トランスヒマラヤ密教入門第2巻は、「生命としての地球」という副題だけに、そのフォーカスが個人ではなく、もっと大きな枠組みについて述べている。初めて聞くような内容もあれば、なるほど~と感心する部分もあり、また、そうかもしれないけど、そこまで言ったら怪しいとか、単に宗教じゃない、、と一蹴する人々がいそうだな~という概念も含まれている。なので、比較的宇宙スケールというか神秘的ではないもの、、、私たちの実践にも重ね合わせられるようなところを1つセレクトしてみることにする。
その前に、いくつか用語の説明。
マスター(大師)とは、高次のイニシエーションを得た存在のことを指す。では、イニシエーションとは何、ということだが、要は魂の進化段階という風に理解しておけばとりあえずよいと思う。但し、今生に生を受けて人間として生きている者のほとんどが、低次のイニシエーションであっても、そう簡単に達するレベルではない、、。弟子とは、低次のイニシエーションを受けた人。熱誠家は、弟子見習い、とでもいう位置づけとのこと。まだイニシエーションは受けていない。秘教を始めとして、精神性を高める学びを継続している人や修行をしている人は、熱誠家のカテゴリーに入るらしい。
「陳腐にも、「弟子の準備が整ったときに大師は現れるであろう」と、熱誠家は聞かされてきた。そして、彼は気楽に座って、大師を待ち、もしくは自分は準備ができており十分に善良であるという思いを明確にマインドに添えて、ある大師の注目を引き付けようという試みに集中する。彼は自分自身に時々霊的な激励を与え、訓練と浄化の作業に発作的に精を出す。しかし、着実に長期に渡って横道に逸れずに熱誠家が努力することはまさに稀である。・・」
(TH第2巻第1章9.大師. P77:『ホワイト・マジック』より)
弟子とか熱誠家など、よくわからない位置づけを用いなくても、この文は、精神性、スピリチュアリティを高めたいと思っている人たちには、響いてくるものなのではないかと思う。大師の接触を望んているかはともかくとして、「発作的に精をだす、、、」には、思わず苦笑してしまう、、。
「・・次のことを覚えておかなければならない。大師が熱誠家を彼の弟子のグループに加入させたとき、その熱誠家は長い間お荷物であり、しばしば邪魔者である。学ぶ人々はしばしば自らを過大評価しており、そうは思わないときでさえ実際には過大評価している。彼らは主観的に自分のことを気に入っており、なぜ大師方が印を与えないのか、なぜ見守っていることを示さないのかとしばしば困惑する。」
(TH第2巻第1章9.大師. P78:『ホワイト・マジック』より)
「過大評価・・・」 していると思わなくても、しているそうだ。そうらしい。ん~。
「長い間お荷物・・・」なんだとぉー。修行の道は長い。大師、許せ。
「熱誠家が、より低位の教師たち、書籍、印刷された世界の聖典などから得た知識を完全に活用するようになるまで、大師はそのようにはしないであろうし、そうする必要もない。」
(TH第2巻第1章9.大師. P78:『ホワイト・マジック』より)
まずは、目の前にあるものをしっかり学び、活用、実践せよ、、という。目の前にあるアリス・ベイリーから得られる知識を完全に活用する!なんて、、、、。今生でどこまでできるものなのか。
「当面の義務に精を出し、世界への奉仕のために自分の道具を整備しなければならない。」
(TH第2巻第1章9.大師. P78:『ホワイト・マジック』より)
秘教では、進化のためには、奉仕が不可欠。しかもこの奉仕、ただ、ボランティアやればよい、、というわけではない。これについては、次回に詳しくやるようなのだけど。「奉仕」は、キーワード♪
そして、自分の「道具」を整備・・・。自分を磨け、ということだな。
「そして、大師を求めることで時間を無駄にすべきではない。いま挫かれたところで、勝利を得るべきであり、そしてそのとき、奉仕と苦闘の生活において完全な忘我の域に達し、大師の接近を阻むものは無くなるであろう。」
(TH第2巻第1章9.大師. P78:『ホワイト・マジック』より)
つまり、やるべきことを淡々とやる、ということ。
大師との接触まで望まないにしろ、成長するには、このような姿勢が大切なのだろう、、と思う。
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