フィトバランス phytobalance

phytob.exblog.jp
ブログトップ

<   2017年 01月 ( 2 )   > この月の画像一覧

エソ基礎1月後半 金銭!

f0053026_14521615.jpg
『トランスヒマラヤ密教入門』第4巻真理の実践、第1章「道を歩む上での心構え」。
その後半を学んだ。

17無害性、18自由意志、19放棄、20サンニャシン、21金銭、22与える、
23苦痛、24批判、25失敗、26恐れ、27心配と苛立ち、28性の問題

と、心構えることが続く。

いろいろな意味で一番心に響くのは、「無害性」。
でも、王道ブログにばっちり引用されていたので、是非そちらを読んでいただくことにして、神尾先生の先回りをして、永遠のテーマともいえる「金銭」となんか元気がでそうな「失敗」について引用してみる。


金銭 Money!

「「金銭に対する愛着があらゆる悪の根源である」。この言葉は私たちを人類の根本的な弱点‐欲望という特質‐に立ち戻らせる。金銭はこの結果であり、象徴である。」
(TH第4巻第1章21.金銭.P82:『人類の問題』より)

「あらゆる悪の根源」。あらゆる、、ね。ん、、おそらく。


「欲望は、必要と感じるもの、物と所有への欲望、物質的安楽への、物の獲得と蓄積への欲望、金銭だけが与えることのできる権力と覇権への欲望、これらを満足させることを要求する。この欲望が人間の思考を統御し支配している。それは私たちの現代文明の基調である。それはまた、人間の生命、冒険心、品位をゆっくりと絞め殺すタコである。それは人類の首に巻かれた挽臼である。」
(TH第4巻第1章21.金銭.P82:『人類の問題』より)

ズバッと来たね。
ま、欲望は今はあって仕方ないとして、、。「生命、冒険心、品位をゆっくりと絞め殺す」とは、強烈。はい、はい、おそらくその通りだろうけど、この、「生命」と、「冒険心」、「品位」が並列しているのに違和感がある。特に、「冒険心」??


「しかしながら、金銭への愛着に支配されておらず、より高い価値観の観点から当然のように考えることのできる人々が大勢存在する。彼らは未来の希望であるが、霊的な終焉を迎えなければならない制度に個人として閉じ込められている。彼らは金銭を愛していないが、金銭を必要とし、金銭を持たなければならない。企業社会の触手が彼らを取り囲んでおり、彼らもまた、生きるためには働いて金銭を稼がなければならないのである。人類を助けるために彼らがしようとしている仕事は、必要な資金がなければできないのである。」
(TH第4巻第1章21.金銭.P82:『人類の問題』より)

ははは。その通り。まさに!このような文があるから、秘教、好きだったりする。

いずれ終焉を迎える制度だったとしても、今はその制度の盛隆真っ只中、、(いや、少し、陰りは見えてきているね)。いずれにしても、その中で生きている。
じゃ、どうすべきか、そう問われているのだ(もし、お金を愛していなかったとして)。


「・・・自分のために何も求めない人だけが、金銭的な賜物の受け取り手になることができ、宇宙の富の分配者になることができる。そうでなければ、富が増大しても、富は悲嘆と苦悩、不満と誤用しかもたらさない。」
(TH第4巻第1章21.金銭.P83:『イニシエーション』より)

本当にそうであって、富を得た人々が、非利己的になっていくのがよいのだろけど、ほとんどの場合、そういう風にも見受けられない。まぁ、苦悩や不満はあるのかもしれないけど。

金銭、そして、欲望。

永遠のテーマだ~。


失敗 Failure

「失敗について考えることや失敗を恐れることは、・・大きな時間の無駄である。失敗というものはない。あり得るのは時間の損失だけである。」
(TH第4巻第1章25.失敗.P91:『ホワイトマジック』より)

なんか勇気づけられるな。(時は金なり、、なぁ~んて言わないから!)


「あなた方の生活表現における情緒的な状態の発現つまりグラマーの発現は必ずしも失敗を意味しない。これらアストラル的な状態と同一化し、古いリズムに屈したときだけ失敗である。」
(TH第4巻第1章25.失敗.P92:『新しい時代の弟子道I』より)

そっか!同一化さえしなければ、感情が発現しても、失敗、、ではないわけだ!


「もし失敗したならば、失敗を認めなさい。しかしそのとき、光を仰ぎ見て、唇に微笑みを浮かべ、失敗に背を向け、しっかりと前進しなさい。」
(TH第4巻第1章25.失敗.P92:『新しい時代の弟子道I』より)

ラジャー!


「正当と認められる唯一の後悔は、失敗の教訓を学ぶことに失敗したことに基づくものである。」
(TH第4巻第1章25.失敗.P92:『新しい時代の弟子道I』より)

なぁるほどね。

失敗はない。もし、あったとしても、そこからの教訓を学べばよいのだ。

そう、だから、なんでもやれるはず!
Go for it!



[PR]
by phytobalance | 2017-01-26 23:30 | アリス・ベイリー・AB

エソ基礎1月前半 真理の実践!

f0053026_14521615.jpg
『トランスヒマラヤ密教入門』の学び。
いよいよ最終巻第4巻「真理の実践」に入る!

その第一章は、「道を歩む上での心構え」。
今回学んだその前半の項目は、以下の通り。

1動機、2喜び、3平静、4ユーモアのセンス、5勇気、6非人格性、7無執着、8無関心、9孤独、10グループ関係、11リーダーシップ、12服従、13美徳、14謙遜、15秘教的な盲目、16感受性

そもそも心を構える前に、実践すべき真理の「真理」って、どう定義されているのだったっけ?すっかり忘れている。第2巻にあった「真理」の項を見てみる。

、、と、『トランスヒマラヤ密教入門』は、語句毎にアリス・ベイリーの全著から適切な部分を引用しているのだけど、その語句をビシっと、定義しているわけではない。(読むほどに悩ましくなる場合もある)だから、真理の定義も、今一つビシっと書けないけど、「真理の提示には終わりはない。」とあるように、真理とは、どんどん見いだされていくものらしい。経験を通じて自分の知っている真理があり、でも、それは部分的に正しいだけで、それは、経験や人間が培う概念によって、より大きな真理に包含されていくものらしい。
ん~。ま、いいや。

と、いうことで、構えるべき心とはどんなか、いくつか引用してみる。


「動機は雑多であることが普通である。純粋であることは稀であり、もし純粋であるならば、常に成功し達成するであろう。ここで言う動機の純粋さとは、完全に利己的で個人的なものである場合、また非利己的で霊的なものである場合にも当てはまる。・・・その効果は、意図の純粋さと目的への専心の程度によって決まる。」
(TH第4巻第1章1.動機.P28:『ホワイトマジック』より)

意図の純粋さと目的への専心。なるほど。なかなか厳しい。
物事を成せてないのは、意図が純粋でないから、その目的への専心度が低いから、、ということになろうから。
な~るほど。(はぁ~^^;)

でも、利己的で個人的なものであったとしても、意図が純粋で専心すれば達成できる、、ということ。
これも、なるほど~、だな。


「喜びのあるところにグラマーや誤解の入る余地はない・・・」
(TH第4巻第1章2.喜び.P29:『新しい時代の弟子道I』より)

グラマーは感情的な幻想のこと。グラマーによって、真理が覆い隠され、魂とのつながりへの道が阻まれる。感情に支配されている現代の私たちは錯覚していることすら気づいていない。しかし、喜びがあれば、グラマーが入る余地がない!という。なぜかというと、

「・・喜び。これは魂の特質・・」
(TH第4巻第1章1.喜び.P30:『ホワイトマジック』より)

喜びこそが魂の特質であり、喜びを持つことで、魂とのつながりへの道が広がってくる、、から、だそうだ。
でも!

「喜びのためにではなく、喜びに向かって働きなさい。報酬のためにではなく、援助したという内的な欲求によってはたらきなさい。感謝されるためにではなく、ヴィジョンをみたことによって起こる衝動とそのヴィジョンを地上にもたらすためにあなた方が果たさなければならない役割を認識したことにより働きなさい。」
(TH第4巻第1章1.喜び.P29-30:『ホワイトマジック』より)

グラマーなどによって惑わされた動機や目的ではなく、内から出てくる欲求や衝動に沿って行動することが、喜びへと導く。純粋な動機無くして物事が達成できないのと同じように、惑わされた欲求を満たしても、喜びをもたらすことはないのであろう。


「平静(serenity)と平安(peace)は同じものではない。平安とは、常に一時的なものでしかなく、感覚の世界に、そして不安に影響されやすい状態に関係している。前進の一歩一歩が、不安、危機点、混沌に特徴づけられ、それが後に平安の期間へと移行する。これは前進に必然的なものであり、避けられないことである。しかし、この平安は平静ではない。・・・平静とは、・・・情緒的な不安のない深い平穏を意味する。」
(TH第4巻第1章3.平静.P38:『新しい時代の弟子道I』より)

平安、、いわゆるピースは、一時的で、感情や感覚に影響されるもの。そのようなものに影響されない平静さこそが、望まれる心構えということ・・・。これは、先の意図の純粋さや内なる衝動と同じように、感情に影響されない状態、ということなのであろう。


「・・自分が創造したものや創造しようとするものと自分自身を、できる限り同一化しないようにしなければならない。・・・秘訣は、傍観者の、沈黙の観察者の態度を培うことである。この「沈黙」という言葉を強調したい。物質に働きかけて形成しようとするものが沈黙を守るのを怠るために、多くの・・・働きから何も生まれないでいる。時期尚早の発言とあまりに多くを語ることによって、創造しようと試みているものを殺害し、自らの想念の子供を死産させてしまっているのである。世界の場で働くすべての人々は沈黙した無執着の必要性を認識しなければならない。そして、これらの教えを読むすべての人々にとっての課題は無執着な態度を養うことである。」
(TH第4巻第1章7.無執着.P45-46:『ホワイトマジック』より)

執着することは、感情に密接に関係しているように思う。成したこと、成そうとしていることを声高に叫ぶことによって、執着が生まれてしまい、グラマーを強化してしまい、純粋さがますます失われてしまう、、ということなのだろう。つまり、魂とのつながっていく方向に逸れてしまうのだ。執着すること、また、「自分」が成したもの、、という思いを持つこと(同一化)で、高次からもたらされた閃きやアイディアを適切に顕現できなくなってしまう・・・。

「何も生まれない」「殺害」「死産」とは厳しい指摘だが、本来よきものが生み出されるのを、自らが劣化させている、、ということなのだと思う。

「沈黙」ねぇ。今の世の中、SNSなどで表現するのが普通になってきているし、アイディアを広めるツールだし、また、様々な機会を提供しているのも事実だし、この「沈黙」と、どう対峙すべきか、、なかなか難しい。
まさに、熟考すべき点なのだろうね。





[PR]
by phytobalance | 2017-01-12 23:25 | アリス・ベイリー・AB