フィトバランス phytobalance

phytob.exblog.jp
ブログトップ

エソ基礎2月前半:想念形態

f0053026_14521615.jpg
『トランスヒマラヤ密教入門』の学びもあと2ヶ月。
第4巻真理の実践、第2章瞑想の科学に入った。

秘教では、瞑想と奉仕が成長(進化、、、)のための重要な行為。
その瞑想の科学の章の前半の項目、
1瞑想、2内的訓練、3象徴、4訓練:肉体の、5呼吸法、6食事、7創造者、建設者としての人間、8心象化、9想念形態、10想念形態の形成:その規定、11思考の力
を学んだ。

秘教ではいつもなんだけど、この項目(例えば、瞑想の科学)に、なんでこれらの小項目が入ってくるのか、、と、違和感を覚えるのだ。今回もそうだったのだが、読み進めるうちに、そもそも「瞑想」そのものの位置づけや目的をあまり理解していなかったな、、ということに気づいた。まぁ、何をちゃんと理解したかは定かではないが、なんか、新しい視点で瞑想というものが見えてきたような(まだ咀嚼できてない)。

瞑想の科学の章だけど、あえて「瞑想」のところからの引用は避けて、エネルギーについて考えさせられる2つの項目から。


創造者、建設者としての人間  Man as Creator and Builder

「人々が無力である理由の多くは、彼らの注目が集中されず散漫であり、一つのことに没頭しないためである。彼らはエネルギーをまき散らし、彷徨うあらゆる欲求を満足させ、起こるすべてのことに手を出そうとする。そのため、彼らが考えるどの様な考えも適切な形にならず、エネルギーが適切に与えられないのである。」
(TH第4巻第2章7.創造者、建設者としての人間 P135:『魂の光』より)

これは、本日神尾先生が『王道ブログ』でも引用されていた文だけど、まさに自分のことだな、、と、チェックしていた箇所。私事で恐縮だが、企業で働いていた時も、そうでない時も、時に自分の意図とは無関係(!)に、複数のことに携わる傾向にある人生を歩んでいる。大変だけど、それは非常に楽しくもある。また、様々な分野に携わることによって培われる視野や視点があって、それは新たな知識や知恵、理解をもたらすので有り難いことだな、くらいに思っていた。しかし、確かに集中できないことしばしば。間違いなく。だから大変なのである。しかも、「エネルギーをまき散らし」とか「無力である理由」などと言われると、、ん、、考えさせられる。自分では魂(?)が共鳴したことだけやっているつもりなのだけど、結局、欲求を満足させているだけ???熟考せねば。


想念形態  Thought-Forms

「人間はいつでも想念形態を組み立てている。・・・人間は語り、そして非常に変化にとんだマントラムを生み出す。このようにして生じたエネルギーが、彼の思考のための形態を建設し続ける非常に多くの小さな生命体を活動させる。・・・このとき、人間は無意識のうちにこれらマントラム的な振動を引き起こしているが、音の諸法則とそれらの効果には無知である。つまり、自分が進めている秘教的な作用を彼は知らないのである。・・・」
(TH第4巻第2章9.想念形態 P138:『魂の光』より)

これは、思考はエネルギー、エネルギーは思考に従う、、ということの理由のひとつだろう。効果の強弱はともかく、思考が無意識的にも振動を起こし、他に影響を与えるということだろう。気を付けなくてはならない!それは、次の引用文からも考えさせられる。


「いま世界に存在する悲惨に思える多くのものの直接の原因は、人間によるメンタル物質の誤った操作にある。
 人類の特徴になってきた利己主義、強欲な動機、邪悪な衝動への即座の反応、これらが太陽系において他に匹敵するものがない状態を生じさせている。巨大な想念形態が人類全体を覆っている。それは、至るところの人々によって幾多の時代を通して築かれ、常軌を逸した欲求と、人間の性質の最悪のすべてにある邪悪な傾向によって活気づけられ、人間の低位の欲求による鼓舞によって生命を維持されている。この想念形態は、人間自身が分解し消散しなければならない。」
(TH第4巻第2章9.想念形態 P138:『魂の光』より)

社会のあらゆる状態は、私たちが作りあげてきたもの、、、もちろん、そうなのだけど、恐ろしい部分は、私たち自身が気づかない形で、私たちの弱い部分だったり、ダークな部分がエネルギーとして共鳴し、よろしくない想念形態を強化し、巨大化してしまうこと。そして、その想念形態が取り巻く環境で、私たち自身が苦しい生き方を強いられる。そして、その苦しさ、辛さに伴う振動をし、周囲とまた共鳴していき、想念形態は強化される。まさに、魔のサイクル、、。それは、振動するエネルギーの共鳴によって起こり、継承される。

そう考えると、悲惨な状態をいくらかでも緩和していくためには、私たち自身をより清く、正しくしていくしかないように思う。躊躇するような表現をしてしまったが、でも、そうしていかないと、既に社会に蔓延している邪悪な想念形態に、どんどん共鳴してしまうのである。清く、正しく、、ということだが、偽善でもいけない。偽善は人を騙せても、エネルギーを騙せないから。そして、共鳴してしまうのは自分である。

人はいろいろで、それぞれの生き方をすればよいのだけど、そして、誰でもダークな部分も邪悪な部分も多少なりともあって、簡単には清く正しくばかりで生きられない。でも、もし、悲惨な状態を少しでもなんとかしたいのであれば、邪悪な想念形態に共鳴しない自分自身を作り上げていかねばならないのではないだろうか。

この文から、そんなことを考えた。






[PR]
by phytobalance | 2017-02-12 12:38 | アリス・ベイリー・AB