その人は、リッチ、と言った。
リチャード。
レッドソックスのホームグラウンド、フェンウエイパークのすぐそばにあるコミュニティガーデンで、バラを育てていた。
同じくガーデンで、庭を造って楽しんでいた友人の知り合いだった。
リッチは、ディスプレイ・アーティスト。
ジョージ・オキーフの絵さながらのバッファローの頭蓋骨やアメリカンウエストを感じさせる木のフェンス、そして、古代ローマのコラム(柱)や、オペラの舞台を思い起こさせる、赤と黒の大幕、等など、かつて自分がデザインしてた様々なディスプレイが、彼の家を飾っていた。
ディズニーランドにいるかのように、不思議な空間に住んでいた。
当時、ボーイフレンドもいなかった彼は、いつも一人でバラの手入れをしていた。
口数少なく、ひたすらに、しかし、ゆったりとガーデニングを楽しんでいた。
とっても辛い時期にあった私は、一日中コンピュータに向かわねばならない仕事を切り上げ、夕方いつもガーデンに向かってジョギングをしていた。走りながら、涙をこぼしていた。
本当は、ジョギングなんてする気分ではない。
でも、そうでもしていないと自分が崩れて無くなってしまいそうだった。
日の長い、ボストンの夏の夕暮れ。
100以上もある様々なガーデンが、それでもいくらか気持ちを落ち着かせた。
そして、いくつものガーデンを抜け、その奥にリッチのガーデンがあった。
リッチがいれば、声をかける。会話は交わすが、決して盛り上がることはない。
無言で作業をするリッチを私は見ていた。
彼は、自分ひとりで充足しているように見えた。
自分がある人なんだと思った。
それが素敵に思えた。うらやましかった。
今にも壊れそうな自分を日々支えていた私は、そんな彼を眺めながら、一人でいても大丈夫な人間になりたい、そう思った。
いよいよあたりが薄暗くなると、フェンウエイパークのナイターの照明が不自然に空を明るくする。
あれから10年。
自分の進むべき道を見つけ、まだまだ手探りながら、日々、忙しくしている。
もはや余計なことを考えている余裕はないが、楽しく仕事をしている。
一日中仕事をして、気がつくと、寝る時間。朝起きれば、また仕事である。そんな毎日。
一人で仕事をしていると少々孤独ではあるが、決して寂しくはない。
私は、充足しているのだろうか。
一人でいる時間が長いからかもしれないが、そういえば、以前とくらべ、うち側が座っている感じがする。なんとなく、言葉も少なめになっているような。(リッチのように?)
リッチは、元気にしているだろうか。
日本中の国民の心を揺さぶった、早実の斉藤祐樹投手。
心に熱い自分を秘めながら、言葉少なく、ただひたすら自分を追及する。
そんな彼が、リッチを思い出させた。