その後の私の歩みは、ヒーリングタッチに比重がシフトしていき、また、神尾先生、降矢先生、そして、シュタイナー医でもある山本忍先生らとともに、スピエネットで活動するようになっていった。結局、植物療法家としての枠組みだけに留まることなく、この歩みのきっかけとなった「エネルギー」の世界を深めるよう導かれていった。丁度スピエネットが始まった2010年 ―『秘教治療』の日本語版出版前年だったが― に、ヒーリングタッチ東京で神尾氏をお招きし、「アリスベイリー講座」をしていただいた。私にとって、その時初めて、本当の意味で「神智学」、そして、「秘教」を認識したのだった。
○○○大師???
シャンバラ、モナド、、、、、、
正直、そんな感じだった(明らかに『秘教から科学へ』をちゃんと読んでない!)。そこで、シュタイナー、そして、『チャクラ』の著者、CW. リードビーターが、神智学協会のメンバーだったことも知った。実はこの『チャクラ』、その言葉を知っている人など周りにはほとんどいなかった大学4年生の頃に読んでいたのだ(ちゃんと読みました!)。「チャクラ見える人に遭遇したら恥ずかしいかも~」「見えるようにならないかな~」などと思った(軽っ!)のを覚えている。いずれにしても、この講座で、シュタイナーやリードビーターが神智学に関係していたと聞いたところで、「ふ~ぅん~」という感じだった。
しかし、私の歩みは、知らず知らず、ゆっくりと、秘教の世界へと向かっていった。2011年秋、『秘教治療』日本語版が出版された。その直後に神尾氏が開講した「秘教治療講座」の1年目に参加した。いろいろ興味深かったが、物語を読むような感覚が半分のまま、1年の学習を終えた。「ちゃんと理解しなければ、、」という感覚はあったが、生活が変わり、2年目のクラスへは次第に参加できなくなっていった。不思議なことに、丁度そんな時に、今度は、スピエネットが、秘教への導きの役割を果たした。2012年秋、『バイブレ―ショナル・メディスン』解説シリーズを提供することになったのである。解説シリーズは、スピエネット実行委員が講師として、各章の内容を解説するというもの。その最初の講師となった神尾氏は、なんと、著者リチャード・ガーバー医師が、秘教徒であるというのである!
ちょっと、待って。
この頃までに『バイブレ―ショナル・メディスン』は、数回は読んでいたのだが。
いや、しかし、今なら、、、確かに、、、これは、私でもわかる!そうだったんだ!!
出会って10年の歳月が流れていた。そう、私をエネルギー医学へと導いた『バイブレ―ショナル・メディスン』には、しっかりと秘教の教えが流れていたのだ。
「秘教治療との戯れ」で書いた通り、2015年より、再び神尾氏から「秘教治療」を学ぶ機会を得た。ご本人が所長となったホリスティックヘルスケア研究所(ホリ研)から、新たに「エソテリックヒーリング講座」として、今度はより多くの人々に向けて開講された。私が携わっているヒーリングタッチでの話だが、再受講を強く推奨している。幸いにも私は開催側にいるので、ヒーリングタッチのレベル1ワークショップは、もう20回以上参加している。しかし、毎回、新たな学びがあり、理解がさらに深まる。インストラクターになった今でも、教えていても、また、新たな学び、深い洞察を得るのである。「秘教治療」も同じだった。再受講となったこの1年間、どんなにか理解が深まったことか。
2016年1月6日。その日は、ホリ研スタッフの新年会だった。私も少しだけお手伝いさせていただいているので、その席にいた。何故だか話題は「ホリスティック教育」になっており、そして、「エソテリックヒーリング講座」の第1回目に学んだ「神智学が国連ユネスコ設立に影響を与えた」という、まさにその組織、ユネスコの前身でもある「世界新教育連盟」について、神尾氏は話していた。「世界新教育連盟」は、大規模な国際組織だったが、その母体が神智学教育同胞会だったそうだ。
ホリスティック教育?
新教育?
古い記憶が蘇る。
「もしかして、玉川学園の小原國芳も関係してますか?」隣に座っていた神尾先生に尋ねた。
「うん、そのはず。」と。
帰宅後、ネットで「世界新教育連盟」を検索した。
なんと、「おやじさん」、、、小原國芳は、アクティブメンバーの一人だったではないか!
全身に穏やかな衝撃が巡った。そして、震えた。
今、再び学び、「秘教」の深淵なる宇宙観の中で遊泳している。
しかし、なんとその種は、ずっとずっと遥か昔に、私が無邪気に玉川の丘を駆け巡っていた時に育まれていたのだった。
早くにリードビーターに出合い、
随分経ってから、『バイブレ―ショナル・メディスン』に出会い、人生が変わり、
ホリスティック医学に傾倒し、
シュタイナーを知り、ホリスティック教育に気づき、
ジャネット・メンゲンが確立したヒーリングタッチに出合い、人生のフォーカスのひとつを授けられ、
スピエネットで、神尾先生と出会い、
そして、その先には、アリスベイリーがいた。
私は、もう随分昔から、この巡りの中にいたのだ!!!
1月6日、奇しくも、その日の朝、私は認定ヒーリングタッチ・インストラクターになったことを知った。
長きにわたる人生の学びと経験、そして、つながりをしっかりと携えて、
今、私は、次なるステージへの扉をひらく。躊躇なく、気負いなく、期待なく。
しかし、感謝とともに。
おわり
2016年1月6日夜。穏やかな衝撃で体が震えた。
穏やかな衝撃-それは、私が普及活動を続けているヒーリングタッチに出会った時の何か解らないものがこみ上げるような衝撃とも、研究を続けている南米アマゾンを初めて上空から見た時に身体を走った激震とも違った。
それは、穏やかに私を包み込むような、、、しかし衝撃だった。それは、私自身を統合するような確固としたコアなる筋がつながった感を与えつつ、時の流れというか人生のからくりを神秘的に感じさせ、同時に故郷に帰ったような淡い嬉しさを覚えさせる、そんな感覚が衝撃として体内を穏やかに駆け巡ったのである。
そもそもその「秘教治療」とは何か。神智学という思想の流れを汲むそれは、神尾氏の言葉を借りると、「宇宙から地上の生命体、さらには原子に至るまで、この世は、エネルギーの矛盾ないシステムで成り立っている」という、一般的には伝えられてこなかった秘教的な概念、と言えば、なんとなくどんな類のものなのか感覚的にわかるのではないかと思う。すると今度は、「神智学」とはなんぞや、という話になるが、どうかWikipediaでもチェックしていただきたい。いずれにしても、私がここ15年くらい携わっている分野における今の学びが、アリスベイリーの秘教なのである。
私の携わっている分野とは、いろいろな言い方ができるのだけど、ホリスティックヘルスとか補完代替療法ということにしている。ことの発端は、リチャード・ガーバーという米国の医師の著書『バイブレーショナル・メディスン』に出会ったことである。この本は、エネルギー医学のバイブルとも言える位置づけになっているもの。これを読んで、「いずれ科学がエネルギーの世界を証明する時、この世界に携わっていたい」と思ったことが、私を今の道へと導いた。2001年のこと。
どうやったらエネルギーのこと、勉強できるのだろう?
ここでいうエネルギーは、電力とかのことではなく、いわゆる「気」に相当するもの。いろいろと探しているうちに、まず出会ったのがフラワーエッセンス。ネット検索しても100もヒットしなかった時代。とにかく学んでみようと早速バッチフラワーエッセンスを学び始めた。そして、検索中にネットに表れてきたキーワードが、統合医療とか、ホリスティック医学なるものだった。
そう検索して見つけたのが、現在NPO法人日本ホリスティック医学協会(ホリ協)会長である降矢英成医師が開講していた「ホリスティックチーム医療塾」だった。ここで私は、基礎医学から、心身医学、ホリスティック医学、カウンセリング、様々な代替療法について、ものすごく広範な貴重な学びを得た。その講座の中で、多分、初めて「ルドルフ・シュタイナー」なる存在を明確に認識し、その哲学を垣間見たのだ。シュタイナーは、神秘思想家、哲学者、教育者と表されるが、ゲーテの研究者であり、神智学協会のメンバーでもあった。のちに、神智学から派生させ、独自に「人智学」という哲学、精神運動を確立した。教育のみならず、芸術、建築、医学、農業にいたる幅広い分野で、その哲学に基づいた解釈や方法論を展開した。この「シュタイナー」は、その後、ホリスティック医学・補完代替療法の学びが進む中で、何度となく、横に見え隠れする存在だった。
この世界で、私が最初に学んだフラワーエッセンスは、いわゆる「エネルギー療法」だったけど、ホリスティック医学の枠組みでの学びが始まり、メディカルハーブにも出会って、私はどんどん植物の世界に導かれていった。バッチフラワーエッセンスのセラピストになり、メディカルハーブを教えるようになり、アロマセラピーのインストラクター資格も取得し、森林療法プログラムのスタッフにもなっていた。植物が大好きになっていたから、「植物療法」が自分の専門分野になっていくのだろうと思っていた。
植物療法家への自分を創り上げているその過程で、その後、日本で最初にヒーリングタッチを教えることになるサラに出会った。エネルギーワークの勉強会をしてくれるという。ともすると、エネルギーよりも植物の魅力と戯れていた頃だった。興味は当然あったけど、飛びついたわけではなかった。今思えば、運命のはからいとしか言いようがないが、予定が数日前に変更になり、急遽勉強会に参加できることになったのだ。2004年12月のことだった。もちろん、その時既に、ヒーリングタッチの歩みが始まっていたことになるのだが、実はその勉強会で出会ったのが、FESフラワーエッセンスだった。話を聞いて、すぐにネットで調べたら、カリフォルニア州シエラ・ネバダで、植物観察やレメディーをつくるフィールドトリップもあるセミナーを開催しているとのこと。私は参加を文字通り即決した。
FESインテンシブセミナーへは、予備知識全く無く参加してしまった。しかし、そこで、FESフラワーエッセンスは、バッチ博士の偉業を尊重し、引き継ぎながら、パルケルサス、ゲーテ、シュタイナーの宇宙観に基づき創られているものであることを知った。特に植物観察は、ゲーテ、シュタイナーのそれを踏襲しており、雨を知らない真っ青な空が広がるシエラ・ネバダの山の中で、植物と向き合うことを学んだ。そして、一瞬の躊躇もなく、私はFESフラワーエッセンス・プラクティショナーの学びに進んだ。2年後、認定プラクティショナー取得直前、今度は日本の仲間たちとともに、再びシエラ・ネバダへ、FES本部でのセミナーに参加した。テラ・フローラ(花の大地)と呼ばれる地上の楽園のような美しい空間。シュタイナー建築の建物があり、バイオダイナミック農法(シュタイナー農法)により土を活かし、フラワーエッセンスやエッセンシャルオイルになる様々な花、木々、そして作物を育てていた。その時のルームメイトは、お子さんをシュタイナー幼稚園に通わせていた。数年続いたそのルームメイトとの交流から、シュタイナー教育や学校について知るようになっていた。
シュタイナー教育は、聞けば聞くほど何か似ているのである。私が中学、高校時代過ごした玉川学園での教育と。町田市に広大な敷地を構え、当時は柵も無かったこの学園は、小原國芳によって創設された。私たちが敬愛を込めて「おやじさん」と呼んだその人は、日本でいち早く「全人教育」を提唱した教育者だ。個性を育むその教育は、芸術と体育を大切にし、田畑で作物を作ったり、協働して作業や工作する「労作」という授業があったり、科目選択制を導入していたり、お天気がよいから外で授業しよう!ということがあったり。私がもし、いくらかでも大胆に、自分にとって心地よい人生を自由に歩んでいるのだとしたら、それは全て、この森のような学園キャンパスで育まれたお陰だ。しかし、小原國芳の著作からは、シュタイナーの影は感じなかった。シュタイナー教育を研究されている日本ホリスティック教育協会の方に、小原國芳とシュタイナーについて尋ねたことがあった。時代が重なっていたので、小原はシュタイナーからの直接的な影響は受けなかったのだろうけど、どちらも当時の新しい教育の流れにいた、と聞いた。若干がっかりしたのを覚えているが、あまり気にもしなかった。それにしても、ホリスティック医学を学び始めてから随分経つこの頃になるまで、かけがいのない学びを得たこの「全人教育」の「全人」こそが、実は、「ホリスティック」を意味していることに、愚かにも私は気づかなかったのだ。
私は、まだ、秘教にも神智学にも出会っていなかった。
歩んでいる道が、秘教へと続くなんて、知るはずがなかった。
つづく・・・・
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