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カテゴリ:旅・Journey( 12 )

アンデスの旅 その12:レインフォレストの向こうへ

f0053026_21595681.jpg プーノから40分ほどのところにあるフリワカの空港から、アレキパ経由でリマへ向かう。空港までの途中に、プレインカの遺跡、シユスタニに寄る。ここは、プレインカ時代からインカにかけての墳墓群とのこと。インカ時代の石組みとは明らかに異なる墳墓が数多く残っており、また、その上にインカの石組みが乗っていたりする。ツーリストは、私のほかに2、3組のみ。静寂しきったこの敷地を取り囲むように、水をたたえる湖が、あたりを一層落ち着かせていた。

 その美しく、穏やかな、けれど、相変わらず赤土に覆われた景色を眺めながら、この国が持つもう一つの姿、レインフォレスに想いが飛んでいた。

 レインフォレストでの心地よさは忘れられない。森林療法に携わり、森の魅力もそのパワーも何度も体験してきた。レインフォレストは、その魅力、その力が何百倍になった空間のようだった。私は、いわゆる気とかプラナとか呼ばれるエネルギーへの興味から、フラワーエッセンスを学んだ。そして、その流れから、でも、ちょっとしたきっかけからハーブを勉強することになり、植物の魅力に引き込まれていった。さらに、森にも出会い、そこが一番自分にとって、心地よい空間であることを知り、植物への興味がますます深くなっていた。レインフォレストは、私を惹きつける全てが、素の状態で存在しているようだった。

 レインフォレストに戻りたい。そう思う以前に、心は、レインフォレストに奪われていた。

 フリワカの空港。町からは少し離れており、砂漠の中にいるようだった。到着した時は、数件しかない店も空いておらず、エアラインカウンターにも誰もいなかった。外に出て、茶色い風に吹かれながら、心を、そして、エネルギーをレインフォレストに送った。感謝の気持ちをこめて。


 飛行機は、フリワカを立ち、アレキパに向かった。アレキパは、リマに次ぐペルー第2の都市。ティティカカ湖よりは、ずっと海岸線よりにあるが、標高2355m、アンデス山脈の西側に位置している。その近郊には、コンドルで有名なコルカ・キャニオンがある。プーノからアレキパの間にあるアンデスの山々が、アマゾン源流の一つであるという。

f0053026_22231684.jpg 離陸直後、飛行機は大きく旋回し、広大なティティカカ湖と雪をかぶる山々は右に左に斜めにその姿が移動した。しばらくすると、赤土色をした平らにも見える恐ろしいような大地が現れた。緑が全く無く、長い長い一本の道が伸びていた。平地に見えたけど、標高はまだ高いのであろうか。

 ふと、この3週間、あちらこちらですれちがった数多くの現地の人々の生活を思った。鮮やかな民族衣装をまとい、村とクスコの町を行ったり来たりしているようであった。何かを売りにいったのであろうか。何かを買いに行ったのであろうか。いわゆる町の生活をしているペルアーノ、欧米化した人々とは、全然違う。昔ながらの生活とお金が必要な町の生活とのハザマに生きている。

 見た目はこざっぱりとしていない。もしかすると日々食べていくのも大変なのかもしれない。でも、貧しい、とは思えなかった。通り過ぎる村の家々も、いわゆる近代的ではなく、もしかすると水道や電気も無いかもしれない。でも、貧しい、という形容詞は私には当てはめることができなかった。かといって、もちろん、裕福、というわけではない。何だろう。あの人達のことを何て形容したらよいのだろうか。

 そして、自分の生活、東京の人々の生活を思った。男性も女性も皆きれいに美しくおしゃれな装いをしている。毎日、満員電車に乗り、同じような日々を過ごすが、少ない時間をやりくりして、ヨガに行ったり、習い事したり、飲みにいったり、映画を見たり。休みには、海外へ旅行も行く。女性は美しくなることに余念がない。化粧品市場は縮小することを知らない。様々なアパレルブランドが氾濫している。でも、その私達の生活で起きている様々な健康的、心理的、精神的な弊害は、深刻さを増すばかりである。では、私達の生活、その人達をどう形容すればいいのだろうか?裕福?ちょっと違う。幸せ?私の頭には、レインフォレストの光景がフラッシュバックしていた。

 窓の外には再び雪をかぶった山々が現れた。アマゾン源流はこれらの山だろうか・・・


 ホルヘ・チャベス国際空港。国際線チェックインカウンター。長い長いカウンターの後ろにずらりと並ぶ各キャリアのグラウンド・アテンダントを見て愕然とした。全員「ホワイト」だった。3週間前、この空港からクスコに向かった後、出会うペルアーノは、ほとんどが、「メスティソ(先住民とスペイン人の混血)」だった。お店の人も、ガイドさん達も、タクシーやバスの運転手も、観光局のお姉さん達も、村の人々も。

 ディスクリミネーション(差別)があるから・・・・

 旅の途中、一度だけ耳にした。その時は、あまり気にとめなかったが、この光景を見て、そうかもしれない、と思った。そういえば、フリワカの空港のグラウンド・アテンダントもホワイトだった。

 10:00pm過ぎ。こんな時間でもリマの空港は賑わいが衰えない。全世界からのツーリストで溢れている。大きなフードコートで席を見つけるのが大変だ!ディナーを済ませて、最後のソルをスターバックスで使う。日本でも米国でも同じスタバのラテを3週間ぶりにすする。その空間にいることに何の違和感も無かった。いつもの生活に戻ったかのようだった。既に、3週間の旅は、過去のものになってしまったかのようだった。

f0053026_223650.jpg 3週間分の日記を読み返す。また、レインフォレストに想いを馳せる。一瞬の不安がよぎる。

 私に一体何ができるのであろうか。レインフォレストに対して・・・

 そして、また、すぐに、あの言いようの無いレインフォレストの心地よさを感じる。ジャングルに足を踏み入れて以来、それが、この7年間、どんどんと私を惹きつけていった植物の世界の正体であることに、少しずつ気づき始めていた。レインフォレストは、植物のみならず、生命の世界をくっきりと浮き彫りにしていた。

 その生命の世界は、ここ数十年、レインフォレストを破壊することしかしてこなかった私達、人間ですら、その一部であることを感じさせる。


 やはり私は、植物と森に携わって行くのだと、感じていた。キャリアまで変えてしまった、この7年間に渡る迷いながらの歩みには、ちゃんとその先があったのだ。代替療法、ホリスティックヘルスの世界に身を置き、セラピストとして、次から次へとその学びは、一見収集がつかないように広がっていた。しかし、その全てを集約し、心を揺さぶり、心を開き、そして、さらなる世界へと導いてくれる空間があった。それが、私にとっては、レインフォレストであった。

 マチュピチュは、おとりだった・・・・・。思わず苦笑した。


 またすぐに戻ってくる・・・

 その決意とともに、珍しく小雨の降るリマを発った。


the end.
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by phytobalance | 2010-06-15 22:09 | 旅・Journey

アンデスの旅 その11:太陽に一番近い湖

 クスコの空港から戻り、レインフォレストの想いを引きずりながら、一週間分の衣服をランドリーに出し、無言で次なる旅の準備をした。いよいよクスコともお別れ。ここに着てから2週間が過ぎていた。プラザ・デ・アルマスに面した2階にあるおしゃれなエスプレッソ・カフェで、日記を書きながら、ロマンチックなプラザの夜を眺めていた。

 翌朝、ティティカカ湖に向かった。クスコから、ティティカカ湖畔の町プーノまで、1日がかりだ。途中、あちらこちらの遺跡など寄るということなので、ツアーバスで行くことにしていた。あまり期待していなかったのだけど、はとバスさながら、きれいで大きなバスであった。このバス会社から2台も出る。実は、10社以上のバス会社が運行しているという人気の観光ルートだった。観光客にはスペイン語を話す人々が沢山いて、ちょっと予想外。コロンビアやベネズエラからの観光客だった。ガイドさんは、驚くほど完璧に、英語とスペイン語のバイリンガルで全てを説明していた。私は、スペイン語は分からないのだけど、一字一句英訳されていることが何故か分かった。

f0053026_213473.jpg バスは、アンデス山中をひたすら走っていった。その最高地点は4,338mだった。一週間ほど前に、人生最高地点に自力で達したと思っていたら、その記録はもろくもバスに抜かれてしまった。複雑な想い。そんなこともあったせいか、団体ツアーだったからか、快適なバスの旅ではあったが、気分はなんとなく沈みがちだった。疲れていたのか。

 プーノは、マチュピチュにも劣らない観光地。世界最高地にある湖ティティカカ湖への玄関口である。アンデス山脈の中央に位置しており、標高はクスコより高く、3,855m。町は、クスコよりずーっと小さく、町並みもクスコほど整っていなかった。お土産屋は沢山並んでいても、観光地というよりは、ローカルな雰囲気が漂っていた。クスコほどにツーリストもうろうろしていないようにも見えた。

 たまたま友人の友人が南米放浪中、しかも丁度クスコにいる!ということで、クスコで一度お茶することができた。一人旅には、嬉しい事である。そして、その彼が、ティティカカ湖の旅を終え、その夜プーノにいる、ということで、一緒にディナーした。ティティカカ湖の写真とともに話を聞いているうちに、翌日からのティティカカ湖ツアーに気分が高まってきた!

 翌朝、7:30頃だったか、予想外にも大きなバスがホテルに迎えにきた。バスは、小さな町の中で、あちらこちらとホテルを徘徊、世界各地からのツーリストをピックアップし、港で私達を降ろした。朝から港は騒々しい。そこには、私達のバスから降りた何十倍ものツーリストがいた。ここは、渋谷か、と思うくらい大勢いるツーリストに、いきなり気分が萎えた。インカトレイルもマチュピチュも、大勢のツーリストがいたにはいたが、これはちょっと違う。ペルーでの最後のツアーなのに、観光観光しているこの雰囲気に、機嫌がどんどん下降していった。しかも、港には、何十艘ものツアーボートがひしめき合っている。ティティカカ湖。それは、海のごとく大きい地上最高地点にある湖だ。港から果てしなく湖が広がる。それと比べれば、ひしめき合っているボートが何艘あろうとも、何でもないのであろうが。これだけの人数が、グループごとに正しくボートに乗らなくてはならない。私達は、何がどうなっているのか分からないまま、随分と待たされた。そして、私の機嫌はさらに悪化していった。

 これから2日間一緒に過ごすだろう仲間達が左右にいるのだが、あまり話す気にはなれない。キャピキャピした高校生女子3人組、アメリカ人か。シャッター押してと頼まれ、作り笑いで対応する。こちらは、ハイキング&ジャングルの装いなのに、彼女達は、真夏の渋谷かと思うような姿。でも確かに。冬の標高3,800mと言っても、クスコ同様、太陽の傾斜とともに、その日差しは真夏のそれに激変する。太陽に近いのだ!!今日も空は真っ青、濁りのないこの薄い空気だ。サンスクリーン必須!!!

 私達のグループは、最後の方で、やっとボートに乗り込む。既に何十艘のボートが、港から、思い思いに彼方に向かって出発していた。ティティカカ湖には、いくつもの島がある。島を1つ2つ訪ねる日帰りツアーから、3、4日のツアーまで、さらには、ティティカカ湖上の国境を越えてボリビアまで行くツアーなど、日に何十本ものツアーが出る。ボートはその数を反映している。私が参加したのは、あまり観光地化していないといわれているアマンタニ島で、ホームステイをする1泊ツアー。途中、浮き島として有名なウロス島と織物で有名なタキーレ島に寄る。

 ボートに乗ってびっくり! 屋内に既に50人近くは座っている。そんなに大きなボートに見えなかった。そして、後ろの屋根なしの部分には、私たち10数名。思わず、人数とボートの数を掛け算。やっぱり、観光は重要な産業だ、と久々に皮肉めく。あまり「観光地化していない」アマンタニ島?笑える。

f0053026_21521871.jpg それでも、湖上をそれなりのスピードで走るのは快適だった。波のない海を走っているようだった。既に太陽は、高く昇り、その日差しは、澄んだ空気を突き抜けて、湖面を容赦なくて照りつけていた。屋根なし組にはさぞかし辛い1日になるだろうけど、幸い、ボートは東に向かっており、まだ日陰に隠れることができた。まだちょっと涼しい。機嫌は多少戻ってきても、まだ、人々と会話する気分にはなれない。ボートの縁をテーブルにして、たまった日数分の日記を書いていた。

 日本人でしょ?名前に漢字頂戴!

 隣に座っていたベルギーからの青年2人組の一人。よくあることなのだけれども、漢字にない音なんだよねー、彼の名前。それでも、親切そうに電子辞書の漢字辞典で音を探しながら、趣味とか聞いてみた。だって、まともな意味の漢字つけてあげたいし。どうやらこの男子、スピ系。彼の名前も見つけた漢字も忘れたけれど、当用漢字ではない、悟りに近いような意味の漢字を選んだ。彼はその文字を刺青しそうな勢いだった。好きにしてね。

f0053026_21201069.jpg 浮島で有名なウロス島に着いた。ウロス島は、チチカカ湖に生えるトトラという葦の仲間の根を束ねて縛った土台の上に、トトラの葉を積み上げてできている。私達が降りたのは、ツーリスト用に作られたいくつかの小さな島の1つ。島といっても、半径60mくらいのもので、トトラで作った家まで作ってある。ここでウロスの人々は当然のことながら沢山の民芸品を売っている。私達は、そこで、ウロス島の作り方の実演を見たり、トトラを味わったりした。

 以前、ウロス島が燃えてしまったことがあり、フジモリ前大統領が、ウロスにソーラーパネルを設置してくれた!と、敬愛の念をこめてパネルを指差すガイドさん。そう言えば、マヌのジャングルでも、先住民とスペイン人の混血、メスティソであり、ジャングル育ちのガイドさんが、前大統領がジャングルにまで学校を立ててくれたお陰で、僕達は教育を受けることができた!と、話してくれた。「悪い事したから、監獄にいるのでしょ?」との質問に、誰が政治をやっても汚職はするからね、と。どうやらアンデスやノン・ヨーロッパ系のペルアーノには、いまだにフジモリ人気が続いているようだった。ペルーに来て、フジモリ・ラブを聞くのは3度目だった。

 太陽は既に真上にいた。ボートは再びアマンタニ島に向かって走り出した。この頃から、屋根なし組みの会話が始まった。スロベニアからのソロ・トラベラー、スコットランドからの女子2人組、オーストラリアからのカップル、見た目高校生のようなイギリス人大学生男子4人組。先のアメリカ人高校生女子トリオ。イギリスやスカンディナビアからのボランティアなどなど。ものすごくインターナショナルなグループだった。やっと機嫌が回復。驚く事に、皆英語は普通に話し、さらに、スペイン語まで話すのだ。さすがヨーロピアン?そもそもの土台が違うのか。私には、英語ですら、ボートの音に邪魔されて、それぞれのアクセント聞き取り困難で、ぴょんぴょん飛び交う会話についていくのは結構大変。1対1でない会話にはいつになっても慣れない。それでも頑張って、皆と話したんだけどな。こんなところで、体験や出会い、情報量が大きく変わってくるのかもしれない。日本人頑張れ!

f0053026_2121639.jpg 13:00過ぎだっただろうか、やっと目的地のアマンタニ島に到着。港には、赤いスカートにカラフルな刺繍を施した白いブラウスを着たホームステイ先のお母さん達がずらりと待っていた。カップルやグループ毎に次々に家を割り当てられて、お母さん達、と言っても多くは20代くらいのようだったが、とそれぞれの家に向かった。私は、他のソロ・トラベラー3人とともに、ウィルマの家に割り当てられた。スロベニアの弁護士サビーナ、英語ボランティア、イギリス人のレベッカ、ノルウェーから南米放浪中のアンドレ、そして、私の4人だ。どんな家なのだろうか、と前々から想像していたものだが、近代的でこそないが、2階建てで、部屋は心地よい。トイレは水洗だ。

 ここアマンタニは、車が走っておらず、電気は限られている。人々は、植物を育て、編み物をして生計を立てている。細かい色鮮やかな刺繍の入ったスカートやブラウスは全て手作りだそうだ。お店は近所に1件しかなかった。少なくても到着していたツアーボートを3艘見たが、確かにアマンタニは、観光地化されていなかった。

 早速にランチタイム。ウィルマの家のダイニング・キッチンは土間だが、手織りのきれいなクロスがかかったテーブルに通され、快適だった。まずはミントティ。昼間はそこそこ暑くても、標高が高いことを忘れてはいけない。消化不良にならないように、常にミントを飲むらしい。これ、どうみてもタイムだろう・・って呟いていたんだけど。ランチは、ペルーの決まりごと、スープに始まり、そして、茹でた数種類の小さいポテトと揚げた小魚。とってもおいしかった!お腹もいっぱいになった!

f0053026_21452922.jpg 午後は、ボートのグループ全員が集まり、ガイドさんに従い、サンセットを見るために、丘に向かう。アマンタニ島は、港からの見た目よりずーっと高く、広かった。道中全て登り。少し歩いたところで、ガイドさんは、コカの葉を回した。標高3,800mであることを忘れてはならない。昨夜のディナーの時、アマンタニ島で張り切って歩いてた人が高山病になったから、ゆっくり行くように、と忠告を貰っていた。ハウスメイト達と話しながら、だらだらと登っていく。かなりの距離。6人の地元の少年達が、景気づけか楽器を演奏しながら、私たちについてくる。しばらく登ると視界が開けた平坦な広い空間に出た。湖の遠く向こうに見えるは、雪をかぶったボリビアの山々。左右上方、遠くに見える2つ丘が、聖地パチャタタとパチャママだった。

 パチャママとは、インカの言葉ケチュア語およびティティカカ湖あたりの言葉、アイマラ語で、「母なる大地」を意味する。インカの神話における豊穣の女神であり、大地や川などあらゆる所に宿るという。パチャタタは宇宙の神、人類の創造神とも言われる。ここは、マチュピチュにも繋がる太陽のラインといわれる線上にあるとのこと。


f0053026_21233177.jpg やっとのことでパチャママの丘についた。あたりは既に薄暗く、そして、随分と涼しくなってきた。別の村に滞在している別のボートのグループメンバーも多くはこのパチャママに集結。もうすぐサンセットだ。海のような広い湖の向こうの島に太陽は沈んでいく。真夏のごとく照りつけた灼熱の太陽らしく、最後までそのオレンジ色と力強い輝きを失わなかった。美しく壮大なる景色だった。広大なる静かな空間に沈む夕日は、ただただ美しかった。

 なんでこんなに美しいのだろう・・・・

 不思議なほどに、驚くほどに美しかった。美しいという言葉しか思い当たらなかった。地球上には、まだ美しいところがあるのだ。この美しさは、決して私の写真には収まらない。ここに来てよかった。本当に良かった。

 百人を超える世界各地からのツーリストが、アマンタニのパチャママから思い思いに沈む太陽を見つめていた。


f0053026_21242879.jpg トワイライトの中、アマンタニを下る。家に戻ると、キヌアスープと豆とケソ(チーズ)のシチューのディナーが待っていた。アマンタニの夜は、電気もなければ、ディスコもない。ツーリストの余興は、各家からアマンタニの衣装を借りて、ダンスパーティ。懐中電灯で照らしながら、集会場に移動。地元の音楽に合わせてダンスを踊る!ビールは売ってたりする。

 ホームステイ先のベッドはかなり心地良いものだった。夜、トイレに起きた。夜空の下、人工的な音は何も聞こえず、冷たい空気と広大な空間の波長だけを感じた。彼方に広がる黒い天空を隙間無く埋めるほど輝いていた無数の星を見上げた。大宇宙の1点に自分が存在しているのだと知る。そして、宇宙に祈った。


 翌朝、ウィルマと家族に別れを告げ、アマンタニを出発。3つ目の島、タキーレ島へ向かった。屋根なし組みは、既にかなり打ち解け、それぞれのホームステイ先の話で盛り上がった。タキーレ島は、より洗練された、というか、より観光地化されたテキスタイルの島。女性は、手織り物を作り、男性は、編み物をする。少年の頃より編み物を習うのだ。ここの織物は、確かに独特なデザインがある。クスコでは見なかったデザインだ!そして、この島での主要な食べ物を見せてもらった。

f0053026_21251258.jpg ランチは、レストランで。アマンタニとは違って、タキーレには沢山レストランがある。ここで更なるボートメンバーと話が盛り上がる。2年間の軍隊任務を終えた若きイスラエル女子2人組み、南米放浪中。モントリオールからの女性教師2人組み、夏休み2週間の旅。ドイツからの男子トリオ、韓国からの父子等などなど、それぞれの旅のルートや体験談、情報交換で盛り上がる。タキーレでは、美しい景色とテキスタイルを見て、ランチしただけだった。最後は、500数段という階段を下っていった。既に島を立った他のグループのボートが、三角の波を引きずり、遠ざかって行った。まだまだ日差しの強い中、私達もタキーレ島を後にした。ボートは、プーノを目指してひたすら湖上を走った。

 陽が傾いた大海原ティティカカで、風を受けながら、次第に遠くなる島々を見ていた。翌日、ペルーを立つ。私は、ぼんやりと3週間の旅を振り返っていた。

to be continued…
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by phytobalance | 2010-06-12 21:25 | 旅・Journey

アンデスの旅 その10:レインフォレスト

 ランチをいただくロッジまで、バンを降りて川沿いを私達は歩いた。あたりは水々しく清々しい。このあたりは、まだまだ湿気は少ないようだった。とにかくそこを歩くだけで気持ちよかった。相変わらず花が多い。いつしかあれもこれも花を撮っていた。レインフォレストでは、一年中花が咲いているとのこと。鳥達も現れる。鳥が苦手なはずなのに、何故かあまり気にならなかった。ランチの後、バンは、川沿いを離れて、平地を走る。どんどん暑くなってくる。村も過ぎていく。景色は、すごく遠くにジャングルらしい木々の固まりに囲まれている。この平坦で美しい環境の中で、でも、そこに住む人々は貧しいのであろうか・・

 バンの中は真夏の暑さだった。シャツ一枚になって、差し込む太陽をさえぎりながら、だるい身体をもてあまし、眠っているのか起きているのか。随分長い間走る。途中の村ピルコパタで、トイレ休憩。他のスタッフが乗り込み、さらなる荷物を積みこんだ。さらに40分ほど走っただろうか。やっとアタラヤという河沿いの村に着いた。クスコを立って、10時間。ここは、世界自然遺産でもあるマヌ熱帯雨林保護地区の玄関口とでもいうのだろうか。多くの人々は、このあたりからボートで奥地へ向かう。まだ16:00過ぎというのに、村の若者数人はBGMとともにビアでくつろいでいた。ここからボートで河を下り、本日のロッジへ向かう。バンの荷物を全てボートに移す。一瞬にわか雨。そして、すぐに傾いた太陽が現れる。トロピカルなお天気だ!

 12人くらいは乗れそうな長細いボートだった。私達のボートにはボートマン2人、ガイド、そして、我らがクック(料理人)が乗船した。かつてディズニーランドでは、ジャングルクルーズを楽しんだものだったが、今、まさに本物のジャングルクルーズが始まろうとしている。しかし、ジャングルクルーズのように狭い川ではなく、アマゾン河の上流のひとつらしく、十分大きな河だった。アルト・マードレ・デ・ディオス河。いよいよ出発だ。あたりはなんとなく色が落ち、夕方の風景に向かっていた。

 乗船して、数分、さっそくガイドさんは、鳥をスポット!私達が見逃してしまうと、彼は、右手を旋回させ、後ろのボートマンに戻るよう合図。ボートは、あっという間に向きを変え、鳥の方向に。バードウォッチング初体験の私は、その慣わしも分からず、そして、まだ慣れない一眼レフカメラを、指し示される方向に向けた。

 ペルーは世界で一、二を争う鳥の種類が多い国だ。鳥の苦手な私は、ジャングルツアーの申し込みをしたものの、鳥など気にかけていなかった。ハーブは少し勉強していこうと思いつつ、出発前の多忙に負けて何もできず。結局、全く何も知らずにジャングルに入ったのだった。

 この後、ツアーの1週間、私はとにかく、カメラを構え、シャッターを押し続けた。鳥など見るのも好まない私だったけど、スポットされると撮らずにはいられなかった。鳥ばかりでなく、お猿さんも、かわった動物達も、亀たちも、虫たちも、そして、咲き乱れる花々も木々も。時間を惜しむように、様々な生き物を見せてくれるガイドさんの指し示す方向に向け、シャッターを下ろしたのだった。

f0053026_22573736.jpg 最初のロッジを後にして、2日目は、一日中ひたすら河を下る。昨夜のディナーの時間は、会話が聞こえないほどの豪雨だったためか、河の水嵩は増し、茶色い水の流れは怖いくらいに速かった。まだ雲が残っており、背景はうすグレーだったけど、河岸から向こうに果てしなく続いているだろうレインフォレストをパチパチ撮った。木々の形が珍しい。トイレ休憩で中州に下りる以外はボートの上。ガイドさんは、休む間も惜しんで、右に左にと鳥たちを見つけ、私達に教えてくれた。鳥の名前を言われてもさっぱりなのだけど・・。でも、サギは見ればわかる。ヘロンと言う。ウッドストークはコウノトリ。これは、赤ちゃんを運ぶ鳥、ということで理解した。

 私が鳥の名前を学んでいる??

f0053026_18531291.jpg そして、時にお猿さん達も見つける。これこそ、いいショットを撮らなきゃ!その後、何種類の猿を見たことだろうか!そして、ケイマン。ワニの仲間。このあたりには、ホワイトケイマンとブラックケイマンがいる。まず見つけたのは、白い方だった。こんな感じで、シャッターを押し続ける船上の一日が過ぎる。ランチもボートの上。我らがクックは、ボートの上をものともせずに、おいしいランチを作ってくれた。インカトレイルのツアー同様、スナックもフルーツも豊富にある。

 ボカ・マヌというマヌの中の唯一の村で、一旦降りる。ここは、マヌ河が、マードレ・デ・ディオス河に合流するところ。ボカとは、スペイン語で口という意味。マヌの口ということだ。村は、人気が無く、ビアガーデンに丁度いいような、ちょっと大きめなガゼボ(というほどおしゃれではないけど)のようなものがいくつかあり、宿泊施設、そして、雑貨店が1件あった。ここで、ちょっと買出し。多分、村はもう少し広がりがあるのだろうが、私達は、中心地と思われる広場のすぐそばにある作りかけのボート見た。本当に作りかけのボートか、ツーリストに見せるために置いてあるのか・・。この辺の人たちは、ボートを作って生計を立てているらしいが、彼らは木を切ることはしないという。上流から流れてきた木を引き上げ、乾かしてからボートを作るのだそうだ。シダーと呼んでいる木がボートの横面で、底板はまた別の木で作るとのこと。

 このシダーは、クスコに着いて以来、たびたび出てきた木の名前だ。クスコも昔は、シダーで覆われていたとのこと。このシダーで教会の祭壇を作ったりした、と。マヌで、やっとシダーの木と対面した。見て驚いた。シダーとは、少なくても日本や英語圏では、杉の仲間を指すが、このシダーはまったく杉の面影がなかった。おかしい。後で調べたら、ここで言うシダーとは、センダン科の Cedrela odorata のことだった。スパニッシュ・シダーとも言われる。アマゾン・ベースンでもどんどん見られなくなってきているとのこと。なので、マヌでは、この木を切ることを禁じている、ということだった。

 2日目からのロッジが、この後の棲家となる。前日のロッジより、さらに快適だ。シャワー・トイレ付の部屋。ベッドにはもちろん蚊帳がついている。ダイニングルームには、ミネラルウォータータンクが置いてある。電気は必要に応じて数時間だけジェネレーターを回す。

 何だ、電気あるんだ。カメラのバッテリーチャージャーは、ホテルに置いてきたのに・・・

 ジャングルでの日々は、意外と忙しい。朝早く起きて、ジャングルに住む鳥や動物達、そして、彼らの暮らしぶりを見に行くのである。絶滅危惧種の動物もいれば、珍しい食習慣を持つ鳥たちもいる。出発は4:30am。ボートに乗って、暗闇の中出発する。朝はそこそこ涼しくて、縮こまりながら眠ろうとする。河の両サイドに広がるレインフォレストは、ゆっくりと色づき、また新しい日を迎える。

 マカウ、つまり、コンゴインコが集まるというマカウ・クレイ・リックといわれる場所へ向かっていた。クレイは粘土、リックはなめる、という意味。マカウは、粘土層に含まれるミネラルをなめるために土壁に集まるのだ。多様な生物達が生活するジャングルにおいて、マカウの食糧は、一種の有害物を含む果物の種であり、それを解毒するために、ミネラルをなめなくてはならないらしい。しかし、ジャングルには天敵も多い。マカウ達が土壁をなめる時は、集団で行う。そして、敵に狙われないように、大勢で協力的に順番に土をなめるのだ。

 ボートで40分は移動したであろうか。マカウが集まるという河に面した壁の対岸に、バードウォッチングのためのプラットフォームがあった。ボートを降り、静かにプラットフォームに上がる。壁に面して並ぶ椅子と手動の水洗トイレしかない。手動のトイレとは、つまり、用を足したら汲み置きしてある水を自分で流すというもの。トイレがあるだけでもありがたい。紙は、横のゴミバケツに捨てる。紙を流さないのは、クスコの街中でも同じこと。ホテルでもレストランでも、トイレは水洗だが、ほとんどのところは、紙は流さず別に捨てる。すでに他のグループも来ていたこのプラットフォームで静かにマカウが集まるのを待つ。まずは、ブレックファストだ。我らがクックが朝作っておいてくれたパンケーキを静かに食べる。

f0053026_22482149.jpg マカウが、2羽、4羽と集まってくる。警戒しながら、時間をかけて徐々に仲間が集まってくる。マカウは必ずつがいで行動する。マカウはギャーギャーといった、ちょっと過激な鳴き声を出す。2時間たったであろうか。過激な鳴き声は重なって、うるさいくらいになると、仲間が十分集まったということ。いよいよ枝に留まって敵の見張り役となめる役とに分かれながら、順番に役割を交代する。十分なめたら、次は枝に移り、見張り役が壁に移動し、なめるのだ。それはそれは、システマティックな共同作業だ。コンドルの仲間のボルチャーがスキを狙っているのか、遠くの枝にずーっと留まっている。時に、敵の動きを察知したのか、見張り役から合図があったのか、土壁にいたマカウ達が一斉に飛び立つ。何事もなかったと確認するとまた土壁に戻り、ミネラルをいただく。こんなにも大勢の鳥達を双眼鏡で眺めたり、一生懸命写真におさめている自分がおかしかった。私は鳥の写真を見るのも嫌なのに!!


 少し離れた見張り小屋で、動物が現れるのを一晩中待ったりもした。南アメリカにしかいないバクの仲間、夜行性のタピをスポットするのだ。静かでシャイでもあるタピには、なかなか出会うことができない。実は、私達ゲストは、蚊帳付のマットでちゃんと寝ることができる。夜しか現れないタピを見張っているのは、ガイドさん達。タピは警戒心も強く、タピの見張り小屋、プラットフォームでは、物音を立ててはいけない。ライトもトイレに行く時だけ、その光を隠しながら使う程度。私は、3晩もタピ・プラットフォームで過ごしたのに、結局見ることができなかった。ある晩は、すぐそばまで来ていたみたいだけど、警戒して行ってしまったと、ガイドさん。別な晩には、交代で見張りをしていた他のグループのガイドさんが、タピが現れるスポットに、何かが居るみたいで、タピが警戒して寄ってこない!と。何かを感じたとのこと。このガイドさん、スピリチュアル系?タピには会えなかったけど、私達人間の思い通りにならないのが、自然界だ。私は、ロッジともまた違う、レインフォレストの音だけがするこのタピ・プラットフォームにいるだけで幸せだった。日暮れや明け方には、森の音とせせらぎに包まれて瞑想をした。

f0053026_18464879.jpg また別の日は、河の流れが変わることによって、取り残された元河である湖、オックスボウと呼ばれる河のようにくねった長細い流れのない湖に、動物や鳥を見に行く。出発は朝5:30。ボートで30分くらい移動したであろうか。そして陸地を少しだけ歩くと、オックスボウ・レイクの1つに出る。ここで、カタマラン・ボートに乗る。カタマラン・ボートとは、日本語では双胴船。船を2つ横に並べて、繋ぎ合わせたボートのこと。我らがクックはちゃんとブレックファストを託し、ボートには私達ゲストとガイドさんとボートマンだけが乗り、彼らがボートを漕いでくれる。流れのない湖面である。鳥の声しか聞こえない。曇りの日ではあったが、朝のすがすがしさ、そして、静けさ。時折、ゆっくり漕ぐオールがはねる水の音がするだけ。ボートは音を立てずに動く。思わず瞑想したくなる。目的は、ジャイアント・オッターという南米にしかいないオオカワウソの仲間。オッターは、本来単独行動をするとのことだが、このあたりは敵も多く、集団で行動しているとのこと。集団といってもファミリー単位。このレイクでは、7頭のファミリーが住んでいるとのこと。彼らは朝、ブレックファストを狙って、湖を徘徊する。私達は、それを観察するのだ。彼らに会えないこともしばしばあるらしいが、私達は、運よくファミリーと遭遇して、彼らの朝食風景を見ることができた。ナイスショットは難しかったけど。

 グループの一人が、ウォーキングトレイルのないところを歩きたい!とリクエストした。そこで、ボートは予定を変更して、人が入ってなさそうなあたりの崖に停泊した。河に面しているところはどこも少々赤い土をむき出しにしている。河の流れに削られるのだ。3mもない崖だったけど、滑りながらちょっと苦労しながらよじ登る。崖の上にはプライマリー・フォレストが続く。プライマリー・フォレストとは、全くの人の手の入っていない原生林のことである。ロッジのあたりも、ロッジやバナナ畑のように一部手は入っているが、森自体はプライマリー・フォレストである。しかし、ここはほとんど人がくることのない森である。もっと鬱蒼としたジャングルを想像していたが、木は高く、沢山のリアナ(つる植物)が、あちらこちらに巻きついているが、小さな樹木はほとんどなく、吹き抜けのようなスペースを感じる心地よい空間だった。実に気持ちがいい!レインフォレストは、水水しく、すがすがしく、エネルギーで満たされているのをダイレクトに感じる。エネルギーといっても、屋久島で感じたような確固たる強さを感じるものではなく、空気のような、でも生き生きした、エネルギーだった。生命を沢山感じる!息づいている!そんな躍動的なエネルギーだった。たまらなく心地よい。ここにいるだけで元気になりそう!!

f0053026_230214.jpg 広大な、エネルギーに満ち溢れたレインフォレスト。何かを考えるのでもなく、気負うのでもなく、ただただその大自然とともに存在し、遭遇する鳥たちや動物たち、そして、巨大な樹木、美しい花たちを楽しんだ。大自然に溶け込んだ一週間が過ぎた。
 
 いよいよジャングルともお別れだ。私達のグループは、ボカ・マヌの空港からクスコに戻る。ロッジでブレックファストを済ませてパッキングをして、ボートで空港に向かう。日差しが強い、雲ひとつ無い日であった。ボカ・マヌの空港は、椰子の葉っぱで覆った大きなガゼボ風の建物が1つあるだけ。滑走路も草で覆われている。クスコからのフライトは、1日に1本だけ、あるかないか。だから、その日に運行するのかも、何時に着くかも、予定は未定、という感じ。前日、そして、今朝、ロッジでガイドさんが、無線で運行を確認しなくてはならない、そんな不定期なフライトだ。荷物とともに体重を測らなければならなかった。

 飛行機がどこからともなく、飛んできた。静かなジャングルに爆音が轟くかと思ったが、音は、広大なスペースに飲み込まれ、飛行機は、小さいな、と思った草が生い茂る滑走路におもちゃみたいに静かに着陸した。ガイドさん達と別れを告げ、飛行機に乗り込んだ。降ろすべきものを降ろし、乗るべきもの乗せたら、飛行機は、早速離陸の準備。その間、15分もなかったか。


 ジャングルの木々を斜めに抜け、飛行機はどんどん高度を上げていった。その瞬間、私は、窓の外の風景に釘付けになった。眼下には、蛇のようにくねる河を数本這わせたレインフォレストが、その言葉通り、果てしなく続いていた。前後左右どちらを見ても、同じように熱帯雨林は終わることなく、地平線の向こうまで続いていた。レインフォレストのキャンバスは、大きな雲の影を模様のようにあちらこちらに映し出していた。一週間、ジャングルの中で、あちらこちらへとボートで移動したけれど、過ごした場所は、1点より小さかった。私は、ジャングルを何も分かっていなかった。私は一瞬言葉を失い、そして、涙を流していた。f0053026_18371216.jpg

 残っていてくれてありがとう・・・・

 熱帯雨林が物凄い勢いで伐採されていることは聞き知っていたが、でも、少なくてもここに熱帯雨林が広がっているのだ。ありがたくて、嬉しくて、涙が止まらなかった。

 この人間業では成しえない果てしなく続くレインフォレストを、壊す権利が誰にあろうか。壊してはいけない、あの溢れる生命を一瞬のごとくに壊すことに、無関心であってはならない。

 心に激震が走った。


 飛行機は、次第に雲の中に入っていった。クラウド・フォレストの上空か。そして、切れ切れになった雲の下に広がっていたのは、緑の無い土の起伏だった。アンデス・・・・。
咳が出そうな土の絨毯は、やがて、ごみごみとしたクスコの町を映し出した。

 その乾いた風景とともに、ジャングルの旅は終わった。


 to be continued...
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by phytobalance | 2010-06-08 18:09 | 旅・Journey

アンデスの旅 その9:アマゾンへ!

 マチュピチュからの帰りの電車での“けだるさ”は、風邪ぎみのような症状に変わっていった。頭がだるい。翌朝起きてみると、その症状はなくなっていたが、今度は、胃が痛かった!いったいどうしたというのか?その後、どうやらアグアスカリエンテスで食べたランチに当たっただろうことがわかった。人生最大の“くだし”に苦しんだ。

 その日は、ストライキ。町まで下ってみると車が全く走っていなかった。プラザ周辺は、ツーリストであふれていた。今日はどこかへ行こうにもいけない!いや、本当はどこかへいけるような身体の状態ではなかったのだけど。

 それでも翌日、翌々日と、具合悪いながらも、聖なる谷周辺にある遺跡を巡った。クスコには飽きていたし。もはやツアーバスには乗らない。ローカルバスやタクシーを乗り継いで、スペイン語会話の本をちらちら見ながら、少々あせりながらも観光を楽しんだ。バスには全くツーリストが乗っていないこともしばしば。民族衣装を着て、荷物を布にくるんで背負っている女性も多かった。人々は、村も家も見えないようなところで降りて行った。バス停からそうとう歩くのだろうか。何を考える、というわけでもないが、心に何かが残されていく。ローカルバスの旅はとっても安い。ランチは、飲むヨーグルトとオレンジとか。お腹の調子が悪すぎて、ほとんど食べられなかった。


 7月11日4:20am。第2の目的であるアマゾンツアーへと出発した。体調はまだ復活していなかったが、回復傾向にはあった。まだ暗く寒い早朝、ツアー・バンに乗り込んだ。乗っても寝るのみだ。クスコの町を随分あちらこちら回りながら、他のツアーメンバーを拾っていった。2カップルだけだったけど。

 町を抜けて、薄明かりの中、どんどんバンは登っていった。これからアンデス越えをするのだ。標高が高くなるにつれてますます寒くなってくる。

f0053026_19403549.jpg あたりの景色が見えるほどに明るくなった頃、山の上でバンは止まった。アンデスの朝を拝む。遠く、雪をかぶったAusangate山を臨む。私達以外、誰もいない。土に覆われたアンデスの頂だった。

 やっと仲間達の顔が見える。自己紹介が始まる。フランス人&ベルギー人のカップルとスエーデン人のカップル、そして私が、ツアーメンバーだった。もう1カップルがツアーに参加予定だったが、二人とも入院しなくてはならず前日にキャンセルしたとのことだった。高山病か。フランス人のカップルも具合が悪くてキャンセルしようかと思っていたとのことだった。私も危うくキャンセルの状態だった。それがクスコの標高なのである。

f0053026_1941246.jpg 次に止まったところは、プレインカ時代のお墓とされている遺跡だった。相変わらず土しかない山の上に、面白い形の土を積み上げた小さな建物が並んでいた。今日もアンデスの空は真っ青だ。

 7:00am。美しいパウカタンボ川沿いのパウカタンボという町のレストランのような場所を借りてブレックファスト。その川はウルバンバ川を経由し、最終的にはアマゾン河に合流するらしい。アンデス山中には違いないが、川の水のお陰か、いくらか緑が見えた。標高はどのくらいだったのだろうか。すぐそばに教会があったので、食事を待っている間、ちょっと覗いてみた。独特なミサが行われていた。教会を出る時に、不思議なピンクの飲み物とおいしいシホンケーキのようなものをいただいた。調子は随分とよくなってきていたが、今一それ以上、胃にものをいれたくなかった。フレックファストは、少しだけ。薄いパンと薄いケソ(チーズ)を食べた。町を出て、さらに山を登っていく。パウカタンボ川はすぐにはるか下の方に行ってしまい、また山の中だ。あたりは、段々曇り空になっていった。

f0053026_19412978.jpg いよいよマヌの入り口に来た!結構寒い!ここはマヌの敷地で一番南に位置しており、アンデス山脈の傾斜にあるために、いつも雲が多いという。このあたりから森が始まるのだが、雲が多いため、クラウド(雲)フォレストと呼ばれている一帯だそうだ。ここから、山を下る。下るにつれ、植物や生物の分布が変化していくとのこと。バンは今度はひたすら下り始めた。砂漠にあるような、比較的背の低い枯れた木々から、下に行けばいくほど、緑は濃くなり、また生い茂っていく。植物の種類もあきらかに増えてきて、乾燥している雰囲気がなくなってくる。さらに下るとシダ植物が加わる。いよいよジャングルだ!

 随分山を下り、バンが止まった。長い滝の横だった。
外は既に寒さは無く、多少湿気すら感じた。
水々しい!

 乾燥しきっているアンデスを越え、東側、ジャングルに来たのだ。
生き返るようだった!  “この空気、好き!”
いきなり、私は、レインフォレスト、熱帯雨林が好きだった。


 こうして、私は、生まれて初めて本物の熱帯雨林と出会った。
この時は、待ち受けるジャングルツアーに、ただただワクワクしていただけだった。
この熱帯雨林が、私の人生に深く影響を与えていくことになるとも知らず。

to be continued...
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by phytobalance | 2010-05-17 19:47 | 旅・Journey

アンデスの旅 その8:カミノ・インカ4日目・マチュピチュへ!

7月7日。七夕。
マイケル・ジャクソンのメモリアル・セレモニーがあることも知らず、私は、インカ・トレイル4日目を迎えた。

4:00am起床。いつもの通り、ポーターさんが起こしに来てくれたけど、今朝はコカ茶無し・・・
暗闇で、パッキングを済ませ、荷物を持って、“レストラン”でブレックファスト。他のチームも皆、この施設の中や外でうごめいて、かなりざわざわしていた。

昨夜は結構遅くまで、ここでミュージックが流れていた。でも、私達のチームは誰も“ディスコ”へは行かなかったようだ。この施設に程近いところに設置されている私のテントでは、音楽がうるさくてなかなか眠れなかった。やっと音楽が終わったと思ったら、私のテントのすぐ上に設置されている我らがポーター達のテントで、ポーター達は夜遅くまで話していた。間もなく仕事から解放される嬉しさからなのか・・・話声でなかなか寝付けなかった。

ウィニャワイナのキャンプ地の出口に、マチュピチュへ向かうゲートがある。このゲートが開くのが5:00am。暗闇の中で、私達は列に並んだ。いよいよマチュピチュだ。さすがに、皆、高揚している。すっかり打ち解けているチームメンバー。冗談を言い合いながら時を過ごす。

遂にゲートが開いた!各チームが順番にゲートを通過するのだが、その後、一列になって一本道のトレイルを一斉に進む。列が連なっているので、ペースは流れに任せるしかない。気のせいか、皆、足速やだ。このペースで一時間歩くのか・・・雨は上がっていたが、トレイルは濡れている。石には十分気をつけなくてはならない。あたりは、いくらか明るくなってきたが、まだ、ライトは必要。後ろからものすごいペースで、皆を抜かしていく男達に、何度となく追い越される。

何故、皆足速や。それは、ワイナピチュへの登山を狙ってのこと。誰しもマチュピチュの写真に写っている岩山を知っていると思うが、それは、ワイナピチュと呼ばれている山。マチュピチュを見下ろすことができる。午前中200名、午後200名と入山制限がある。

マチュピチュのすぐ横には、ラグジュアリホテルがあり、さらに、その麓のマチュピチュタウンからのバスの始発は4:30amだ。つまり、マチュピチュのサンゲートまで一時間もかかり、チェックゲートが5:00amにならないと開かないウィニャワイナのキャンプ地からスターとするインカ・トレイル組みにとって、ワイナピチュ登山は、かなり可能性が低いのである。私達もワイナピチュ登山を希望していたが、昨夜のうちに多分無理であろうことを知っていた。

雲が切れ、あたりが少しずつ明るくなってきた。今日は曇りか。相変わらず速いペースで列が動くが、途中、前の人と距離が開いてきたり、立ち止まって追い越される人々もでてきた。
無言でひたすら歩く。わずかにマチュピチュを思うが、あまり頭によぎるものもなく、私はただ歩いていた。

ひぇっ!石の上で足が前に滑って尻もちを付きそうだった。両手で支えた。
“グッド・ジョブ!“
と、お尻を全く汚さなかった私に、いつの間にか私の後ろを歩いていたアリソンが声をかけた。

私達チームもそれぞれがどのへんを歩いているのか、もはや分からなかった。列を大幅に前後しながら、私達を見つけては声をかけるホアンが、何度目かに
“この登りが最後。サンゲートだから“
と伝げた。いよいよだ!
多少急な登りをしばらく登った後、ものすごい急な石段があった!
“Intipunku(サンゲート・太陽の門)“のサインだ!!
列の流れに身をまかせてシャッターを切ったので、ぶれた・・。
皆、一気に石段を登る!


遂にサンゲートに到着した。遂に来た。
マチュピチュは・・・?

f0053026_2244388.jpg遠く向こう眼下にマチュピチュが小さく見えた。
“遂に来たよ!“
これが、私を呼んで止まなかったマチュピチュだ・・
しかし、ここから見るマチュピチュは、あまりに小さくびっくりした。

まだ陽が山々の陰にいる、静かな気持ちの良い雨上がりの朝だった。

後ろから、どんどんとインカ・トレイル組みがサンゲートに上がってくる!
感動に浸る間もなく、人々は、マチュピチュに向かってサンゲートを下り始める。
ここから、マチュピチュのメインエリアまで、45分もかかるのだ。道中、常にマチュピチュを眺めることができるけど。だんだんマチュピチュが大きく見えてくる!


遂に、マチュピチュのメインエリア到着。一般入り口よりずっと上の「見張り小屋」の下に出てくる。
前方には、写真でよく見るマチュピチュが、変わらず黙ってズドン!と存在していた。
巨大である。言葉も出ない。


f0053026_2255961.jpgその朝は、日の出の儀式が行われるとのこと。ほどなく儀式が始まった。

あたりが明るくなって随分と時間が経っていたが、太陽がマチュピチュを照らすには、東側に聳える山を越えて高く昇らなくてはならない。

儀式が進むにつれて、太陽が少しずつ山の背後から光を放ち始めた!
サンライズだ!
f0053026_2264827.jpg
















f0053026_2284975.jpg太陽が昇るにつれ、マチュピチュは光りを増し、遂に空中都市は輝き始めた。巨大なマチュピチュとハイな気分で、とにかく言葉もなかった。

その空気に慣れてくるにつれ、私はマチュピチュよりも、この空中都市を取り囲む山々、そして、マチュピチュが位置しているその空間に心が奪われた。

誰しも想像できないその空間に、マチュピチュは存在していたのだ。

芝生の上で胡坐をかいて座り、ふーっと目を閉じてみる。空気を、空間を感じてみる。
私もマチュピチュと同じように、壮大なる山々に守られているのがわかった。

f0053026_22224281.jpg光り輝くマチュピチュは、真っ青な空を背景に、続々とツーリストを吸い込み、その巨大都市は、世界一の観光地に化していた。その急な傾斜と暑さと人込みのせいか、まだ朝だというのに、妙な疲労を感じた。ホアンは、一通り遺跡をガイドしてくれたのだが、見るもの見るもの他のグループがひしめきあっていた。人の入らない写真はありえなかった。

←唯一、一人しか画像に入らなかった写真。
コンドルの神殿! (これを撮るのがどんなに大変だったか!)

TV番組で芸能人が訪ねるマチュピチュは、いつも人っ子一人いない、神秘な空間に見えたのに・・・

マチュピチュの中には、沢山の神殿や墓稜、王の別荘、住居跡、作業場、天体観測石などと呼ばれる数々の遺跡があった。薬草ガーデンがあり、リャマやアルパカもいた。

f0053026_22114019.jpgガイドが終わって、1時間半の自由時間。待ち合わせはマチュピチュタウン(アグアス・カリエンテス)にあるレストラン。バスのチケットを渡されて、それぞれが思い思いの場所に散っていった。しかし、この広大な敷地内では、あそこをもう一度見よう!とはとても思えないのである。見に行くには、急な階段を登っていかなくてはならないから。水も少なくなって、もう上の方へ行く気力もあまりなかった。

f0053026_2212756.jpgでも、マチュピチュを見納めなくてはならない。少し迂回しながら、結局、一番の高台にある見張り小屋の上の広場を目指すことにした。

上の方の段々は、幅は広く段差も大きかった。一番上まで行った。

段々の最後にやっと木が生えていて、日陰を作っていた。よろけるようにそこに座り込んだ。


マチュピチュを見下ろした。そして、ただ見つめていた。
このマチュピチュに呼ばれて私はここまできたのだ。4日かけて、ここまで歩いてきたのだ。
何故、私を呼んだのか。
私は、何も感じていなかった。

珍しく暑さに負けていたせい??
マチュピチュでスピリチュアル・アタックを受けた、という人もいたが、私には特別なエネルギーは感じられなかった。
ただ、四方険しい格好いい山々に囲まれた標高2,400mのこの空間に、畏怖を覚えた。
けれども、また、このままここにずーっといたいような気もした。



“また来るからね!”
何故か、私はまた来ることを知っていた。
そうして、私は入り口に向かって、大きな段々を下り始めた。

と、言っても、マチュピチュをそう簡単に後にすることはできない。
入り口までの下りも、ひとハイキングだ!

途中、マークとさらに風邪が悪化していたカールと一緒になった。
“水、いる?”と差し出したら、ためらいもなく、彼はごくごくと水を飲んでいた。


f0053026_22285952.jpgマチュピチュタウンへのバスは、5分おきに出る。それでもバス待ちの長い列。
その日は、交通関係のストライキの前日ということもあってか、普通以上に人がいたとも。
ひっきりなしに人を降ろしては、人を乗せていくバスを見ながら、世界遺産の経済効果を思わずにはいられなかった。

バスの乗り場から、ワイナピチュは見えても、空中都市は、もはや見えなかった。長い間発見されなかった理由だ。バスは、いろは坂のような道を永遠に下っていった。いくつカーブがあったのだろうか。

マチュピチュタウンは、小綺麗な町だった。ホテルもなんとなく可愛い。さすが、世界遺産のお膝もと。多くのホテルは結構なレートなのだけど。

待ち合わせのレストランでホアンが待っていた。そして、チームメンバーが、先に帰らなくてはならなかったアリスンを除いて全員到着した。

f0053026_22142627.jpg最後のランチだ。これで、4日間のインカ・トレイルツアーは終わる。ビールで乾杯!

メンバー達から笑顔が絶えなかった。カールはちょっと辛そうだったけど。私達は満足感でいっぱいだった。いつも以上に、とっても楽しい会食だった。(サーシャのショット→)

ホアンは、
“これまでガイドした中で、ベストチームだった!”
と言った。まぁ、毎回言っていることかもしれないけどね。
だけど、ホアンを信じていいくらい、偏りのないコミュニケーションと楽しい会話が続いた4日間だった。

大きな不安を抱えながら、東京でネットサーチをして、星の数ほどあるツアーから選び抜いたツアーだった。でも、その時は、一緒に歩くであろうチームメンバーのことなど、少しも頭になかったけど。


お腹も心も満たされ、チームは、アグアス・カリエンテスを後にした。
帰りの電車でも、チームの会話は絶えない。まだまだ気分はハイだ!

行きにバスで休憩したオリャイタイタンボ駅まで、結構時間がかかる。
次第に皆、静かになってきた。眠りに落ちるメンバーも。
私の顔は、だんだんとほてってきて、体がぐったりしてきた。
マチュピチュで太陽に当たりすぎたせいなのか。カールの風邪がうつったかな?

それでも、眠りに落ちることはなく、楽しかったインカ・トレイルの4日間を、そして、マチュピチュを思い返しながら、車窓を過ぎ行く風景をボーっと眺めていた。時折民家が、そして、民族衣装を着た子供が見えた。こちらを見つめていた。


マチュピチュに呼ばれた理由も分からないまま、インカ・トレイルの旅は終わった。


to be continued…
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by phytobalance | 2009-11-27 22:46 | 旅・Journey

アンデスの旅 その7:カミノ・インカ3日目・Unforgettable

f0053026_1813867.jpgファースト・パスを越えると、今度は気の遠くなるような下りが待っていた。インカ・トレイルらしく、この下りは全路石が敷き詰められていた。下り坂と思えば、階段、階段、階段。坂と思えば、階段、階段、階段。膝要注意だ。

しかし、この斜面には、色とりどりの花が沢山咲いていた。夏の東京からくる南半球は、冬、というイメージが強いので、花が咲いているかどうかなど全く期待していなかった。しかし、アンデスは乾季。ランを始め、見知らぬ様々な花が長い下りを楽しませてくれた。

レディズスリッパー、とホアンが教えてくれた花は、FESのフラワーエッセンスにあるレディズスリッパーと花は似ていたが、葉っぱの感じが違うようだった。バターカップらしき花も咲いていたが、やはり少し違う。キク科の花も多かったけど、皆、それぞれにちょっと違うのだ。花を勉強しておけばよかった!!

2日目14:00pm。ファースト・パスを出発して1時間15分、標高3,500mインカ・トレイルで最も大きなキャンプ・サイト、パカイマユに到着した。今日の歩きはここまで。たった9kmのウォーキングだった。

日はまだ高く、暖かい。ランチまでの時間、シャワーを浴びないわけにはいかない。日本でもありがちなキャンプサイトのトイレ&シャワー小屋。シャワーは水のみ。昨日より標高は高いけど、まだ昼間だ。思い切ってシャワーへ!ひぇゃ~。シャワーを“浴びる”のはやっぱり無理。パシャパシャやるのみ。しかし、しっかり髪を洗う。

それから、2日間はき通したイチロースパッツを洗うことに。イチロースパッツとは、ワコールのCWX。100kmトレイルウォーカーの時にデビューしたが、筋肉痛の度合いが遥かに少ない。替えのズボンはあったけど、明日だって登りはある。これだけ日差しが強ければ乾くだろう・・・

ランチはザラザラしたスープ(キヌアだったかな?)、牛肉の炒め物にマッシュポテト。皆、頭痛を抱えながらの食事となった。遂にエイミーはダウン。高山病にやられてしまった。クスコでもらった薬を渡した。ランチの後は皆、昼寝。何となく頭がふらッとする程度だった私はジャーナルを書いて時間を過ごした。

f0053026_17381397.jpgもうディナーでもいい時間だったけど、しっかり、ティータイムがある。そして、ディナーまで、最後の光を吸い込んでいく向こうの山々を見ていた。かなり冷え込んできた。外に干していたスパッツはほとんど乾くことはなかった。ディナーができた時にはあたりは真っ暗だった。高所だから軽めのディナー、といいつつスパゲディトマトソースとチョコプディング。つまりお肉は食べないほうがいいらしい。ランチに食べたけどね。エイミーは、薬が効いてか、高山病から復活しつつあった。

翌朝、ブレックファストを済ませて、出発の準備をする。夜中、スパッツを寝袋の中に入れていたので、多少湿ってはいたが、なんとか着ることができた。まだかなり寒い。他のチームがキャンプを引き上げ、続々とキャンプサイトのすぐ横の斜面を登っていくのが見える。既に色とりどりのうごめく蟻の行列が上の方まで続いていた。パカイマユのキャンプサイトは本当にすばらしい所に位置していた。ここでずーっと景色を眺めていたいほどだった。

f0053026_21405379.jpg出発したのは7:15am頃だったか。今日は、沢山の遺跡を見ながら、セカンド・パス、サード・パスを越えて、最後のキャンプ地へ向かう“Unforgettable(忘れがたし!)”の日だ!太陽はどんどん昇り、斜面は既に陽の光がさしていた。いきなりずっと階段。10分もしないうちに、ジャケットやフリースを脱ぐ。まだそんなに歩いていないのに、キャンプサイトは、随分下の方に見える。キャンプサイトはまだ日陰にある。

階段をひたすら登ると、下からは見えなかった丸い遺跡ランクラカイが現れた。キャンプサイトから、昨日越えてきたファースト・パス、そして、パスからキャンプサイトまでの道を見事に見渡すことができる。これが、かつて見張り場だったのは明らかだ。ホアンの説明を聞きながら、インカの時代に思いを馳せる。ここを私達と同じように、人々は歩いていったのだ。標高3,800m。もう300mも登った!f0053026_21411262.jpg

さらに、きつい登りが続く。と、湖のある場所に出た。まぁ、あまり素敵なところでもなかったけど。一応、写真撮影。そこからまもなくセカンド・パスについた。標高3,950m。450m一気に登った!セカンド・パスのすぐ横に、盛り上がったピークがあった。沢山石が積まれている。そこで一応、写真撮影。昨日越えたファースト・パスを手のひらに乗せてね。

熊だ!という誰かの声で、皆一斉に熊を追って走り出した。セカンド・パスとは逆の方に、道のない草むらを走っていく。ほどなく、もう行っちゃった~と声が聞こえ、私は早々に引き返した。しかし、最後まで追っていったサーシャは、その後見事なショットを捕らえた!! ここで、熊が現れた、と聞くのは2度目、とホアンは言う。とっても珍しいことらしい。

f0053026_17394712.jpgサーシャとスザナは、建築家とコスメブランド勤務のドイツ人カップル。最初から二人はとってもオープンマインドでフレンドリーだった。付き合って3年ということだが、さすがドイツ人。もう既に、二人で東南アジアを始め、各国を旅しているそうだ。今回の旅は、コロンビア、エクアドル、ペルーの3カ国。コロンビアの首都ボゴダでは少々怖い思いをし、エクアドルでは寒くて凍りそうだったと言っていた。インカ・トレイルの後は、ペルー・アマゾンへ行く。

セカンド・パスを越えると、風景が一転した。しっかりとした緑が広がっているではないか!なんか嬉しい!しかも、ここからは、しばらく下りが続いている。この後ニュージーランド経由で日本へ行くエイミーに、日本語講座をしながら歩いた。ものを指差して「何ですか?」、地図を指差して「どこですか?」という、などなど。後に日本でエイミーとグレンに再会したが、私の日本語講座がいくらか役に立ったそうだ。

すると向こうに現れたのは、サヤクマルカという比較的大きめの遺跡だった!次々と現れる遺跡に上機嫌!もう、マチュピチュなんてふっとんでいた。早く遺跡にたどり着きたい!もはや急な登りも下りもなく、心は逸る。

f0053026_17402367.jpgとは言っても、途中、咲き乱れる見慣れない花の写真を撮ることも忘れない。サヤクマルカのすぐ手前に、ホアンが、“パッションフラワー”と教えてくれたのはピンクの花。
“ん・・・全然違う・・・”
私の知るパッションフラワー
Passiflora incarnata)とは違うのだ。ハーブで使うパッションフラワーは白い花だ。間違いか・・?とりあえず写真を撮ってそのまま行こうとした。

“ちょっと待って!”振り返って、下に向いているピンクの花の雄しべと雌しべをチェックした。
“間違いない!これは、パッションフラワーの仲間だ!!”
雌しべと雄しべが明らかにPassiflora incarnataの面影があるのだ。後で調べたら、多分だが、Passiflora tarminianaという南米に多いパッションフラワーの一種のようだった。

f0053026_18242314.jpgサヤクマルカは、先ほど越えてきたセカンド・パスとその向こうに続くカミノ・インカを見渡すことができる。見張り場は、常に見晴らしの良い場所に作られるのだ。そして、私達がランチをいただく谷を挟んで向こう側の斜面のキャンプ地も見えた!あと少し!しかし、それにしてもインカの遺跡のすごいところは、どんなに山の上にあっても、水をどこからか引いてくる仕組みを持っているというところ。サヤクマルカも標高はもちろんのこと(3,600m)、かなりの高台にあるが、大きな岩の上に彫られた溝が水路の役割をしており、遺跡中に流れるように作られている。

f0053026_17405220.jpgここから谷へ少し下り、チャキコチャというキャンプ地に向かう。緑もうっそうとしてきた中、バンブーだよ!と教えてもらった植物は、日本ではありえない竹の姿だった。なるほど!!しかし、確かに節はある。

これまでの道とは異なり両側の木々もうっそうとした感じになり、なんとなくワクワク感高まる石畳が続いた。思ったより早く向こう側の斜面にある小さな遺跡コンチャマルカに着き、その下を通ってランチサイトへ向かう。

12:00pm前だったか、キャンプ地に到着。人数分の石鹸と洗面器が並びその中にお湯が入っていた。もちろんキャンプサイトでのことだが、こんなところがキャンプの割りにはラグジュアリ、、と感じさせる側面だ。(プラスティックの洗面器で、ラグジュアリ!と感じられる私、幸せ者??)日本風な感じのスープと黄色のポテトの入ったツナポテト、レントルとご飯がランチだった。

f0053026_1741319.jpgずーっとお天気が良かったのだが、このあたりで雲はいよいよ厚くかかり、青空も全く姿を消してしまった。時間までお昼寝・・の予定だったが雲はどんどん落ちてきてあたりをすっぽり覆い、いよいよ雨が降ってきた。

12:45pm。小雨が降る中出発した。実は、ここからが本物のインカ・トレイル!とのこと。昔の道のままだそうだ。正直、歩きにくかった。最初は結構急な階段が続いたが、昨日のように登りだけではなく、適度に平らな道も続いた。小雨の中、滑らないように気をつけながら石畳を歩き続けた。雨なので皆レインジャケットを着たのだが、歩けばすぐに暑くなる。f0053026_1742728.jpg幸い、雨は降ったり止んだりで、大雨にはならなかった。レインジャケットも脱いでしまった。

インカ・トレイル道中には、インカ・トンネルと呼ばれるトンネルがいくつかある。天然の岩でできたトンネルだ。どれもそんなに長いものではないけれど、中に階段があったりして、その中をくぐるのはなんか楽しい。もちろん、バシバシと写真撮影。

さらに、石畳を進むが、時折このあたり、雰囲気は、この時の私曰く“ジャングル”だ。しかし、この標高では、ジャングル、とは言わないとのこと。単にフォレスト、というそうだ。いずれにしても、カラカラで背の低いベージュ色の草より、緑が生い茂っていた方が嬉しい。水水しく、元気がでる。私は本当に森が好きなんだなー、と再確認する。気分はますます上がってくる。うっそうとした木々を背景に、また写真撮影。ここは特に苔むしていて、屋久島のもののけの森さえも彷彿させる雰囲気があった。f0053026_17425970.jpg

さらに基本的には登りの石畳が続いたが、一番のピークを越えてしまった私達はかなり余裕だ。知らずに越えていたサード・パスを過ぎてすぐのところ、プユパタマルカという遺跡の手前にあるキャンプ地に着いた。ごつごつした岩の上がキャンプ地になっていた。ここで小休憩。プユパタマルカとは、雲の中、という意味らしい。その名のごとく、キャンプ地一帯は雲に覆われていた。ホアンは、遠く下の方に見える曲がりくねった川を指し、あれがウルバンバ川で、その向こうに見えるのがアグアス・カリエンテス(マチュピチュタウン)だという。方向感覚はまったくなかったが、マチュピチュに確かに近づいていることがわかった。あたりは緑で覆われた険しい山々が連なり、それを見下ろす位置にいた。

f0053026_17423649.jpgキャンプ地の岩を少し登ったところからは、眼下にハートの形をしたプユパタマルカ遺跡が見えた。
“ワーオ!”
その見事なハート型にただ感心。グレンと私は写真を撮ろうとしたが、なかなか雲が切れなかった。まさに、プユパタマルカだった。

キャンプ地から下って、プユパタマルカ遺跡の中に入る。上から見た感じよりかなり大きかった。この遺跡は今でも水が流れている。上から見た時はハート型が美しかったのだけど、遺跡の中では、段差が激しくて、上に登るのはとっても疲れる。これがインカ遺跡の特徴。常にテラス、テラス、テラスなのだ。ここから、マチュピチュ山が見えた。マチュピチュ遺跡の横にそびえているとのことだが、ここからマチュピチュの遺跡を見ることはできない。

ここからは、かなりキツイ下りが待っていた。800mの標高差をひたすら下る石段だ!下り終えれば最後のキャンプ地ウィニャイワイナだ。途中、道が2つに分かれていて、ただひたすら下る近道と、比較的なだらかに下りながらもう一つの遺跡を通っていく道だ。どちらもウィニャイワイナに着くので、ここからは各自自由に好きな道で!とのこと。過酷な下りが始まった。

f0053026_17434466.jpg覚悟して下り始めたが、ひたすらの石段。さすがに膝を心配した。とにかく石段が続くのである。下りとなると、何故かJust Do the Walkの境地に入ることができなかった!!!下りは確かにかなりきついものだったが、逆に登ることは決してしたくない、と思いながら下った。途中、振り返るとインカの守り神でもあるピューマの岩が見えたり、インカ・トンネルがあったり、といくらか楽しみがあるものの、私達はひたすら下らなければならない。いったいいつ終わるのだろうか。高圧線の下に分岐があると言っていたが、いつまでたってもたどり着けない。下りの石段は奈落の底へと続くようだった。

やっと分岐に着いた。アリソンと具合がすぐれないカールは近道で降りて行った。他のメンバーは、なだらかな遠回り。石段はもはやなく、比較的なだらかな土の道だった。途中にあったインティパタの遺跡は巨大だった。あたり一帯が遺跡だ。これは、マチュピチュを発見したビンガムが発見できなかった遺跡だという。こんなに大きいのに!!この道はまさにインティパタ遺跡の中を通っているのだ。

f0053026_17441584.jpgインティパタのあるテラスでは、ウルバンバ川が流れる絶景が待っていた。その壮大なる景色を見飽きることはなかった。谷を作る山々は険しいのだが、豊かな水の流れを支えているそのゆるぎない姿、その景色がとても大きく、穏やかで心地よいものに感じた。母なる大地に抱かれる、、とはこういう感覚なのか。何枚も何枚もシャッターを切った。

15:30pmくらいだったのだろうか?ウィニャイワイナ遺跡横のキャンプ地に着いた。標高2,700m。本日の歩きは終了。14Km。ここには、レストランと称する施設があり、有料だけどホット・シャワーもある。3日目にしてやっとシャワーを“浴びる”ことができるのだ!ウィニャイワイナとは、Forever Young(永遠なる若さ)というランの名前からとったそう。そうそう、道中、ランも沢山あったが、ここペルーは、世界一ランの種類が多いとのこと!

テントに荷物を置いて、ウィニャイワイナ遺跡へ行く。
“Spectacular!!(目を見張るよう!)”
f0053026_17451466.jpgウルバンバ川を見下ろせるこの遺跡が位置する斜面から見える景色もSpectacularではあるが、50段以上の段々テラスもまた、Spectacularであった。そして、テラスの下の方には、住居跡か、明らかに三角の屋根であったように、壁面上部三角に石が積まれていた。これまでの遺跡ともちょっと違った。

ここから眺める山々、ウルバンバ川の流れる谷、気の遠くなるようなインカの建造物、そして限りなく広がるその空間そのもの、その中で、私はただ満たされていた。


ホット・シャワーを浴びて、“レストラン”と呼ばれるロッジでティータイム。外はもう暗いし、寒いのだから、屋根のある施設はありがたい。でも・・なんとなく雰囲気がねぇ。最後までワイルドが良かったかなぁ・・・・

ほどなく、ディナー。最後のディナーは大盤振る舞い。覚えていないほどの数々のおかずが並んだ。そして、ここではお酒も飲めるのだ!とりあえず、ビールで乾杯。カールは昨日から、風邪気味か、まだ熱もあった。でもしっかりビールは飲む。これまでの3日間の様々な体験を話したり、それぞれの次の旅の話など、ディナーの席は盛り上がっていた。すごく和気藹々としてバランスのとれたチームだった。まだ3日間しか一緒にいないのに、もっと長い付き合いのある友人達のようだった。不思議と誰もマチュピチュのことを話さない。BGMも流れていた。今夜はディスコだ!とホアンはしきりに言っていた。インカ・トレイルツアー最後の夜のお決まりのパーティということか。

翌朝のブレックファーストの後、ポーターさん達ともお別れになる。ディナーの後、お別れ会をした。チームメンバー1人1人がお礼を述べた。そして、チームからそれぞれにチップを渡した。チップだが、どのくらいが適当なのか全く検討がつかない。皆で話し合って決めたが、我々のチームは結構良かったのでは??という感じだった。


明日は、4日目、最終日。4:00am起きでマチュピチュを目指す。しかし、マチュピチュを忘れているくらいに楽しんでいる自分がいた。Unforgettableと言われる由縁か?そもそも私はマチュピチュに呼ばれてペルーに来たのにだ。でも、もうマチュピチュを見なくてもいいくらい、満喫していた。不思議だった。

No Reason. Just Do the Walk.
3日間、その境地を感じながら歩いてきた。

ホアンが、インカ・トレイルを歩くのは、“スピリチュアル・ジャーニー”だ、と言っていた。

私にとって、それはまさに、Just Do the Walkの境地を感じることだったのかもしれない。


いよいよ明日、マチュピチュに入る。

to be continued...
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by phytobalance | 2009-11-18 18:38 | 旅・Journey

アンデスの旅 その6:カミノ・インカ2日目・Challenge

チャレンジ!がテーマだけあって、インカ・トレイル2日目は、歩き始めた早々から、登りが続く。ヒンヤリしたのは最初の5分。まだ日陰も多い朝のトレイルだが、すぐに汗が出てくる。

私達を後ろからずーっと見守ってきた雪山、ベロニカともここでお別れ。そして、反対側には、我らが目指すファーストパスがはるか遠くに見える。

あーんなに遠くまで行くんだ・・・・

初日のキャンプ地が3,100m、そして、目指すファーストパスが4,200mだから、午前中に一気に1,100m登るのだ。

f0053026_23274270.jpgワイリャバンバから比較的すぐのところに、チェックポイントがあった。私達が休憩しているうちにガイドのホアンが、チェックを済ませる。その後、ルートマップの看板の前で今後のウォーキングの説明をする。ファーストパスまでに、2つキャンプ地がある。そこが休憩地点。基本的には、各自のペースで歩いて行く!とのこと。ファーストパスか、その向こうにある今夜のキャンプ地で合流するとのこと。

歩けるだろうか・・

ちょっと不安~。
ここからは、下りがほとんどない道となる。
いよいよ太陽も高くなり、真っ青な空を背景に、澄み渡った空気と美しい景色に包まれて歩く。ここにいる!という幸せ感も確かにあるのだが。

歩き始めてすぐに、山男マークとメンバー最年少カールが、自然と先頭を歩く。その後に、カールの姉アリソン、エイミーとグレン、そして、私が行く。最後にジャーマン・カップル、サーシャとスザナ、そして、ガイドのホアンが歩く。当然のことながら、各まとまりの間にはどんどん距離が出てくる。

最年少のカールは医大生。夏休みに友人と南米の旅にでているのだ。スペイン語もかなり上達した?感じ。このインカ・トレイル&マチュピチュのツアーだけ、友人と離れ、警察官で姉のアリソンと参加。カールは姉の荷物を全て背負って歩いている。一方、アリソンは身軽だが、彼女はポリスオフィサー。基本的に身体は鍛えられているのだ。

初日からそうなのだが、私達が歩いている前後に、大勢のポーターさん達が大きな荷物を背負って歩いている。彼らの歩くペースは、結構速い。ポーターさん達が後ろにくると、トレッカーが誰となく、「ポーター、後ろ!」と声をかける。そして、彼らを先にいかせるのである。他のツアーのポーター達も同じ方向に歩いているので、その数は半端でない。道中、「ポーターッ!」という声が常に飛び交う。
ポーターを先にいかせる時は、山側に立つように!とガイド・ホアンは言う。何故なら、誤ってポーターの大きな荷物にぶつかって、谷に落ちてはいけないから!確かに。

8:50am。そこそこきつい登りであったが、休憩地点、アヤパタに到着。標高3,300m。クスコと同じ高さまで来た。ここはキャンプ地。整備されたトイレもあり、また、飲み物やスナックなども売っている。

体力も筋力もまだまだ大丈夫そうだったが、ここでストレッチをした。6月に参加した100kmトレイル・ウォークの教訓だ。トレイル・ウォークのあまりのターボ・チャージも一応飲んでみた。

f0053026_2321549.jpgホアンは、ここからが“Incredible”だよ!と言った。インクレディブルとは、驚くべき!ということなのだが、何が??景色が?傾斜が??

9:15am。出発した。最初から、マークとカールは彼らのペース。私はさっきと同じ3人と我らのペースであるき始めた。まもなく、石段が現れた。そして、その石段はどこまでも続く。

大山にもあったよねー。

と思いながら歩き始めたが、限りなく石段が続く。
大山も負けそうだ・・・・いや、比にならないかも。
やっと石段が切れ、平らになったかと思うと、また、石段。

誰がこんな石段作ったわけ???
熊野古道も果てしなく石が敷き詰められていたが、どこも小ぶりの石だった。
こちらは、大山の天然巨大石段に負けない大きさの・・は、大げさだが、かなり大きな石が積まれている。さすが、インカ・・・・か?

f0053026_23225118.jpg向こうの山がどんどん目線に近づいてくる。何度も何度も振り返って写真を撮るが、それは、実は、小休憩。へぇ。

何と言っても、空気が薄い。すぐに息が上がりそうになる。それにしても、きつい。知らずに自分との戦いになってくる。

“毎日ジムで鍛えてきたのだ。大丈夫。自分を信じて・・・”

しかし、その鍛えているはずの太腿が、全く頼りない!!こんな柔(やわ)だったっけ?
私の筋肉はどこ???クスコで3日間だらだらしていたから????

酸素だった。筋肉こそ酸素を必要としていたのだ。酸素の少ない筋肉は、なんとも情けない。
上がるはずの足が身軽には上げられない。体重をかけるにも何とも弱弱しい。
この脚で、石段を登り続けなくてはならないのだ。
石段は果てしなく続く。インクレディブル・・・


そして、遂に、
“No Reason。Just do the walk・・・・(理由はいらない。ただ歩くのみ・・・)”
そういう境地に陥っていく。

“Just do the work!”とは、私が友人と普及活動をしているヒーリングタッチというエネルギーワークを完成させたジャネット・メンゲンの言葉。“ただ、やりなさい!”それが、彼女の口癖だったそうだ。先日の100kmトレイル・ウォーク以来、この境地に入ると、ジャネットの言葉から、“Just do the walk!”と知らず知らずに頭で繰り返している。

just do the walk、just do the walk、just do the walk……

“そう、ただ、歩けばいい。それだけでいい・・”
そう感じながら、歩く・・・いや、登る・・・・


f0053026_23234996.jpg10:05amだったか。休憩地点、リュリュチャパタに到着。標高3,850m。先に到着していたマークが私達を出迎えてくれた。これだけキツイとチームの団結力も高まる。本当にきつかった。

ここって、富士山と同じくらいだね?と後に富士登山が控えているエイミーとグレンと交わす。この二人、標高が遥かに高いキリマンジャロ登頂をしたばかりだ。富士山やファーストパスは何てことないのかな。

その時気づいたのだが、ここで既に、本日の最高地点まで、標高差350mに迫っていたのだ。1時間ほどで、私達は500mも稼いだのだ。予定では後2時間ほどでパスなので、悪くないかも!後、350mだ!!!

サーシャとスザナの到着を待ってチームで一旦まとまる。そして私は、一足先に出発することにした。ナヨナヨした足が不安だったのだ。

10:55am。マークもほぼ一緒に出発した。

少し歩くと、マークは、“無駄にエネルギー使って歩いているよ。”と言って、歩幅を小さくして歩くことを教えてくれた。確かに、マークは、今朝から、つま先立ちをしているかのごとく小さな歩幅で歩いていた。私も彼に習って、歩幅をほぼ足の長さにして歩いてみた。地味な歩き方なんだけど、少し楽かも・・・

気づくとちょっと前を歩いていたマークが立ち止まり、顔で前方をうながした。

ひょっ!ファーストパスまでの道が、この斜面上に一直線に見えるのだ!そして、前を歩いている人々が蟻のように続いていた。ファーストパスに到着した連中も米粒のように見える!あそこまで歩くのだ!!!歩く距離は同じでも、前方が真っ直ぐ見えるのは、ある意味恐怖を与える。見えない方が嬉しかったりして・・・

気が遠くなりそうだ。だけど、Just do the walk。No Reason。
1歩、1歩、1歩、1歩、本当に足の長さずつしか進まない。しかし、この歩き方は確かに呼吸を乱さない。歩幅がここまで短いと、ナヨナヨした太腿の筋肉も関係ない気がしてくる。

Just do the walk、Just do the walk、Just do the walk、Just do the walk...

ほとんど下向いて歩いているのだが、何となくリズムに乗ってきた。

f0053026_23243761.jpgJust do the walk、Just do the walk...
Just do the walk、Just do the walk...

途中、休憩しているマークを追い越した。

Just do the walk、Just do the walk...
Just do the walk、Just do the walk...

休憩している私達のポーター達が、“オラ、セニョリータ、どぉ?”と声をかけてくれる。

セニョリータ・・・ねぇ。年知っているのに。スペイン語だと、シングルであればいくつになってもセニョリータなの??Just do the walkの境地で、一瞬苦笑。

休憩。ちょっと立ち止まる。

水を飲みながら、ファーストパスを見上げ、振り返り、歩いてきた道を見下ろす。そして、遠く後ろに見える山々に目を移す。空は相変わらず真っ青で、空気は限りなく澄み渡っている。


私は、大自然の中にいた。ただただそこに存在していた。
心地よい疲労感とともに、頬が空気を感じていた。

何もいらない。何もいらない。もう何もいらない。
ただただそこに存在していることが心地よかった。


Just do the walk、Just do the walk、Just do the walk、Just do the walk...

長い登りだった。1歩、1歩登り続けた。
振り返ってみる。後ろにいたはずのマークもいない。前方にはパスがかなり近く見えてきた。

ふーっ。一人でパスに到着してもね。待っていても寒いだろうし。
大きな岩によりかかって、休憩してみた。

ほどなくグレンの青シャツが見え、エイミー、アリソン、カールが見えた。
安心してゆっくり登っていたらじきに彼らが追いついた。(実は彼らは速い。)
最後の大きな石段を一緒に登った。

f0053026_23251144.jpg12:05pmだったかな。やっと最高地点4,215mのファーストパスに到着した。

嬉しかった。マチュピチュのことなど忘れてしまうほどに嬉しかった。気分も景色も最高だった。

ほどなくマークが到着。最後で標高にやられた!とのこと。

ここで、チーム6名、皆ワイワイしながら写真撮影。そして、サーシャとスザナを待った。大きな岩の上に腰を下ろし、たわいもないことを話していたが、笑いが絶えず、皆気分はハイ、満足感でいっぱいだった。私は、珍しくハイパーテンションだったかもしれない。そのぐらい嬉しかったのだ。ちょっと寒かったけどね。

f0053026_23254080.jpg先着の6名は大歓声でジャーマン・カップルを迎えた。チームは既に一体となっていた。

We made it!(やったー!)


私は、インカ・トレイル、クライマックスの最中(さなか)に存在していた。


to be continued…
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by phytobalance | 2009-10-30 23:40 | 旅・Journey

アンデスの旅 その5:カミノ・インカ1日目・Easy

インカ・トレイルの4日間は、毎日テーマがある。

1日目:Easy – 楽々
2日目:Challenge – チャレンジ
3日目:Unforgettable – 忘れがたし!
4日目:Unique – 特別!


クスコより標高が500mも低い標高2,800mの82km地点から始まったトレッキング。
輝く太陽のもと、ウルバンバ川に沿って平らな道をしばらく行く。

ソロ・トラベラー同士、まずは、マークと会話しながら歩き始めた。
米国ワシントン州ポートランド在住の彼は、ワシントンの大自然を歩き回るトレッカー。
キャンプにも懐中電灯を持っていかない、つまり、山では暗くなったら「寝る」、という彼は、本物の山男かもしれない・・・。この経済不況の中、某国際的機器メーカーからみごとに転職を果たしたビジネスマンだ。

歩き始めてすぐに汗だくだく。
ウルバンバ川の向こうには、時折、マチュピチュ行きの電車が行きかう。
クスコとマチュピチュ間を走る列車は、3つのグレードに分かれている。一番ラグジュアリな「ハイラム・ビンガム・トレイン」は、往復5万円以上もするという。ハイラム・ビンガムとは、1911年にマチュピチュを発見した人の名。お食事などいろいろ込みだということだが、それにしても、この値段!!私達、トレッカーは、通り過ぎるハイラム・ビンガムをただ撮るのみ。

ちなみに、天井がガラスになっていて風景が楽しめるという「ビスタ・ドーム」は、軽食付きで片道7000円くらい。私達が帰りに乗った「バックパッカー」は、片道5000円弱。というお値段。ここペルーでの観光旅行は、思ったほど安くないのである。


川向こう、線路の下に遺跡が見える!
皆でパチパチと写真を撮ったのだが、この4日間マチュピチュにたどり着くまでに、私達は、数限りない遺跡を見ることになるのだ。

太陽は真上にあり、まるで真夏のウォーキング。平坦な道だからまだ余裕だったが、木陰の休憩はありがたい。休憩地点には、水やジュースなどが売っている。地元の人たちの収入源だ!このあたりは、まだ民家もあり、トイレを有料で貸している家もあった。


f0053026_2215917.jpg12:00pmを回った頃だろうか、少し広場になっていて、トイレも設置されているところでランチとのことらしい。一足早く着いていたポーターさん達が、私達のためにランチを作ってくれている。かなり待ったが、トレッキング最初の食事!なんと私達は、ちゃんとテントの中で、テーブル、テーブルクロスの上で食べるのだ!山歩きをしているのに、椅子に座って、シルバー使って食べれるとは思っていなかった。まずはスープ、そして、チキンスバローという鶏肉料理のたっぷりランチをいただいた。なかなかおいしい。



f0053026_222591.jpg午後のウォーキング。ちょっと急なのぼりで尾根にあがった後、リャクタパタという遺跡が現れた。なんと見事なテラス!!!

インカの遺跡の特徴のひとつは、段々になったテラスがあること。用途はいくつかあるようだが、多くは段々畑なのである。リャクタパタは、クシチャカという支流がウルバンバ川に注ぎ込むところに位置している。インカの遺跡のもうひとつの特徴は、見晴らしの良いところに必ず見張り場があるということ。

私達は、下までは降りず、このテラスで働いていた住民が住んでいたという高台の住居跡、そして見張り場があったというところから、見下ろした。当時住民達は、テラスへ降り、そこで一日中働き、夜まで戻ってこなかったという。

f0053026_2235370.jpg何故かリャクタパタがとても気に入ってしまった。美しいのである。まだマチュピチュを見ていなかったが、この時点でかなり満足していた。

その後クシチャカ・ストリーム沿いの比較的平坦な道を歩いていった。このストリーム沿いは緑が豊富。豊か(に見える)な村が川沿いに続く。


16:30pm頃だっただろうか、山の陰であたりが薄暗くなってきた頃、初日のキャンプ地、ワイリャバンバに着いた。出発地点より12km。本日の歩きは終わり。

さっきまで汗びっしょりで暑かったが、止まって10分もしないうちに、急に冷え込む。フリースを着込まなくてはならない感じだ。標高は3,100m。しかし、標高の低いところから時間をかけて歩けば、この標高もなんのその。頭がクラクラするようなことはなかった。

まずは、ディナーの前に、ティータイム。クッキーをむさぼった。だって、沢山あるんだもの!

そう、このラグジュアリーツアー、食べ物は多すぎるほどに豊富だ。4日分の食事のみならず、トレッキング中の私達の毎日のスナック、ティータイム用のお菓子など、ポーターさん達が、すべて運んでくれるのである。とっても有難いことなのだが、状況が分かってくると、何となく素直に喜べなくなってくる・・・

インカ・トレイルの道中、決まったキャンプサイトがいくつかある。そして、各キャンプサイトにおいて、どこの一角にどのグループが泊まるかも決まっているのである。ここワイリャバンバは、確かにキャンプサイトだが、民家の一部を住民が貸している。ガイドさんの話によると、キャンプとしての使用料は支払っていなく、住民は、トレッカーに売るペットボトルの水などで収入を得るとのこと。民家の庭らしく、鶏がいた。

トイレの横には、お湯の出ないシャワーが一つあった。あたりはかなり薄暗く、気温は急激に落ちてくる。しかし、シャワーを浴びない選択肢はない。まずは、エイミーとグレンがトライ。中から悲鳴が聞こえてくる。

このエイミーとグレンは米国北東部ニューイングランド在住。夏休みを利用した6カ国の旅の途中。なんと5週間で、エジプト、南アフリカ、タンザニア、ペルー、ニュージーランド、日本を回るという。何故?って、南アフリカ以外は、2人が行った事ない国を選んだとのこと。すでにキリマンジャロを制覇し、これから行く日本では富士登山もするという!!

f0053026_2243240.jpg続いて、私もシャワーに入った。標高3,000mで冷たいシャワーを“浴びる”のは不可能に近い。手でシャワーの水を身体にパチャパチャかけ、石鹸で軽く洗い、また、パチャパチャして濯ぐしかない。さすがに髪を洗うには、頭をシャワーに突っ込まざるを得ない。氷のよう!ひゃぇー!!

コールドシャワーで身体が温まり、いよいよディナー。あたりは真っ暗だ。和風スープにお魚&ポテトのメインディッシュ。ポテトが重い。お腹いっぱいになった。このあたりで、メンバー同士はすっかり馴染んでいる。不思議なもの。たった一日しか一緒にいないのに。


f0053026_2245047.jpg2日目6:00am。なんと、ポーターさんが、お湯の入った洗面器と石鹸、そして、コカ茶を持ってきてくれた。なんともラグジュアリ!

ブレックファストは、パンケーキとパン。キャラメルソースが珍しかった。

出発前に、ここで始めてポーターさん達と顔合わせをする。10代後半から上は50代だ。皆の大体の役割が見えてくる。それに続き、私達も自己紹介。何故か流れで年齢を言わなくではならない。メンバーの中で、私が一番年上。皆、私の年齢を聞いて驚く!


7:15am。空は既に抜けるように青い。まだ少しだけヒンヤリする空気の中、ワイリャバンバをあとにする。いよいよトレイル最高地点4,200mのファーストパス(第1の峠)へ向かう。


to be continued...
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by phytobalance | 2009-10-29 22:43 | 旅・Journey

アンデスの旅 その4:カミノ・インカヘ

乾季のクスコは、昼間はタンクトップでも歩けるのに、朝夕はかなり寒い。
もしかするとホステルで一番良い部屋だったかもしれないが、ヒーターは壊れていた。
初日からとなりのベッドのブランケットを重ねて寝ている。(重たい・・)

朝4時。起き上がってシャワーを浴びる。
寒くても、眠くても、出かけるとなると、ちゃんと目覚める。
どこかへ行く日に寝坊したのは、人生で2回くらいしかない。いや、1回だけかも。

既にパッキングができているので、5時半のピックアップには、十分に時間がある。
靴も履き、準備万端整えて時間までベッドに横たわる。
あたりはまだ真っ暗だ。

ん・・・。どうもパッキングが気に入らない。インカ・トレイルのために新しく購入したバックパックだったが、3泊4日には小さすぎたかも。
トレイルでは、昼間は真夏のごとく暑く、夜は0℃近く温度が下がるらしい。なんと言っても標高3,000mのところでキャンプするのだ。4日分の衣服が嵩む。

3泊4日もかけて山を歩くのは、実は初めてのこと。しかも、人生の最高地点を通り抜ける。前日までの頭痛も不安要素のひとつ。慣れない一眼レフのカメラも持っていく。

“ポーターに頼んでしまえ!”
インカ・トレイルのツアーは、どのツアー会社に頼んでも皆仕組みは同じ。1グループにポーターが10人近く付く。彼らがテントや食糧、その他もろもろを運んでくれる。オプションで、個人の荷物も運んでくれるのである。山歩きなのに、実は、ラグジュアリなツアーなのだ。

出発直前に、ポーターに荷物を持ってもらうことに決めた。
急遽パッキング変更。小さなバックパックを出動させ、身の回りのものだけは自分で背負って行くのだ。

朝食を済ませ、5時半。前日にオリエンテーションに来たガイドさん、ホアンがピックアップに来た。いよいよ出発だ!

ツアーのメンバーは、私を入れて8人。私とドイツ人のカップル、スザナとサーシャ以外は、アメリカンだ。小学校の体育の先生エイミーとITエンジニア、グレンのカップル、ミネアポリスで警察官をしている姉アリソンと医学生で南米旅行中の弟カール、そして、転職前のつかの間の休暇中、山男マーク。大型バスには、既に我らがポーター9名が乗り込んでいた。そして、ガイドのホアン。総勢18名がツアー・クルーだ!

バスがクスコの中心地から離れると、その景色は一転する。
カラカラな土を固めた古い家が立ち並ぶ。急斜面でもかまわず建っている。
下水はどうなっているのだろう。
そう思わずにはいられない。

道端のところどころにゴミの山がある。
不法投棄があとをたたない日本ではあるが、それでも、日本では決して見ることのないゴミの山が、道中何度となく現れる。町や村の周辺だけではあるが。

あたりは既にさわやかな朝を向かえ、空は今日も抜けるように青い。
クスコを囲む稜線が目線に並び、その向こうには青い空を背景に雪山が美しく輝いていた。
私たちは、82km地点と呼ばれる、インカ・トレイルの登山口へと向かっている。

f0053026_13565371.jpg途中、オリャンタイタンボという可愛い町(村?)に止まる。
クスコから車で約2時間ほどのところにあるこの町は、聖なる谷と呼ばれる遺跡群エリアのひとつ。インカ時代の遺跡がある。

クスコより標高が低いため、日本のツアーなどは、マチュピチュへ行く前の最初の宿泊地として、ここを選んでいるようだ。また、クスコからローカルのバスを乗り継いだり、歩いたりしてマチュピチュへ向かうトラベラー達もここで一泊したりする。クスコから日帰りで、遺跡を見に来る人々もいる。

f0053026_13574317.jpg町の道路はほとんど石畳。バスはかなりガタゴトしながら町の中心の広場へと向かう。ホステルやカフェはきれいっぽく、こ洒落た感じのカフェが結構ある(ように見える)。

この町にステイするのも悪くないかもね・・・

欧米人らしいトラベラー達が、アウトサイドカフェでゆったりとブレックファーストをとっていた。
このゆったり感。日本のツアーにはないかも・・・。

ツーリストとトラベラーの違いかぁ。

私たちは、最後の買い物とトイレ休憩ため、20分ほど時間をとった。町(村?)の中は、細い石畳の道が碁盤の目のようになっていた。雰囲気のある路地には心魅かれる。路地の写真を撮る。f0053026_13581566.jpg


オリャンタイタンボから、40分くらいだっただろうか。ピスカチュチョ村、82km地点。バスの旅はここで終わり。ここからトレッキングが始まる。

太陽は既に高く昇り、陽は容赦なく照りつける。
ジャケットやフリースを脱ぎ、シャツ一枚になる。サンスクリーンを決して忘れてはならない。インカは太陽の帝国。ペルーの日差しはものすごく強い。

クスコからマチュピチュまでの電車は、クスコの北側を流れており、マチュピチュのそばを経由し、さらに北へ下り、いずれアマゾン河に合流するというウルバンバ川に沿っている。
ここピスカチュチョはその途中に位置し、小さな駅がある。踏み切りも何もない線路を渡って川沿いにいくのだが、その線路脇に、インカ・トレイル入り口のサインがあった。

“これだ!”

ひとりでペルーに行かなければならない雲行きになってきた時、実は、日本からのツアーも探してみた。インカ・トレイル+マチュピチュ+リマ+ナスカ(オプション)というツアーはあることにはあった。そのひとつに、“昨年のツアー”とキャプションの付いたグループ写真を見た。どこかの看板の前で、団塊世代のお姉さま方、お兄さま方が、スマイルで“おーっ”と手を挙げて写っていた。f0053026_1474815.jpg

“いやーぁ、これちょっと違うだろう。この中じゃ、私、可哀想くない??”
ツアー代もなかなかのもの。そうして、日本のインカ・トレイル ・ツアーから引いたものだった。

まさに、その看板の前で、私も“おーっ”って、やりそうだった。幸い、まだツアーメンバーの団結もできていなかったので、ひとり写真。いずれにしても、ここでの写真は、ミスれない。

f0053026_13595172.jpg線路とウルバンバ川の間に、82km地点インカ・トレイル入り口のチェックポイントがある。
インカ・トレイルのルートは、入山制限がある。現在、毎日500人しか入れないそうだ。だから、インカ・トレイルを歩くのであれば数ヶ月前からの予約が必要になる。

ポーターはツーリストの数より多い場合も多いので、一説によると、ツアー参加者200名、ポーター300名で、一日500名なのではないか・・ということ。
あらかじめ登録していたパスポート番号とパスポートをチェックする。行けなくなったから代わりに誰か・・は、通用しない。

f0053026_143319.jpg1日20組前後のツアーグループがここを通過する計算になる。ここで列を待っている間に、ツアーメンバー同士の自己紹介も進み、メンバー意識が形成されていく。ポーター達は、私達と話すこともなく、ポーター専用のチェックデスクを抜け、重い荷物を背負い、私達とは別に、どんどん歩き始める。ポーターのほとんどはサンダル。この時点においては、誰が自分のツアーのポーターかよくわからない。それぐらい大勢のポーター達が、私達ツーリストとともに山を越えていくのである。

1日目10:30am。相変わらずの抜けるような青空と輝く陽の光のもと、ウルバンバ川をつり橋で渡り、いよいよインカ・トレイルに入る!


to be continued…
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by phytobalance | 2009-10-26 14:31 | 旅・Journey

アンデスの旅 その3:赤茶色の山、そして高山病

離陸してそんなに時間が経っていなかったか、寝ていたのか。
アンデスと思われる茶色い山々の上空にいた。クスコ行きのフライト。

緑が見えない茶色い山々は、次第に太陽の光を強く映し始めた。
飛んでも飛んでも見えるのは赤茶色いカラカラの土。陽の光で、その水分の無さを際ださせていた。喉が渇きそうだった。
f0053026_2243350.jpg
“あれぇ?河?滝??水????”
山々の間に見える不思議な感じの白いものは、ナイアガラの滝のすぐ上の激しい河の流れが作り出す、白い渦や波に酷似していた。

何これ?雲??常識的に雲のはずなのだが、そのテクスチャがいつも見る雲とは随分違って見えた。
雲だ!と認めるまでに数分かかった。

確かに。これだけ水があれば、乾燥などしてないはず・・・
深い深い雲の絨毯が、山々のくぼみをぎっしりと敷き詰めていたのだった。

乾燥した山の斜面には、子供がいたずらしたように一本の線が山の起伏に沿って、どこまでも伸びていた。
あの道は車が通るのだろうか?


村らしきものもほとんど見えず、でも、もうすぐクスコ。のはず。って、まだ山の中じゃない?
あくまでも赤茶色した山々の間で、飛行機は旋回を始めた。
斜面を照りつける陽の光がまぶしい。その背景にある空は真っ青だ。
おいおいっ!、ここで着陸?こっちこそ真っ青になる。
でも、飛行機はあわてることもなく、そのまま谷間に沈みこんでいった。

思ったほどその谷間は狭くはなく、そして、ほどなく山の斜面に家々が見えてきた。
これがクスコ・・・。フライト中ずーっと見下ろしていた赤茶色の乾燥した土。
それそのものがクスコだった。家々まで同じ色をしていた。
咳き込みそうな気分だった。

そうクスコは、標高3,300mの山の中にある。
しかし、山の中、といっても日本で想像する、それとは違う。
山といっても緑で覆われているわけではないのだ。


どこも空港は空港か。意外ときれいな空港に、なんとなくがっかり。
しかし、バゲージのピックアップのところまで来て、ワクワク感がでてきた。
朝早くてお店が開いてないせいもあるけど、ツーリストがいても閑散とした狭くて古びた空間。便座のないトイレ。
そうこなくっちゃ!1日かけて遠国に来ているのだ!違いがなくちゃ、違いが!!


朝早くから、ホステルのスタッフが空港に迎えに来てくれたのはありがたいが、ホステルに着いて部屋へ連れて行ってくれて、それで消えてしまった。
コカ茶もらいそびれたぁ・・・

一抹の不安はあったものの、とにかく眠い。そのまま荷物も広げず、寝てしまった。
目を覚ましたのは、午後1時過ぎ。案の定、頭が痛い。これが標高か・・・
痛みは、それでも、そんなにひどくはなく、眠いような、ボーっとしているような、不思議な感覚だった。

やっとコカ茶をもらう。お湯の中にコカの葉っぱがぎっしりと詰まっている。
味は若干苦いが、私はハーバリスト。ハーブは何でもおいしく感じる。そこだけラッキー。
確かにコカ茶を飲むと、頭が少し晴れて来るような、来ないような。

乾季のクスコは雨知らず。空は真っ青。抜けるような青さ。
太陽の光がものすごく強いのは、標高のせいか、緯度のせいか、抜けるような空のせいか。
頭は多少ボーっとして、痛みもあるが、光り輝くクスコの町に繰り出す。

クスコの中心街は、歩道も車道も石畳。さすがインカ帝国の首都!
道は比較的狭く、その両側に立ち並ぶ建物は、スパニッシュ・コロニアル。
私の一番好きな建築スタイル。白いスタッコの壁に赤い瓦。どの建物も中庭がある。

こんなキュートな町での散歩は楽しいはずなのに・・・・
うぅ。。頭が痛い。コカ茶なしに眠ってしまったのが悔やまれる。
が、頭の痛みを気にしながらも町を徘徊し続けた。
この季節のクスコの日暮れは早い。知らずに出くわした市場から出てきたら、もうあたりは薄暗い。レストランに入る気もせずに、スーパーで食糧を入手して、頭の痛みを抱えながらホステルに戻った。カップヌードルをすすって、ベッドにもぐりこむ。頭痛いし。

目覚めたのは夜8時。パンを食べて、またベッドにもぐりこむ。いい加減寝たので疲れはもはやなかったが、頭痛がやまない。普段頭痛持ちでない身には、この頭の痛みはこたえる。1~2時間毎に目を覚まし、頭痛を再確認するというクスコの初夜となってしまった。

2日目の朝は、頭痛は全く無かった。さすが私。
気をよくして、朝食をとりながら、ホステルの宿泊客と会話で盛り上がり、早速町へ繰り出した。本日の予定は、教会めぐりと午後はシティツアーだ。

ところが、お昼に向けて、また頭痛が発生してきた。
ランチに入ったレストランでは、コカ茶大盛りを頼まなくてはならなかった。
食べたくも無いランチを済ませ、バスツアーへ。
カテドラルは、外からは想像がつかないほど、きらびやかで驚いた。

いよいよバスは、クスコの周りにある4つの遺跡に向かう。
クスコの町よりさらに標高が上がり、いよいよ頭痛がはっきりしてきた。
コカの葉っぱを噛んだり、コカ飴をなめたりしても、もはや頭痛は消えない。
f0053026_22385910.jpg
ツアーに参加しているツーリストも、遺跡を過ぎるごとにバスから降りない人が徐々に増えていった。

このツアーで最も標高の高いポイントは、タンボ・マチャイという湧き水が出ているインカ時代の遺跡。標高3,765mだ。富士山頂とかわらないではないか!寒いし。

バスを降りて、10分弱歩いたところにこの湧き水があるのだが、この最後のポイントまで歩いたのは、ツアー客の3分の一もいなかった。皆、標高にやられていたのだ。

2日目の夜は悪夢だった。
頭が痛すぎて眠れない。いや、頭が痛くてコカ茶を常に飲んでいたから眠れなかったのである。コカは、カフェインの仲間のアルカロイドがいっぱい。頭が冴えて眠れないのである。
起きていれば頭痛は容赦なく頭を痛めつける。
ヒーリングタッチをしてみたり、ヨガの呼吸法をしてみたり、いろいろ試したが、何も効かず、寝不足のままクスコ3日目を迎えた。

3日目の朝も頭が痛い。痛すぎる。
朝9時過ぎにダイニングに行ったものの、食欲なんて無い。何も食べたくないのである。

翌日、いよいよインカトレイルに出発するのに!
こんなに頭痛がひどくては、これ以上、標高あげるわけにはいかない!!
インカトレイルを諦めなくてはならないのか!???
痛みと不安を抱えながら、ダイニングでコカ茶を飲んでいた。

朝食をとっていたのは、イギリスからのカップル、ベリンダとトビー、オーストリアからのおひとりさま女性、リアーナ。彼らは世界一周の旅の途中。ペルーだって平気でひと月、ふた月滞在するのである。

彼らから旅の情報をもらいつつ、頭が痛いことを告白。すると彼らは迷わず、リアーナは高山病の薬を1シート分、ベリンダはアスピリンを数粒くれた。二人とも、やはり最初は頭痛で苦しんだとのこと。でも、1、2回薬を摂っただけで、標高に慣れたという。

“もう医薬品を7年くらい口にしていないんだけど・・・”と言った私に、ベリンダは、
“私もよ!でも、ここで医薬品を摂っても、負けたわけじゃないから・・”と、言ってくれた。
高山病の薬をひとつ口にいれて、彼らとの会話を続けた。

20分くらいたっただろうか。
代替医療の話で盛り上がっている最中に、頭痛がすっかりとれたことに気がついた!!

効くんだー!!
さすがは、医薬品。いつもは、医薬品は敵であるかのごとく近づかないのだが、この時ばかりは、脱帽。医薬品は効くのである。

弱気になって、心の中では半ば諦めかけていたインカトレイル。でも、これで大丈夫そう。
薬もまだあるし!!

翌日より、インカトレイル、標高4,215mの峠を経由して、いよいよマチュピチュに向かう。

to be continued...
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by phytobalance | 2009-10-21 23:05 | 旅・Journey