規定10
創造された形態が水に浸されるとき、水は吸収され、そして用いられる。形態は強さを増す。仕事が十分なものになるまで、魔術師はその仕事を続けなければならない。そして、外なる建設者に仕事を辞めさせ、内なる働き手に自らの周期を開始させなければならない。
今の時代と未来
は、まだ続く。
長いので、クラスでは、2回にまたがって学んだ。
下巻42ページから。
ノートに
「この回すごい!」
と書いてあった。
何がすごかったのか。
と、斜め読みするが、あまりに深く、大事で、素晴らしいことが連打されてる。
まとめられない・・・
全コピペか。
いや、落ち着け。
すべてを伝えられなくても、どうにかいい感じにピックアップできるはず。
落ち着け。
前回は、恐怖とアストラル体の統御のところまでだった。
「恐怖は働き手にとって二つの範疇に分けることができる。」(下p41)
で、その二つとは、
・将来起こることに対する恐怖
・努力の結果についての疑い
なのだそうだ。
大半の熱誠家は、
「努力の道を進んでいくことに尻込みする。彼らは困難によっても、高い霊的な源から発せられていると思われる高い波動によっても同様に苦しめられる。」
(下p42)
なんだそうで、この後、かなりのページを割いて、熱誠家や弟子たちが歩みを進めていく際に起こることが描かれている。
「霊的な波動が極めて強力なとき、二つのことが起きる。
まず、すべての良い熱誠が刺激され、それと同時に高い波動も刺激される。・・・
第二に、私たちが「悪」と呼んでいるものもすべて同様に刺激される。」(下p42)
犯罪の波のようなものが押し寄せるかもしれないし、波動の高まりによって、肉体を疲れさせるかもしれないし、
「しばしば深刻なうつ状態を引き起こし、未来に直面した時にハートの完全な気落ちを生じさせる。」(下p42)
なんてことも起きるかもしれないらしい。
そこで、大師は言う。
「それでも、未来を直視しなさい。・・・・
「喜びは朝にやってくる」ということを覚えておきなさい。」(下p42)と。
(は、はい〜ぃ・・・)
秘教の道を歩もうとする人々にとっては、
「先のことを考えることが実際必要である。最後にもたらされる報酬は大きいが、道は険しい。・・・これからの年月、多くの仕事と多くの圧力と多くの苦痛が待ち構えている・・・」(下p43−44)
かなり険しい道が待っているという。自分の力ではどうしようもない世界カルマによって起きる困難さもある。そこに立ち向かっていかなければならない。
そこで、大師は言う。
「弱々しく敏感な体で苦闘し、働き、戦い、失敗し、やり続け、奉仕するあなたがたすべてを、私たちは優しく見守っている。苦痛と緊張の中で捧げられた一時の奉仕、神経を酷使し、疲れた頭と病んだハートで行った一日の仕事が、気づかれずに過ぎていくことはない。
私たちは知り、気にかけている。
しかし、必要とされていても、世界の戦場で苦闘しているあなたがたができることを私たちがすることは許されていない。」(下p44)
こ、これって、アメムチ!?
(・・・この段落前半にピンクのハートを描いたのだけどね。)
上ものたちが、何でもかんでもやってくれるわけではないのだ。
純粋な意図を持って祈っても、事は起こされない。
苦痛と困難さの中、行動し続けることで、事は起きるのだ。
辛くてもなんでも、私たちがなんとかできる事に対して、彼らは手出しすることはできないのだ。
だから、私たちは、自ら行動しないといけない。
「熱誠家の主要な課題は情緒性質を支配する事である。
そうする事で、・・戦場に勝利者として立つ。雲が消え去り、光の中を歩く事ができるようになる。」
(下p50)
らしい。
「光の中を歩く自由そのものが問題になることを覚えておかなければならない。」(下p50)
その理由とは・・・
「人は文字通り魂の光の中を歩き、太陽の明るい光が彼に注ぎ込み、道を明らかにするとき、それは同時に大計画も明らかにする。
しかしながら、同時に彼は、大計画が完成には程遠いという事実にも気づくようになる。暗黒がさらに明らかになり、混沌と悲惨さ、世界のグループの欠点が明らかになり、攻撃を仕掛けてくる勢力の浮上さと塵に気づき、世界の悲しみ全体が、仰天しながらもイルミネーションに照らされている熱誠家に迫ってくる。
彼はこの圧迫に耐えることができるであろうか。
実際に悲嘆を知っても、神の意識の中で絶えず歓喜を味わっていることができるであろうか。
光が明らかにするものに直面しても、善の最終的な勝利を確信して、平然と自分の道を進む力があるであろうか。
表面的な悪に圧倒されて、あらゆる外観の背後で鼓動する愛あるハートを忘れてしまうであろうか。
このような事態になることを弟子は常に覚えておかなければならない。
そうでなければ、自分が発見したものに潰されてしまうであろう。」
(下p50−51)
時々出てくるこの言い回し。
畳み掛けるような問いかけ。
確認しているのだなぁ。覚悟を・・・
いや、心配してくれている・・・のかも。
本当に険しい道である。
歩む前からくじけそうだ。
この道を行けるものだけが、真に魂とつながることができるのだ。
「しかし、光の到来によって新しい形のエネルギーに気づくようになる。
そして、新しい機会が提供される場で働くことを学ぶ。
彼の前にマインドの領域が開かれ、自分が情緒性質とメンタル性質を識別できるということに気づく。・・・
マインドを支配者の地位に就かせることができ、情緒のフォースはメンタル・エネルギーに従順に反応するということも発見する。
「理性の光」がこれを引き起こすのである
- この光は、常に人間の内に存在しているが、それを現象的もしくは直感的に見て知った時に、初めて意義と効果を持つようになる。」(下p51)
険しい道を乗り越えねば、アストラルを統御できないんだな。
ちゃんとメンタルを使うことができないんだぁ〜。
・・・・
・・・・
・・・つづく