 クスコの空港から戻り、レインフォレストの想いを引きずりながら、一週間分の衣服をランドリーに出し、無言で次なる旅の準備をした。いよいよクスコともお別れ。ここに着てから2週間が過ぎていた。プラザ・デ・アルマスに面した2階にあるおしゃれなエスプレッソ・カフェで、日記を書きながら、ロマンチックなプラザの夜を眺めていた。

 翌朝、ティティカカ湖に向かった。クスコから、ティティカカ湖畔の町プーノまで、1日がかりだ。途中、あちらこちらの遺跡など寄るということなので、ツアーバスで行くことにしていた。あまり期待していなかったのだけど、はとバスさながら、きれいで大きなバスであった。このバス会社から2台も出る。実は、10社以上のバス会社が運行しているという人気の観光ルートだった。観光客にはスペイン語を話す人々が沢山いて、ちょっと予想外。コロンビアやベネズエラからの観光客だった。ガイドさんは、驚くほど完璧に、英語とスペイン語のバイリンガルで全てを説明していた。私は、スペイン語は分からないのだけど、一字一句英訳されていることが何故か分かった。

アンデスの旅 その11:太陽に一番近い湖_f0053026_213473.jpg バスは、アンデス山中をひたすら走っていった。その最高地点は4,338mだった。一週間ほど前に、人生最高地点に自力で達したと思っていたら、その記録はもろくもバスに抜かれてしまった。複雑な想い。そんなこともあったせいか、団体ツアーだったからか、快適なバスの旅ではあったが、気分はなんとなく沈みがちだった。疲れていたのか。

 プーノは、マチュピチュにも劣らない観光地。世界最高地にある湖ティティカカ湖への玄関口である。アンデス山脈の中央に位置しており、標高はクスコより高く、3,855m。町は、クスコよりずーっと小さく、町並みもクスコほど整っていなかった。お土産屋は沢山並んでいても、観光地というよりは、ローカルな雰囲気が漂っていた。クスコほどにツーリストもうろうろしていないようにも見えた。

 たまたま友人の友人が南米放浪中、しかも丁度クスコにいる!ということで、クスコで一度お茶することができた。一人旅には、嬉しい事である。そして、その彼が、ティティカカ湖の旅を終え、その夜プーノにいる、ということで、一緒にディナーした。ティティカカ湖の写真とともに話を聞いているうちに、翌日からのティティカカ湖ツアーに気分が高まってきた!

 翌朝、7:30頃だったか、予想外にも大きなバスがホテルに迎えにきた。バスは、小さな町の中で、あちらこちらとホテルを徘徊、世界各地からのツーリストをピックアップし、港で私達を降ろした。朝から港は騒々しい。そこには、私達のバスから降りた何十倍ものツーリストがいた。ここは、渋谷か、と思うくらい大勢いるツーリストに、いきなり気分が萎えた。インカトレイルもマチュピチュも、大勢のツーリストがいたにはいたが、これはちょっと違う。ペルーでの最後のツアーなのに、観光観光しているこの雰囲気に、機嫌がどんどん下降していった。しかも、港には、何十艘ものツアーボートがひしめき合っている。ティティカカ湖。それは、海のごとく大きい地上最高地点にある湖だ。港から果てしなく湖が広がる。それと比べれば、ひしめき合っているボートが何艘あろうとも、何でもないのであろうが。これだけの人数が、グループごとに正しくボートに乗らなくてはならない。私達は、何がどうなっているのか分からないまま、随分と待たされた。そして、私の機嫌はさらに悪化していった。

 これから2日間一緒に過ごすだろう仲間達が左右にいるのだが、あまり話す気にはなれない。キャピキャピした高校生女子3人組、アメリカ人か。シャッター押してと頼まれ、作り笑いで対応する。こちらは、ハイキング&ジャングルの装いなのに、彼女達は、真夏の渋谷かと思うような姿。でも確かに。冬の標高3,800mと言っても、クスコ同様、太陽の傾斜とともに、その日差しは真夏のそれに激変する。太陽に近いのだ!!今日も空は真っ青、濁りのないこの薄い空気だ。サンスクリーン必須!!!

 私達のグループは、最後の方で、やっとボートに乗り込む。既に何十艘のボートが、港から、思い思いに彼方に向かって出発していた。ティティカカ湖には、いくつもの島がある。島を1つ2つ訪ねる日帰りツアーから、3、4日のツアーまで、さらには、ティティカカ湖上の国境を越えてボリビアまで行くツアーなど、日に何十本ものツアーが出る。ボートはその数を反映している。私が参加したのは、あまり観光地化していないといわれているアマンタニ島で、ホームステイをする1泊ツアー。途中、浮き島として有名なウロス島と織物で有名なタキーレ島に寄る。

 ボートに乗ってびっくり! 屋内に既に50人近くは座っている。そんなに大きなボートに見えなかった。そして、後ろの屋根なしの部分には、私たち10数名。思わず、人数とボートの数を掛け算。やっぱり、観光は重要な産業だ、と久々に皮肉めく。あまり「観光地化していない」アマンタニ島?笑える。

アンデスの旅 その11:太陽に一番近い湖_f0053026_21521871.jpg それでも、湖上をそれなりのスピードで走るのは快適だった。波のない海を走っているようだった。既に太陽は、高く昇り、その日差しは、澄んだ空気を突き抜けて、湖面を容赦なくて照りつけていた。屋根なし組にはさぞかし辛い1日になるだろうけど、幸い、ボートは東に向かっており、まだ日陰に隠れることができた。まだちょっと涼しい。機嫌は多少戻ってきても、まだ、人々と会話する気分にはなれない。ボートの縁をテーブルにして、たまった日数分の日記を書いていた。

 日本人でしょ?名前に漢字頂戴!

 隣に座っていたベルギーからの青年2人組の一人。よくあることなのだけれども、漢字にない音なんだよねー、彼の名前。それでも、親切そうに電子辞書の漢字辞典で音を探しながら、趣味とか聞いてみた。だって、まともな意味の漢字つけてあげたいし。どうやらこの男子、スピ系。彼の名前も見つけた漢字も忘れたけれど、当用漢字ではない、悟りに近いような意味の漢字を選んだ。彼はその文字を刺青しそうな勢いだった。好きにしてね。

アンデスの旅 その11:太陽に一番近い湖_f0053026_21201069.jpg 浮島で有名なウロス島に着いた。ウロス島は、チチカカ湖に生えるトトラという葦の仲間の根を束ねて縛った土台の上に、トトラの葉を積み上げてできている。私達が降りたのは、ツーリスト用に作られたいくつかの小さな島の1つ。島といっても、半径60mくらいのもので、トトラで作った家まで作ってある。ここでウロスの人々は当然のことながら沢山の民芸品を売っている。私達は、そこで、ウロス島の作り方の実演を見たり、トトラを味わったりした。

 以前、ウロス島が燃えてしまったことがあり、フジモリ前大統領が、ウロスにソーラーパネルを設置してくれた!と、敬愛の念をこめてパネルを指差すガイドさん。そう言えば、マヌのジャングルでも、先住民とスペイン人の混血、メスティソであり、ジャングル育ちのガイドさんが、前大統領がジャングルにまで学校を立ててくれたお陰で、僕達は教育を受けることができた!と、話してくれた。「悪い事したから、監獄にいるのでしょ?」との質問に、誰が政治をやっても汚職はするからね、と。どうやらアンデスやノン・ヨーロッパ系のペルアーノには、いまだにフジモリ人気が続いているようだった。ペルーに来て、フジモリ・ラブを聞くのは3度目だった。

 太陽は既に真上にいた。ボートは再びアマンタニ島に向かって走り出した。この頃から、屋根なし組みの会話が始まった。スロベニアからのソロ・トラベラー、スコットランドからの女子2人組、オーストラリアからのカップル、見た目高校生のようなイギリス人大学生男子4人組。先のアメリカ人高校生女子トリオ。イギリスやスカンディナビアからのボランティアなどなど。ものすごくインターナショナルなグループだった。やっと機嫌が回復。驚く事に、皆英語は普通に話し、さらに、スペイン語まで話すのだ。さすがヨーロピアン?そもそもの土台が違うのか。私には、英語ですら、ボートの音に邪魔されて、それぞれのアクセント聞き取り困難で、ぴょんぴょん飛び交う会話についていくのは結構大変。1対1でない会話にはいつになっても慣れない。それでも頑張って、皆と話したんだけどな。こんなところで、体験や出会い、情報量が大きく変わってくるのかもしれない。日本人頑張れ!

アンデスの旅 その11:太陽に一番近い湖_f0053026_2121639.jpg 13:00過ぎだっただろうか、やっと目的地のアマンタニ島に到着。港には、赤いスカートにカラフルな刺繍を施した白いブラウスを着たホームステイ先のお母さん達がずらりと待っていた。カップルやグループ毎に次々に家を割り当てられて、お母さん達、と言っても多くは20代くらいのようだったが、とそれぞれの家に向かった。私は、他のソロ・トラベラー3人とともに、ウィルマの家に割り当てられた。スロベニアの弁護士サビーナ、英語ボランティア、イギリス人のレベッカ、ノルウェーから南米放浪中のアンドレ、そして、私の4人だ。どんな家なのだろうか、と前々から想像していたものだが、近代的でこそないが、2階建てで、部屋は心地よい。トイレは水洗だ。

 ここアマンタニは、車が走っておらず、電気は限られている。人々は、植物を育て、編み物をして生計を立てている。細かい色鮮やかな刺繍の入ったスカートやブラウスは全て手作りだそうだ。お店は近所に1件しかなかった。少なくても到着していたツアーボートを3艘見たが、確かにアマンタニは、観光地化されていなかった。

 早速にランチタイム。ウィルマの家のダイニング・キッチンは土間だが、手織りのきれいなクロスがかかったテーブルに通され、快適だった。まずはミントティ。昼間はそこそこ暑くても、標高が高いことを忘れてはいけない。消化不良にならないように、常にミントを飲むらしい。これ、どうみてもタイムだろう・・って呟いていたんだけど。ランチは、ペルーの決まりごと、スープに始まり、そして、茹でた数種類の小さいポテトと揚げた小魚。とってもおいしかった!お腹もいっぱいになった!

アンデスの旅 その11:太陽に一番近い湖_f0053026_21452922.jpg 午後は、ボートのグループ全員が集まり、ガイドさんに従い、サンセットを見るために、丘に向かう。アマンタニ島は、港からの見た目よりずーっと高く、広かった。道中全て登り。少し歩いたところで、ガイドさんは、コカの葉を回した。標高3,800mであることを忘れてはならない。昨夜のディナーの時、アマンタニ島で張り切って歩いてた人が高山病になったから、ゆっくり行くように、と忠告を貰っていた。ハウスメイト達と話しながら、だらだらと登っていく。かなりの距離。6人の地元の少年達が、景気づけか楽器を演奏しながら、私たちについてくる。しばらく登ると視界が開けた平坦な広い空間に出た。湖の遠く向こうに見えるは、雪をかぶったボリビアの山々。左右上方、遠くに見える2つ丘が、聖地パチャタタとパチャママだった。

 パチャママとは、インカの言葉ケチュア語およびティティカカ湖あたりの言葉、アイマラ語で、「母なる大地」を意味する。インカの神話における豊穣の女神であり、大地や川などあらゆる所に宿るという。パチャタタは宇宙の神、人類の創造神とも言われる。ここは、マチュピチュにも繋がる太陽のラインといわれる線上にあるとのこと。


アンデスの旅 その11:太陽に一番近い湖_f0053026_21233177.jpg やっとのことでパチャママの丘についた。あたりは既に薄暗く、そして、随分と涼しくなってきた。別の村に滞在している別のボートのグループメンバーも多くはこのパチャママに集結。もうすぐサンセットだ。海のような広い湖の向こうの島に太陽は沈んでいく。真夏のごとく照りつけた灼熱の太陽らしく、最後までそのオレンジ色と力強い輝きを失わなかった。美しく壮大なる景色だった。広大なる静かな空間に沈む夕日は、ただただ美しかった。

 なんでこんなに美しいのだろう・・・・

 不思議なほどに、驚くほどに美しかった。美しいという言葉しか思い当たらなかった。地球上には、まだ美しいところがあるのだ。この美しさは、決して私の写真には収まらない。ここに来てよかった。本当に良かった。

 百人を超える世界各地からのツーリストが、アマンタニのパチャママから思い思いに沈む太陽を見つめていた。


アンデスの旅 その11:太陽に一番近い湖_f0053026_21242879.jpg トワイライトの中、アマンタニを下る。家に戻ると、キヌアスープと豆とケソ(チーズ)のシチューのディナーが待っていた。アマンタニの夜は、電気もなければ、ディスコもない。ツーリストの余興は、各家からアマンタニの衣装を借りて、ダンスパーティ。懐中電灯で照らしながら、集会場に移動。地元の音楽に合わせてダンスを踊る!ビールは売ってたりする。

 ホームステイ先のベッドはかなり心地良いものだった。夜、トイレに起きた。夜空の下、人工的な音は何も聞こえず、冷たい空気と広大な空間の波長だけを感じた。彼方に広がる黒い天空を隙間無く埋めるほど輝いていた無数の星を見上げた。大宇宙の1点に自分が存在しているのだと知る。そして、宇宙に祈った。


 翌朝、ウィルマと家族に別れを告げ、アマンタニを出発。3つ目の島、タキーレ島へ向かった。屋根なし組みは、既にかなり打ち解け、それぞれのホームステイ先の話で盛り上がった。タキーレ島は、より洗練された、というか、より観光地化されたテキスタイルの島。女性は、手織り物を作り、男性は、編み物をする。少年の頃より編み物を習うのだ。ここの織物は、確かに独特なデザインがある。クスコでは見なかったデザインだ!そして、この島での主要な食べ物を見せてもらった。

アンデスの旅 その11:太陽に一番近い湖_f0053026_21251258.jpg ランチは、レストランで。アマンタニとは違って、タキーレには沢山レストランがある。ここで更なるボートメンバーと話が盛り上がる。2年間の軍隊任務を終えた若きイスラエル女子2人組み、南米放浪中。モントリオールからの女性教師2人組み、夏休み2週間の旅。ドイツからの男子トリオ、韓国からの父子等などなど、それぞれの旅のルートや体験談、情報交換で盛り上がる。タキーレでは、美しい景色とテキスタイルを見て、ランチしただけだった。最後は、500数段という階段を下っていった。既に島を立った他のグループのボートが、三角の波を引きずり、遠ざかって行った。まだまだ日差しの強い中、私達もタキーレ島を後にした。ボートは、プーノを目指してひたすら湖上を走った。

 陽が傾いた大海原ティティカカで、風を受けながら、次第に遠くなる島々を見ていた。翌日、ペルーを立つ。私は、ぼんやりと3週間の旅を振り返っていた。

to be continued…
by phytobalance | 2010-06-12 21:25 | 旅・Journey