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エソ基礎12月前半:エネルギー!!

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『トランスヒマラヤ密教入門』第3巻意識の進化も最終章までたどり着いた。
第5章:光と愛と力。

過去数回の緊張するテーマからすると、ホッとするなぁ~。
今回は、エネルギー♪のところから、いくつかを引用してみる。


「事故、伝染病や感染症を引き起こす傷によるものを除いて、すべての病気は結局のところ、諸センターの状態に起因する。つまり、エネルギーの流れが乱れていたり、エネルギーが過剰に活動し方向性が不適切であったり、エネルギーが欠乏したりし、エネルギーが活用されず、相応の高位のエネルギー・センターへと変性されずに残っていたりすることで起こるのである。」
(TH第3巻第5章1. エネルギーとフォース. P186:『秘教治療』より)

センターとは、チャクラのこと。『秘教治療』でも学んだけど、病気はチャクラの状態によって起きるもの、というのが秘教での認識。それゆえ、『秘教治療』では、将来の医療は、チャクラを診ていくこと、と言っている。

エネルギーの流れの乱れや、過剰や欠乏、については、エネルギーワークを行う根本的な理由なので、こうはっきり書いてあると、エネルギーワーカーとしては、嬉しい、というか、安心する♪


「エネルギーとフォースしか存在しない。これは、秘教科学の基礎になるもうひとつの基本公理つまり決まり文句である。治療に携わっている人々はこのことを認識しなければならない。顕現しているものでそうでないものは何一つ存在しない。」
(TH第3巻第5章1. エネルギーとフォース. P186:『秘教治療』より)

いいわぁ~。こんなにもはっきりと断言してくれて。
そう。全てはエネルギー!

エネルギーとフォースの違いは、いまひとつ、クリアに理解できてない。
エネルギーは魂から流れているもの、とのこと。他の箇所の表記から察するに、さらには、いわゆる神的な高位の意識、そして、多分、その辺のいたるところにあるもの、、と言う感じかなぁ。

一方、フォースはパーソナリティを構成しているエネルギーとのこと。だけれども、エネルギーが渦を成して、ある一定の特性や力を帯びるとフォース、というのではないかと思われる。なぜなら、

「病気そのものが活動的なエネルギーのひとつの形であり、破壊や死をもたらすフォースとして現れているのである。」
(TH第3巻第4章1. エネルギーとフォース. P186:『秘教治療』より)

とあるので。
違うかなー。違ったら、ごめんなさい。


「秘教哲学は次の基礎の上に築かれている。

1 顕現しているもので、組織化されたエネルギーではないものはない。
2 エネルギーは思考に従い、順応する。
3 秘教徒はエネルギーの中でエネルギーを扱う。」
(TH第3巻第4章2. 宇宙のエネルギー. P192:『ハイラーキーの出現』より)

全てがエネルギーで、しかも、エネルギーは思考に従うのだ!
悪しきことを考えない方がよい理由がここにある。しかも、順応すらするのだ。


ともすると、単に「あちら系(どちら?)」の話でしょう、と思う人もいるであろう。でも、人々のエネルギーへの感度が、年々確実に上がっているのは、実体験からわかっている。そして、ここで言うエネルギーと関係するような生命エネルギーについても、科学的な研究が進んでいる。あと数十年もしないうちに、見えないエネルギーへの認識が、今とは全く違ったものになるだろう。

信じない?
でも、10年前はこんなにもスマホ中心の生活になるなんて想像すらできなかったし、25年前はまだブラウザなるものはおそらくプロトタイプがあったかなかったかくらいで、インターネットだって今のようなネットワークではなかったのだ。
今から10年後の世界が、今の私たちの想像を超えることは十分にあり得るのだ。

全てはエネルギーである。
そして、エネルギーは思考に従う。

熟考すべきことだと思っている。




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# by phytobalance | 2016-12-12 20:32 | アリス・ベイリー・AB

エソ基礎11月後半:死のお話

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『トランスヒマラヤ密教入門』第3巻「意識の進化」。
第4章「転生とカルマ」のお勉強に入りました。
もう繕いきれないから、そのまま書きましょう。

転生とかいうと、もう信じるか信じないかがスタートラインになっちゃうので、信じない人はスルーかな。私はと言えば、信じているか信じてないかわからない。ちょっと嘘っぽくもあるけど、意外と本当だったりしたら、知っておきたいかな、と思っていたりする。

転生だから、つまりは、死の話になる。ここ数年、死生学とか、終末期についての書籍などいろいろ出てきたのだけど、最近、少し静かになったかな。全体的には、やっぱり、避けがちなテーマ。死のテーマについても、流行りすたりがあるのかな、日本は。

いずれにしても、誰だって死は怖いし、愛する人、大好きな人とお別れするのは辛い。でも、なんで怖いか、辛いか、その理由が書いてある。今、まさに悲しみや辛さに直面している人にとっては耐え難いかもしれないけど、もしかすると救いになるかもしれない。転生とか信じてなくても、読んでみては、とも思う。


「今後数年間のうちに、・・・肉体を放棄した後も人間が生命ある意識的な存在として存続することに疑問を抱く人はいなくなり、物質界の背後にある領域において人間が存在し続けることが、そして、生き続け、認識し、意識していることが知られるであろう。・・・」
(TH第3巻第4章1. 不死性. P128:『秘教治療』より)

少し前に、「人は死なない」という本が出たけど、死なないらしい。肉体とはお別れするのだけど、命ある意識的な存在としては続くのだ。ふぅ~ん。肉体とだけお別れで、意識が残るのであれば、なんか、ちょっと感じが違うな。死への恐怖って、無くなってしまうことに対してなのかな、って思えてくる。意識が残るのなら、恐れ若干軽減~。


「人間の霊は死ぬことはない。それは永遠に存続し、進化の道を一つの点から次の点へと、一つの段階から次の段階へと前進し、・・・」
(TH第3巻第4章1. 不死性. P131:『キリストの再臨』より)

永遠に存続する、、と来た。私たち、永遠に進化に向けて歩んでいくのね。とすると、死んだ後もいろいろとやることがありそう。きっと、楽しいこともあるだろう。


「・・・死というものはない。あなた方も知っているように、それはより完成な生命への入り口であり、肉の器による束縛からの解放である。・・・」
(TH第3巻第4章2.死. P132:『ホワイトマジック』より)

自分はもうずっとこの肉体と付き合ってきたから、それによって束縛されていると考えたこともなかったけど、病気とかもほとんどしないし。ま、ボディに対してリクエストがないわけではないけどね。 :-)
(現在、背筋力アップ中!姿勢がそんな悪いわけではないけどね。単に自分で気に入ってないだけ。へへ。次は気に入るような器に入るかな~。)


「非常に恐れられているような引き裂かれるような過程は、非業の死や突然死の場合以外に存在しない。そのときでも真に不快なことは、危難と崩壊が差し迫っているという瞬間的な圧倒する感覚だけであり。電気ショックに似た感覚だけである。それ以上のものではない。」
(TH第3巻第4章2.死. P132:『ホワイトマジック』より)

ほんと?じゃ、バンジージャンプするより、怖くないかも??


「一般的な善良な市民にとっての死は、彼の意識内での生活過程の継続であり、それまでの生活での関心と傾向の繰り越しである。彼の意識と目覚めの感覚は同じままであり、変わることはない。大した違いを感じることなく、大切に扱われ、また死という過程を通ってきたことに気づかないことも多い。」
(TH第3巻第4章2.死. P132:『ホワイトマジック』より)

ほんと?それは安心、、、な反面、通ってきた過程をちゃんと覚えていたい気もするな~。
善良な市民だから、大切に扱われるのだ!!いいね。


「人間のマインドがあまり発達していないため、未知のものに対する恐れ、親しみのないものに対する恐怖、形態への愛着、これらが次のような状態を生み出した。転生する神の子の生命周期において最も有益な出来事のひとつを、できるだけ長く延期し、避けるべきものとみなす状態を生み出したのである。」
(TH第3巻第4章2.死. P133:『ホワイトマジック』より)

死は、最も有益な出来事!?普通では信じがたいけど。最も有益、、と言われてもねぇ・・。


「私たちの意識が形態様相と同一化している限りは、死は私たちに対するその古くからの恐怖を保ち続けるであろう。」
(TH第3巻第4章2.死. P134:『ホワイトマジック』より)

そして、こうも書いてある。

「死という問題が通常恐怖と病的状態を呼び起こし、人々が理解をもって死を直視したがらないのは、人々が肉体の事実を重視し、自分自身を肉体と同一化しているためである。」
(TH第3巻第4章3.死の過程. P140:『秘教治療』より)

つまり、意識と肉体は別物であることを認識すれば、死への恐怖は軽減される、、ということか。肉体に執着があるわけではないけど、やっぱり、自分の自分への認識は、肉体あっての自分、、か、な。今のところ。


「死の問題つまり死の過程。これは深刻な病気にかかっている全ての人々が直視しなければならない問題である。そして、健康な人々が適切な思考と穏やかな予期を通して準備しなければならない問題でもある。死に対する大多数の人々の病的な姿勢と、健康なときに死について考えようとしない姿勢は慎重に変えられなければならない。」
(TH第3巻第4章3.死の過程. P139-140:『秘教治療』より)

この講座や他の学びから、随分と死について考えるようになった。確かに、前とは死に対する認識は変わりつつある。怖くないかっていったら、おそらく怖いのだろうけど、「あり」かな~、なんて思う。ありも無しも、皆が通る道なのだけどね。ここ数年、終末期についてのセミナーに参加し、また、死ぬ時のシュミレーションのワークも何度か経験した。いろいろと考えさせられたし、少し楽しかった。

致死率100%。練習するのも悪くない・・・と言ったら、不謹慎?




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# by phytobalance | 2016-12-04 22:26 | アリス・ベイリー・AB

エソ基礎11月前半:イニシエーション!!

つ、遂に、、この領域に・・・イニシエーション。

どんなに上手く説明できたとしても、怪しすぎる。(友人なくすか、、、あぁぁぁ~。)
言い訳ではないけれど、アリス・ベイリーを勉強していながら何ですが、私、そもそもこの分野(?)の人でなくって・・・
あぁ、駄目だ。もぉぉ、十分~、この分野のぉっ、、、怪しいっ、、、人だーーー!

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仕方あるまい。アリス・ベイリーの秘教が説く進化の道筋なのだから。
えぃっ!皆、巻き添えだ!一緒にイニシエーションに向かうぞっ!!

『トランスヒマラヤ密教入門』 第3巻 意識の進化
第3章 イニシエーション
1. イニシエーション
2. イニシエーション:その志願者
3. 第一イニシエーション(誕生)
4. 第二イニシエーション(洗礼)
5. 第三イニシエーション(変容)
6. 第四イニシエーション(磔刑)≪おぉぉぉ~≫

そもそも「イニシエーション」とは何か。
Wikipediaには、人生の節目に行う儀礼・・出生、成人、結婚、死などの人間が成長していく過程で、次なる段階の期間に新しい意味を付与する通過儀礼、とある。
秘教の文脈で言えば、意識の進化の節目の儀礼ということになるのだろう。

意識の進化は、私たち大半の者にとっては、今生で、起きるか起きないかというレベルのもので、進化の節目は、いくつもの人生を重ねないと訪れなかったりするそうだ。先の長い話のようなので、基本的なこと、とか、今の意識でも理解できそうなところを引用してみる。


「各々のイニシエーションは、・・・生命あるすべてのものとの一体感の増大と、自己と他のすべての自己との本質的な一体性の認識を伴う。」
(TH第3巻第3章1. イニシエーション. P92:『イニシエーション』より)

おっ、そんなに怪しくないぞ!
いわゆるワンネス的感覚のことを言ってはいるが、つまり、こちらの分野の共通概念ではあるにはあるけど、「分離感」は健康にもよろしくない、という学術研究だってあるのだ!一体感は、社会生活をする人間には必要なこと。という理解ではいかがかな。


「イニシエーションの儀式は一つの到達点を印す。それは、しばしば思い違いされているが、到達をもたらすものではない。それは単に、・・・達成した明確な進化段階を、人類を見守る教師方が認めたことを印すものであり、・・・」
(TH第3巻第3章1. イニシエーション. P93:『イニシエーション』より)

イニシエーションを受けることによって、進化がもたらされるわけではない。教えを実践して、いわゆる進化に到達した者に対しての印、という感じだろう。


「イニシエーションは、…全く個人的なことである。それは彼の内的達成に基づくものである。イニシエートは、それが起こったとき、自分自身でもわかるものであり、起こったことを誰かが彼に伝える必要はない。」
(TH第3巻第3章1. イニシエーション. P94:『イニシエーション』より)

進化は焦っても仕方ない、、というようにも聞こえる。ただひたすらやるべきことを行い、ある時気づくのであろう。そう気づいていなければ、イニシエーションが起こっていないということだろう。(起こってないなぁ・・・)


「・・・グループ活動を進展させ、他の人々と協力して働けるようにならなければならない。・・・イニシエーションの道で達成しなければならないことである。」
(TH第3巻第3章1. イニシエーション. P94:『イニシエーション』より)

秘教では、人々との協力が必須。何度も何度も出てくる。イニシエーション自体は個人個人に起こるものだとしても、独りで修行して悟りを開くだけでは十分ではないらしい。グループで進んでいくのだ。次にの引用文でもそう示している。


「イニシエートである印は、自分自身、自身の発達、自身の運命に対して無関心であることである。・・・無関心の術を習得しなければならない。」
(TH第3巻第3章1. イニシエーション. P95:『秘教心理学I』より)

常に、そして、すべて、グループのために、ただやるべきことを成すのみ。その暁に、ふと気づくとイニシエーションが起きているのだろう。


「・・・今日誰も自分の小さな世界の中心に立ち、グループの焦点として働くよう期待されていない。今すべきことは、一緒にイニシエーションの道を進むべき・・グループを発見することである。これは≪以前とは≫非常に異なることであり、はるかに困難なことである。」
(TH第3巻第3章1. イニシエーション. P98:『光線とイニシエーション』より)

グループとともに進め、、、とは実は心強いな。独りよりずっといい。困難であったとしても・・・。


「イニシエーションを受ける受けないを気にかけない。・・マインドの姿勢はこのようなものでなければならない。利己的な動機がそこに入ってはならないのである。・・・・奉仕しようと切望する者、世界の困窮の声にうちひしがれる者だけが、扉をたたき、応答を得る・・・」
(TH第3巻第3章2. イニシエーション:その志願者. P106:『イニシエーション』より)

くどいほどに繰り返し出てくる。独りだけでは進化できないのである。利己的であってはならないのである。常に、社会、世界への奉仕を続けることによってのみ、意識の進化が促されるのである。

と、でも、、これは、イニシエーションに限ったことではないように思う。

私たちは、何のために生きているのだろう。どうやって生きていきたいのだろうか。
こんなに人口が増え、社会は複雑になり、格差ができ、環境を壊して、自分の身には起こって欲しくないことが沢山、世間で、そして、世界中で繰り広げられている。自分だけ、そこそこ幸せに暮らせれば、人生を全うできれば、ハッピーだろうか?

意識の進化もイニシエーションも、横に置いておいていいだろう。
秘教は、実は、私たちが、今、この現代をよりよく生きていくためのメッセージ、、、、、でもあるのだ。




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# by phytobalance | 2016-11-12 23:09 | アリス・ベイリー・AB

エソ基礎10月後半:弟子の道

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エソ基礎10月後半のお勉強は、『トランスヒマラヤ密教入門』第3巻第2章「弟子の道」。

これまで、このブログでは、わたしたち多くにとっての、人生の、または、日々の生活への、なんとなくの良い教えや戒め、のような内容を引用してきたのだけれど、いよいよ秘教の目的を伝えなければ先に進めなくなってきてしまった。

アリス・ベイリーによって伝えられている秘教とはいったい何のための教えなのか。それは、他ならぬ、「人類の進化」のためのものである。そして、秘教では、人類の進化は、この「宇宙の進化」の一部とし、人のみならず、全てのレベルで相似形を成している宇宙の構造からそれを解き明かし、進化のための導きを説いているのである。と、いうことで、まあまあの概要になっているだろうか。自信はないけど。

ここでのスコープは、太陽系内の、とりあえずは、地球。もちろん、私たちを生かしているエネルギー自体は、地球の外からや、太陽系の外からのものも含まれるのだけど。すべては、エネルギーという前提で。

第2章弟子の道では、人類の進化段階ごとに引用されているのだが、その括りは、以下の通り。
1. 熱誠家
2. 見習いの道
3. 弟子
4. 弟子:その受け入れ
5. 弟子の年齢
6. 承認

スピリチュアリティに関する教えを実践している人や、超感覚知覚を持っている人は、自分はどのくらいの進化段階にいるのだろう、、と、興味津々なのではないかと思う。でも、マスターと呼ばれる大師方が従事している進化のための様々なお仕事をお手伝いできる、「受け入れられた弟子」なる人々は、地球上には、400人くらいしかいないらしい。そして、進化は、今生で努力して一気に進むほど、簡単に起こるものでもないらしい。特に、まだ、見習いの弟子にもなっていない段階では。沢山の生涯を経なくてはならなかったりする(はぁぁ~)。

世の中の多くの人々、進化とか、精神性を高めるなどスピリチュアリティ的なことには興味がないような人々の多く(全員ではない)は、いわゆる一般人と表記されている。スピリチュアルな歩みに導かれつつある人々や、その探求者たちは、熱誠家と呼ばれる。そして、熱誠家の進化が進めば、見習いの弟子、弟子、受け入れられた弟子、といずれなっていくのである。だから、残念ながら大多数は、一般人か、まだ見習いになっていない熱誠家ということになるので、ここでは、「熱誠家」からのみ引用してみる。


「熱誠家は、進歩するにつれて、相反する対をなすもののバランスをとるだけでなく、・・・・・何らかの方法で人々のハートに影響を与え、人類の援助者、奉仕者になる。」
(TH第3巻第2章1. 熱誠家. P56:『宇宙の火』より)

「相反する対をなすもの」とは、秘教では、通常、アストラル的なもの、感情・情緒的なことを指す。感情は、怒りー喜び、憎しみ―慈しみと、常に相反するものが表裏にある。そして、それらの根源とも言えることが、物質と霊的なものの対である。それらのバランスをとっていくことが、進化の道筋の第一歩であろう。これは、秘教に限ったことでなく、多くのスピリチュアリティに関する教えと一致するのではないだろうか。

「人類の援助者、奉仕者になる。」今回は、繰り返し「奉仕」という言葉が出てきた。進化においては、瞑想とともに奉仕が必須なのである。なぜなら、秘教における進化は、個人の進化より、グループ意識の進化を目指しているからである。ま、それには、個人の進化も不可欠ではあるが。個人が解脱することが目的になっているわけではない、と言えば、違いがわかるであろうか。


「どんなに真剣で献身的であっても、熱誠家は失敗を免れない。・・・すべての熱誠家はまだ利己的であり、まだ短気で起こりっぽく、意気消沈し、時には憎悪に支配されることさえある。この怒りっぽさや憎悪は、正当な原因と思われるものによって起こることも多い。他の人々への不正、人間や動物の虐待、同胞に体する憎悪や悪意、これらが彼らの中にそれ相応の反応引き起こし、多くの苦悩と遅滞を引き起こすのである。」
(TH第3巻第2章1. 熱誠家. P57:『ホワイトマジック』より)

熱誠家はまだ未熟者だから、失敗はつきものということ。正当な理由だったにせよ、だからこそ、感情が反応してしまうからだ。進化の道筋では、この情緒的なものを鎮静していくことが不可欠になってくる。


「すべての熱誠家は次のことを知っており、時代を通してそう教えられてきた。明瞭なマインド、純粋なハート、真実への愛、奉仕と愛他の生活、これらがまず求められると。そして、これらを欠いているならば、何も役に立たず、偉大な秘密は何も伝えられないと。」
(TH第3巻第2章1. 熱誠家. P57:『ホワイトマジック』より)

ここでもまた、奉仕、と出てくる。純粋なハート、真実への愛、愛他の生活、、は、なんとなくどこの教えにもありそうだが、「明瞭なマインド」というのが、秘教の特徴とも言えるのではないかな。

「純粋なハート」とは、いいね。純粋でなければ、「偉大な秘密」を知ることはないのだ!


熱誠家の当面の目標は、以下のようなものとのこと。

「1 自分自身の個人的な当面の問題、特に奉仕における目標に関する問題について明瞭に思考する能力の達成。これは瞑想によって達成されるはずである。

2 今日世界に席巻する新しい刺激に対する感受性の発達、これは、全ての人々をもっと愛し、愛と理解によって彼らにもっと気楽に接することによって発達するはずである。愛は啓示する。

3 完全に非人格的に奉仕すること。これは、個人的な野心と権力への愛着を除去することによってなされる。

4 人々の言葉や失敗に注意を向けないこと。これは、魂の声に完全に注目を傾注し、最も高き秘められた場所で努力することによってなされる。」
(TH第3巻第2章1. 熱誠家. P58:『ホワイトマジック』より)

やはり、奉仕がキーワード。しかも、奉仕の目的や動機が重要。個人的な野心や権力のために奉仕しても意味がないのである。

そして、愛。これは、どの教えでも言っていることだし、そうですね、はいはい、、という感じだけど、一体、全ての人々を本当に愛せるのか。このことは、熟考しなくてはいけないことなのだと思っている。

「人々の言葉や失敗に注意を向けないこと。」はよいとして、「魂の声に完全に注目を傾注し」とあるが、聴こえてきた声が、本当に魂の声であることを願いたいもの。以前に出てきたように、いろいろ勘違い、とかもあるようなので~。


「しかしながら、着実に成長すれば、秘教的な原理が適用され、その結果、明確な変化が諸体に起こり、光がますます輝くのが分かるはずである。そして、熱誠家に与えられる報酬は、同胞に奉仕する機会の増大である。」
(TH第3巻第2章1. 熱誠家. P59:『ホワイトマジック』より)

奉仕は、続くよ、どこまでも。奉仕って、いったい何だろう。これも熟考すべきことなのだろう。ここで言う「奉仕」とは、どうも通常私たちが使っている奉仕から連想される意味合いとも少し違ってきているような気がする。いや、それが、本来の奉仕なのかもしれないけど。。。


ホワイトマジック下巻p101に、
「問題は、自分が特定の時期に進化の梯子のどの段階にいて、どの局面にいるかをつきとめることである。」
とある。

さて、進化の段階はいかに?





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# by phytobalance | 2016-10-28 23:59 | アリス・ベイリー・AB

エソ基礎後半戦突入!10月前半:人間の進化

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いよいよエソテリックヒーリング基礎講座、エソ基礎も後半戦。
テキストの『トランスヒマラヤ密教入門』も第3巻に入った。
その副題は「意識の進化」。(おぉ~)

この第3巻の章立ては以下の通り。
第1章 人間の進化
第2章 弟子の道
第3章 イニシエーションの道
第4章 転生とカルマ
第5章 光と愛と力

ものすごく興味持つ方もかなり多いとは思うのだけど、その内容たるや、そのまま書いたら、引いてしまう人もいるかもしれない。このブログでは、より多くの方々が、普通に読んで、それなりに、なるほど、、と思ってくださるような教え、そして、理解するのに、その背景をあまり説明しなくてもわかるものをピックアップしてきた。それがより困難になりそうだが、頑張る。

今回は、第1章人間の進化から。


「霊的人間とは、世人でありながら、秘教徒であり、従来携わってきた様々な原因すべての背後に「一なる原因」があるという結論に達した人間である。」
(TH第3巻第1章1. 霊的人間. p28:『宇宙の火』より)

霊的人間は、Spiritual Manの訳。スピリチュアルな人、つまり、精神性、霊性を意識している、または、それを高めようとしている人、と言えばよいだろうか。まず、世人でよいらしい。秘教徒は、このブログシリーズで展開している神智学系秘教、、つまり、アリス・ベイリーが伝える教えの道にいる人のこと、、と言ってよいだろう。「一なる原因」の一とは、秘教では、モナドを指すが、唯一なるもの、ワンネス、場合によっては神、、などように受け止めればよいと思う。それが、すべてのものの原因、、なのだそう。そうであることが、しっかりと腑に落ちた人、という感じだろうか。



「・・・霊的であるということは本質的に、正しい人間関係を確立することであり、善意を育成することであり・・・・・地上に真の平和を確立することである。」
(TH第3巻第1章1. 霊的人間. p29:『人間の問題』より)

理解するのは容易い。しかし、スピリチュアルな教えを説いているはずなのに、人間関係が醜くなったり、別な力に引き寄せられ、善意から遠ざかっているように見受けられる人々やグループは沢山見られる。少なくても霊的、スピリチュアルな道を歩むのであれば、どのような方向性が適切か、自ずと定められてくるのだ。



「霊的生活にあまりにも奮闘的に、そして猛烈に取り組んではならない。霊的生活とは、達成の状態というよりも、存在の状態である。」
(TH第3巻第1章1. 霊的人間. P29-30:『新しい時代の弟子道I』より)

何をしているか、、doingより、どうであるか、、beingが、より大切ということであろう。真のあり方、、とでもいうべきか。「その存在」である、、ということ、そういう存在を目指していく、ということなのだろう。例えば、瞑想をしているから、スピリチュアルである、ということではない。



「愛と光は偉大な啓示者である。私が教えようと努めていることを真に理解し役立てようとするならば、すべての人々をもっと深く愛しなさい。そして、自らの光で暗いところを照らしなさい。なぜなら、「その光の中に光を見出すであろう。」からである。
(TH第3巻第1章2.人間の霊的な進化. P38:『光線とイニシエーション』より)

ここを引用したのは、私が携わっているヒーリングタッチのカリキュラムが、エネルギーワークを学ぶだけではなく、実は、自己成長のためのものだった、と以前に気づいた時に、浮かんできた問いに対する答えのひとつでもあるから。その問いとは、「自己成長のために、なんでヒーリングタッチをすることが必要なのか」ということであった。詳細は割愛するが、その代わりに、ヒーリングタッチ創始者ジャネット・メンゲンの言葉を引用しよう。

“あなたが歩を進めるところはどこであれ、あなたは世界のその場所に光をもたらします。” ~Janet Mentgen



「進化段階は・・・非利己的な奉仕生活をどれだけ活発に送り、人類の前方にある啓明されたヴィジョンをどれだけ顕現しているかに表れることを常に覚えておかなければならない。・・・・進化での地位は、なされる主張によってではなく、達成された働きと示される愛と知恵によって評価し図るのが賢明である。」
(TH第3巻第1章3.進化の梯子での達成段階. P42:『ホワイトマジック』より)

世の中の人々が、どのくらい「進化」を求めているものなのかはわからない。私は、「成長」はしたいと思っているが、「進化」については、まだまだピンときていない。しかし、進化を求めなかったとしても、秘教の教えは、社会の中で、適切に生きていく、よきガイダンスだと思っている。私が思う「適切に生きる」とは、自分も他の人々もそれなり心地よく、楽しく幸せに生きること、そして、そうできる社会や環境となることへの志向性を持ってなんらかの働きかけをしていくことである。





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# by phytobalance | 2016-10-18 06:00 | アリス・ベイリー・AB

エソ基礎9月後半:占星学!

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『トランスヒマラヤ密教入門』の第2巻もいよいよ最後の回に!
予言とか心霊主義とか、ざわざわ、ワクワクするテーマも学んだのだが、とてもここには書けない!
と、いうことで、安全を期して(?)『占星学』について書いてみることにする。


「占星学が一つの科学であり、来るべき科学であるというのは真実である。・・・」
(TH第2巻第3章1. 占星学. p228:『ホワイトマジック』より)

西洋占星術は多くの人(特に女子かな)が、楽しんでいるもの。プロの占星術家でなくてもかなりの知識をお持ちの方も多い。私はと言えば、ちょっと勉強しようかな、、と思ったことはあったけど、これまでほとんど重きを置いていなかった。しかし、『秘教治療』をある程度理解するようになって、昨年『秘教占星学』をかじってみて、一転して認識が変わった。エネルギーという観点で見れば、天体の影響こそ重要なのである!

来るべき科学!とまで言っている。今からでも学んでおこう。


「・・正確な科学に占星学をするためには、あまりにも多くのことが見落とされ、また知られていることがあまりにも少なすぎる。将来いつか、この主張は成就されるであろう。しかし、その時はまだ来ていない。」
(TH第2巻第3章1. 占星学. p228:『ホワイトマジック』より)

『秘教占星学』と私たちに馴染み深い西洋占星術とは、解釈がかなり違うようだ。神尾先生によると、現在出版されている『秘教占星学』ですら、これから科学になっていく占星学の最初の本でしかない、、と。情報が十分でないらしい。西洋占星術は、今の私たちにとっては有用なこともあるとのことだけど、本当の意味での天体の機能や星々が放つエネルギーとその影響については、説明していないようだ。ん~。


「太陽系を黄道帯が回転する中心点と見なしたり、太陽が約二万五千年という大きな周期で黄道帯を通過していると見なしてはならない。・・・しかし、一般大衆に関しては・・・このような推論が許され、それが無知な人々に受け入れられている。・・・」
(TH第2巻第3章1. 占星学. p229:『秘教占星学』より)

あらら、、無知ですか。少々心外ではあるが、要は、もっと大きな視野で天体を捉え、太陽系なり黄道帯なりを認識していかないとならない、ということらしい。昔、人は天動説を信じていた。今は、地球が太陽を回っているということを知っているが、でも感覚的にはまだまだ天動説。太陽は東の空から「昇る」のである。天体のメカニズムを新たに発見し、そして、いずれ感覚が追いついていく。黄道帯は太陽系の周りを回っているわけではないのである。正しい理解とともに、真の占星学が姿を現すのかもしれない。


「・・・現代の研究者は、生まれたときに太陽が「見られる」宮から来るすべてのエネルギーが彼に衝突し、彼を通して流れると考える傾向がある。彼はまた、自分自身を自らのホロスコープの宮を支配する様々な惑星のフォースに敏感なものと見なしている。そして彼は、自らの生活傾向と環境がこのようにして決定されると信じている。・・・他の星座や多くの「隠された」惑星から常に私たちの惑星に働きかけるエネルギーにはわずかな酌量しか与えられなかった。不朽の智慧は、このようなエネルギーが私たちの太陽系に約七十あると主張する。」
(TH第2巻第3章1. 占星学. p230:『秘教占星学』より)

太陽系に70もの惑星がある!?と、すれば、私たちは本当にまだ何も知っていない、ということになる。影響を受けているエネルギーを。


「ホロスコープは多くの場合、未発達な人々や目覚めていない人々を図解する上では全く正確である。しかし、高く進化した人々との場合には全く不正確である。」
(TH第2巻第3章2. ホロスコープ. p235:『ホワイトマジック』より)

「・・・秘教占星学は形態にではなく、魂に関係している。・・・」
(TH第2巻第3章1. 占星学. p235:『秘教占星学』より)


とのこと。私はあと数年してから『秘教占星学』も学んでいきたいと思っているけれど、占星術をやられている方、是非、『秘教占星学』も学んでみては。




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# by phytobalance | 2016-09-29 22:11 | アリス・ベイリー・AB

エソ基礎9月前半:真理の啓示 つづき

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『トランスヒマラヤ密教入門』の学びも6か月目に入る。
今回は、第2巻生命としての地球、第2章真理の啓示の続きで、「教え」、「導き(ガイド!)」、「教育」、「言葉による限定」、「秘教」、「秘教学派」について学ぶ。このあたりのテーマだと、その教えも、私たちの日々の生きる姿勢や行動にもぐっと照らし合わせられるものが多い。注意点、戒めが沢山!

そのひとつが「導き」に。これは、いわゆる高次からのガイド・声、内なる声、などのことなのだけれど、お「導き」と思いきや、実は、勘違いだったり、導きの源が適切なものでなかったり、と要注意。その「導き」の源をしっかりと見極める重要性を説いている。「導きのタイプ」については、私が王道ブログと呼んでいる神尾先生の「スピリチュアリティの王道」で、しっかりと列挙されているので、そちらを必ず、ご一読くださいね。

神尾学と学ぶ!スピリチュアルの王道
神からの「導き」の源泉の種類 ~ 『トランス・ヒマラヤ密教入門』より


もうひとつ、わたしからのハイライトは、「教育」から。

「真の教育とは、人間を構成する部分部分を結びつけ、次にその人を身近な環境へと、さらに、人間が役割を演じなければならない場であるより大きな全体へと結びつける科学である。」
(TH第2巻第2章8.教育.P192:『新しい時代の教育』より)

さらっと読むと、そんなものだろう、、と思ってしまうけど、果たして今の教育が、このような視点でなされているだろうか。教育学で何が語られているかは、専門外なのでよくわからないけど、少なくても学校教育では、学ぶべき、または、知るべき「内容」を覚えることに比重が置かれ、私たちの存在やあり方、、なんて、考えたりするような機会はないように思う。道徳とか倫理の授業が、その一部を担っているのかもしれないけど、全体から俯瞰的に考えていくような方向性ではないような気がする。どうかな。(秘教的なビジョンが理解されていなかったとしても)


「次の二つの主要なアイディアがあらゆる国の子供たちに教えられなければならない。それは、個人の持つ価値と、人類は一つであるという事実である。」
(TH第2巻第2章8.教育.P193:『新しい時代の教育』より)

突飛なアイディアでもないが、今の、少なくても日本の教育が、これを主眼として教えている、とは言い難い。


「親や教育者はどのような努力をしたらよいのであろうか。
何よりもまず最初に、特定の特質が花開き現れることができる雰囲気を提供するよう努力をすべきである。」
(TH第2巻第2章8.教育.P194:『新しい時代の教育』より)

「個人の持つ価値」を花開かせるために、どうするか、ということ。
その雰囲気とは何か、その次に続く。抜粋すると・・・


「1 愛の雰囲気。 この雰囲気の中では、恐怖心は追い出され、子供は遠慮したり内気になったり警戒したりする必要が無いことに気づく。・・・

2 忍耐の雰囲気。このような雰囲気があれば、子供は正常かつ自然に知識の光の探究者になることができる。問いかけに対して素早い反応が、あらゆる質問に注意深い返事が、いつも帰ってくることを子供は確信し、いそがなければならないという感覚を全く持たなくなる・・・

3 秩序ある活動の雰囲気。この雰囲気の中で、子供は責任についての最初の初歩的な事柄を学ぶことができる。・・・

4 理解の雰囲気。この雰囲気の中で、子供はいつも自分の行動の理由と動機が認められること、さらに年上の仲間は、彼がしたことや彼の活動にいつも賛成するとは限らないが、彼の動機となる衝動の性質をいつも理解してくれること、これらを確信することになる。」
(TH第2巻第2章8.教育.P195-6:『新しい時代の教育』より)

教育者が、こういう雰囲気づくりを教育として必ずしても意識はしていないような気がする。
親たちの中では、無意識的にやっている人たちもいるのではないかな、とは思うけど。


「きわめて不必要な罪悪感、罪深いという意識、間違った行いをしているという感覚を、早い時期から子供の内面に植えつけているのは年輩の世代である。本当に悪いことではないが親や教師を困らせるどうでもよい瑣末なことがあまりにも重視されるため、何が悪いことなのかについての真の感覚が覆い隠されてしまい、あるがままに認識されなくなってしまう。多くの瑣末でどうでもよい罪が、「駄目」と常に繰り返し言い、「行儀が悪いよ」という言葉を使うことで子供に植えつけられており、それは主に、親が子供を理解してやり子供の関心を引くのに失敗したためであるが、そのような罪は実際に何ら重要でない。子供の生活のこのような面を正しく扱うならば、本当に悪いこと、つまり他人の権利の侵害、…個人的な獲得のために他人を傷つけたり損害をあたえたりすることがどういうことなのかが、正しく考えることで適切な時期になればわかってくるであろう。」
(TH第2巻第2章8.教育.P196:『新しい時代の教育』より)

子を持つ親は、ドキッとするのではないかと思う。今一度、心に留め、深めたいことだと思う。






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# by phytobalance | 2016-09-15 20:19 | アリス・ベイリー・AB

エソ基礎8月後半:真理の啓示

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『トランスヒマラヤ密教入門』8月後半は、第2巻:生命としての地球、第2章:真理の啓示を学ぶ。

最初に真理(Truth)について、いくつかの引用が続くが、神尾先生もブログで引用された部分、これは、本当に大切なこと、日々の生活から、大局的な社会的姿勢において、心すべきことと感じるので、ここでも引用してみる。


「すべての正しいアイディアは性質上、一時的なものである。そのため、部分的に正しいものとして認識され、より大きな真理にその座を譲らなければならない。その時代の事実はのちに、より大きな事実の部分とみなされるようになる。

人間は不朽の知恵のいくつかの小さな原理を明瞭に把握し、それらの正しさを確信できるようになったため、より大きな全体を忘れて、・・・そして、それが限定になり、彼を捉えて彼の進歩を阻むものになる。自分には真理があると確信しているため、他の真理を見ることができなくなるのである。

真理かもしれないものについて自分自身で具体化した概念の真実性を確信できるため、自らの脳の限界を忘れ、・・・個人的な分離したマインドによって形態へと形成されていることを忘れてしまう。その小さな真理のために生きるようになり、それ以外のものは見えなくなる。そして、人々に自分の想念形態を押し付け、[想念形態に、]憑依された狂信者になる。たとえ世間が彼を正気と見なしたとしても、メンタル的にはアンバランスな人間になってしまうのである。」
(TH第2巻第2章1.真理.P152-153:『ホワイト・マジック』より)


この引用から、すぐに浮かんだことは、3つ。

1つは、私が携わるセラピーやヒーリング、スピリチュアルな教えの分野では顕著であるが、何かの教えに感銘を受け、もしくは、それが真実だと思えた時、意識的か無意識的か、視野が狭くなったり、他を排除する傾向がいくらかでもでてきてしまうことである。ある医師が、『セラピスト達は、自分がやっていることが一番だと思い、他を排除している、、』と何度となく指摘していた。そうでもないだろう、とは思ってはいたが、改めて、振り返る必要がありそうだ。

もう1つは、宗教を信じる心について。渡米して間もないころ、敬虔なクリスチャンの友人ができた。高校時代キリスト教の洗礼を受ける直前でやめた自分の経験と知識から、彼女に「キリスト教の教えはよいと思うけど、排他的なところが好きになれない」と言ってみた。彼女はためらいもなく、「自分が本当にこの教えが一番だと信じているのだから、他がよいと思えないのは当然だ」と返した。その時の私は、本当に信じるということはそういうことなのだろうな、仕方ないな、と妙に納得したものだった。

もう1つは、科学、学問の世界における姿勢。特に、偉大なる発見があったり、思想が生み出されると、発見した本人のみならず、世界的にそれが真理になってしまう。世の中全体が、その考え方の枠組みでしかものを見ることができなくなってしまう、ということ。DNAを絶対視する生物学におけるセントラルドグマや、医学における機械論的身体の見方など。科学の歴史において、いくつもの偉大なる発見が、度々覆されてきたにもかかわらず、、だ。物質主義や資本主義などの思想も同じこと。


面白いことに、科学については、啓示(Revelation)の箇所にこんな風に登場していた。

「キリストの時代以降の真の啓示の多くは科学の線に沿って世界にもたらされた。…科学の啓示は、それが基本的根本的なものであるとき、宗教の啓示と同様に神聖なものであるが、その両方が人間の要求を満たすために悪用されてきた。科学が人類の古傷を癒し、よりよいより幸福な世界を築くために最善を尽くすようになる時代はすぐそこまで来ている。」
(TH第2巻第2章3.啓示.P161:『グラマー』より)

科学的大発見は、やはり啓示であることには違いない。ただ、先の引用にあるように、それは一時的なものであり、いずれより大きな真理の一部になるにすぎないということを知り、そのような視野で受け止める必要があるということだ。

それにしても、「その両方が人間の要求を満たすために悪用されてきた」とは、確かに。科学においても、宗教においても。

私が洗礼を受けなかった理由は、キリスト教の名のもとに、いかに沢山の悪行が行われてきたかを世界史で学んだからだった。人間が「人間の要求を満たすために悪用」したから、、とは明確には理解できていなかったんだな。あの頃は。


その後、私は大学で歴史学科に進み、西洋史を専攻した。しかし、選んだ時代は、西洋史の花形ルネッサンス期でも無く、ローマ時代でも無く、古代ギリシアだった。キリストが生まれる以前の時代だ。
(余談 :-))






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# by phytobalance | 2016-08-25 19:49 | アリス・ベイリー・AB