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エソ基礎9月後半:占星学!

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『トランスヒマラヤ密教入門』の第2巻もいよいよ最後の回に!
予言とか心霊主義とか、ざわざわ、ワクワクするテーマも学んだのだが、とてもここには書けない!
と、いうことで、安全を期して(?)『占星学』について書いてみることにする。


「占星学が一つの科学であり、来るべき科学であるというのは真実である。・・・」
(TH第2巻第3章1. 占星学. p228:『ホワイトマジック』より)

西洋占星術は多くの人(特に女子かな)が、楽しんでいるもの。プロの占星術家でなくてもかなりの知識をお持ちの方も多い。私はと言えば、ちょっと勉強しようかな、、と思ったことはあったけど、これまでほとんど重きを置いていなかった。しかし、『秘教治療』をある程度理解するようになって、昨年『秘教占星学』をかじってみて、一転して認識が変わった。エネルギーという観点で見れば、天体の影響こそ重要なのである!

来るべき科学!とまで言っている。今からでも学んでおこう。


「・・正確な科学に占星学をするためには、あまりにも多くのことが見落とされ、また知られていることがあまりにも少なすぎる。将来いつか、この主張は成就されるであろう。しかし、その時はまだ来ていない。」
(TH第2巻第3章1. 占星学. p228:『ホワイトマジック』より)

『秘教占星学』と私たちに馴染み深い西洋占星術とは、解釈がかなり違うようだ。神尾先生によると、現在出版されている『秘教占星学』ですら、これから科学になっていく占星学の最初の本でしかない、、と。情報が十分でないらしい。西洋占星術は、今の私たちにとっては有用なこともあるとのことだけど、本当の意味での天体の機能や星々が放つエネルギーとその影響については、説明していないようだ。ん~。


「太陽系を黄道帯が回転する中心点と見なしたり、太陽が約二万五千年という大きな周期で黄道帯を通過していると見なしてはならない。・・・しかし、一般大衆に関しては・・・このような推論が許され、それが無知な人々に受け入れられている。・・・」
(TH第2巻第3章1. 占星学. p229:『秘教占星学』より)

あらら、、無知ですか。少々心外ではあるが、要は、もっと大きな視野で天体を捉え、太陽系なり黄道帯なりを認識していかないとならない、ということらしい。昔、人は天動説を信じていた。今は、地球が太陽を回っているということを知っているが、でも感覚的にはまだまだ天動説。太陽は東の空から「昇る」のである。天体のメカニズムを新たに発見し、そして、いずれ感覚が追いついていく。黄道帯は太陽系の周りを回っているわけではないのである。正しい理解とともに、真の占星学が姿を現すのかもしれない。


「・・・現代の研究者は、生まれたときに太陽が「見られる」宮から来るすべてのエネルギーが彼に衝突し、彼を通して流れると考える傾向がある。彼はまた、自分自身を自らのホロスコープの宮を支配する様々な惑星のフォースに敏感なものと見なしている。そして彼は、自らの生活傾向と環境がこのようにして決定されると信じている。・・・他の星座や多くの「隠された」惑星から常に私たちの惑星に働きかけるエネルギーにはわずかな酌量しか与えられなかった。不朽の智慧は、このようなエネルギーが私たちの太陽系に約七十あると主張する。」
(TH第2巻第3章1. 占星学. p230:『秘教占星学』より)

太陽系に70もの惑星がある!?と、すれば、私たちは本当にまだ何も知っていない、ということになる。影響を受けているエネルギーを。


「ホロスコープは多くの場合、未発達な人々や目覚めていない人々を図解する上では全く正確である。しかし、高く進化した人々との場合には全く不正確である。」
(TH第2巻第3章2. ホロスコープ. p235:『ホワイトマジック』より)

「・・・秘教占星学は形態にではなく、魂に関係している。・・・」
(TH第2巻第3章1. 占星学. p235:『秘教占星学』より)


とのこと。私はあと数年してから『秘教占星学』も学んでいきたいと思っているけれど、占星術をやられている方、是非、『秘教占星学』も学んでみては。




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# by phytobalance | 2016-09-29 22:11 | アリス・ベイリー・AB

エソ基礎9月前半:真理の啓示 つづき

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『トランスヒマラヤ密教入門』の学びも6か月目に入る。
今回は、第2巻生命としての地球、第2章真理の啓示の続きで、「教え」、「導き(ガイド!)」、「教育」、「言葉による限定」、「秘教」、「秘教学派」について学ぶ。このあたりのテーマだと、その教えも、私たちの日々の生きる姿勢や行動にもぐっと照らし合わせられるものが多い。注意点、戒めが沢山!

そのひとつが「導き」に。これは、いわゆる高次からのガイド・声、内なる声、などのことなのだけれど、お「導き」と思いきや、実は、勘違いだったり、導きの源が適切なものでなかったり、と要注意。その「導き」の源をしっかりと見極める重要性を説いている。「導きのタイプ」については、私が王道ブログと呼んでいる神尾先生の「スピリチュアリティの王道」で、しっかりと列挙されているので、そちらを必ず、ご一読くださいね。

神尾学と学ぶ!スピリチュアルの王道
神からの「導き」の源泉の種類 ~ 『トランス・ヒマラヤ密教入門』より


もうひとつ、わたしからのハイライトは、「教育」から。

「真の教育とは、人間を構成する部分部分を結びつけ、次にその人を身近な環境へと、さらに、人間が役割を演じなければならない場であるより大きな全体へと結びつける科学である。」
(TH第2巻第2章8.教育.P192:『新しい時代の教育』より)

さらっと読むと、そんなものだろう、、と思ってしまうけど、果たして今の教育が、このような視点でなされているだろうか。教育学で何が語られているかは、専門外なのでよくわからないけど、少なくても学校教育では、学ぶべき、または、知るべき「内容」を覚えることに比重が置かれ、私たちの存在やあり方、、なんて、考えたりするような機会はないように思う。道徳とか倫理の授業が、その一部を担っているのかもしれないけど、全体から俯瞰的に考えていくような方向性ではないような気がする。どうかな。(秘教的なビジョンが理解されていなかったとしても)


「次の二つの主要なアイディアがあらゆる国の子供たちに教えられなければならない。それは、個人の持つ価値と、人類は一つであるという事実である。」
(TH第2巻第2章8.教育.P193:『新しい時代の教育』より)

突飛なアイディアでもないが、今の、少なくても日本の教育が、これを主眼として教えている、とは言い難い。


「親や教育者はどのような努力をしたらよいのであろうか。
何よりもまず最初に、特定の特質が花開き現れることができる雰囲気を提供するよう努力をすべきである。」
(TH第2巻第2章8.教育.P194:『新しい時代の教育』より)

「個人の持つ価値」を花開かせるために、どうするか、ということ。
その雰囲気とは何か、その次に続く。抜粋すると・・・


「1 愛の雰囲気。 この雰囲気の中では、恐怖心は追い出され、子供は遠慮したり内気になったり警戒したりする必要が無いことに気づく。・・・

2 忍耐の雰囲気。このような雰囲気があれば、子供は正常かつ自然に知識の光の探究者になることができる。問いかけに対して素早い反応が、あらゆる質問に注意深い返事が、いつも帰ってくることを子供は確信し、いそがなければならないという感覚を全く持たなくなる・・・

3 秩序ある活動の雰囲気。この雰囲気の中で、子供は責任についての最初の初歩的な事柄を学ぶことができる。・・・

4 理解の雰囲気。この雰囲気の中で、子供はいつも自分の行動の理由と動機が認められること、さらに年上の仲間は、彼がしたことや彼の活動にいつも賛成するとは限らないが、彼の動機となる衝動の性質をいつも理解してくれること、これらを確信することになる。」
(TH第2巻第2章8.教育.P195-6:『新しい時代の教育』より)

教育者が、こういう雰囲気づくりを教育として必ずしても意識はしていないような気がする。
親たちの中では、無意識的にやっている人たちもいるのではないかな、とは思うけど。


「きわめて不必要な罪悪感、罪深いという意識、間違った行いをしているという感覚を、早い時期から子供の内面に植えつけているのは年輩の世代である。本当に悪いことではないが親や教師を困らせるどうでもよい瑣末なことがあまりにも重視されるため、何が悪いことなのかについての真の感覚が覆い隠されてしまい、あるがままに認識されなくなってしまう。多くの瑣末でどうでもよい罪が、「駄目」と常に繰り返し言い、「行儀が悪いよ」という言葉を使うことで子供に植えつけられており、それは主に、親が子供を理解してやり子供の関心を引くのに失敗したためであるが、そのような罪は実際に何ら重要でない。子供の生活のこのような面を正しく扱うならば、本当に悪いこと、つまり他人の権利の侵害、…個人的な獲得のために他人を傷つけたり損害をあたえたりすることがどういうことなのかが、正しく考えることで適切な時期になればわかってくるであろう。」
(TH第2巻第2章8.教育.P196:『新しい時代の教育』より)

子を持つ親は、ドキッとするのではないかと思う。今一度、心に留め、深めたいことだと思う。






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# by phytobalance | 2016-09-15 20:19 | アリス・ベイリー・AB

エソ基礎8月後半:真理の啓示

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『トランスヒマラヤ密教入門』8月後半は、第2巻:生命としての地球、第2章:真理の啓示を学ぶ。

最初に真理(Truth)について、いくつかの引用が続くが、神尾先生もブログで引用された部分、これは、本当に大切なこと、日々の生活から、大局的な社会的姿勢において、心すべきことと感じるので、ここでも引用してみる。


「すべての正しいアイディアは性質上、一時的なものである。そのため、部分的に正しいものとして認識され、より大きな真理にその座を譲らなければならない。その時代の事実はのちに、より大きな事実の部分とみなされるようになる。

人間は不朽の知恵のいくつかの小さな原理を明瞭に把握し、それらの正しさを確信できるようになったため、より大きな全体を忘れて、・・・そして、それが限定になり、彼を捉えて彼の進歩を阻むものになる。自分には真理があると確信しているため、他の真理を見ることができなくなるのである。

真理かもしれないものについて自分自身で具体化した概念の真実性を確信できるため、自らの脳の限界を忘れ、・・・個人的な分離したマインドによって形態へと形成されていることを忘れてしまう。その小さな真理のために生きるようになり、それ以外のものは見えなくなる。そして、人々に自分の想念形態を押し付け、[想念形態に、]憑依された狂信者になる。たとえ世間が彼を正気と見なしたとしても、メンタル的にはアンバランスな人間になってしまうのである。」
(TH第2巻第2章1.真理.P152-153:『ホワイト・マジック』より)


この引用から、すぐに浮かんだことは、3つ。

1つは、私が携わるセラピーやヒーリング、スピリチュアルな教えの分野では顕著であるが、何かの教えに感銘を受け、もしくは、それが真実だと思えた時、意識的か無意識的か、視野が狭くなったり、他を排除する傾向がいくらかでもでてきてしまうことである。ある医師が、『セラピスト達は、自分がやっていることが一番だと思い、他を排除している、、』と何度となく指摘していた。そうでもないだろう、とは思ってはいたが、改めて、振り返る必要がありそうだ。

もう1つは、宗教を信じる心について。渡米して間もないころ、敬虔なクリスチャンの友人ができた。高校時代キリスト教の洗礼を受ける直前でやめた自分の経験と知識から、彼女に「キリスト教の教えはよいと思うけど、排他的なところが好きになれない」と言ってみた。彼女はためらいもなく、「自分が本当にこの教えが一番だと信じているのだから、他がよいと思えないのは当然だ」と返した。その時の私は、本当に信じるということはそういうことなのだろうな、仕方ないな、と妙に納得したものだった。

もう1つは、科学、学問の世界における姿勢。特に、偉大なる発見があったり、思想が生み出されると、発見した本人のみならず、世界的にそれが真理になってしまう。世の中全体が、その考え方の枠組みでしかものを見ることができなくなってしまう、ということ。DNAを絶対視する生物学におけるセントラルドグマや、医学における機械論的身体の見方など。科学の歴史において、いくつもの偉大なる発見が、度々覆されてきたにもかかわらず、、だ。物質主義や資本主義などの思想も同じこと。


面白いことに、科学については、啓示(Revelation)の箇所にこんな風に登場していた。

「キリストの時代以降の真の啓示の多くは科学の線に沿って世界にもたらされた。…科学の啓示は、それが基本的根本的なものであるとき、宗教の啓示と同様に神聖なものであるが、その両方が人間の要求を満たすために悪用されてきた。科学が人類の古傷を癒し、よりよいより幸福な世界を築くために最善を尽くすようになる時代はすぐそこまで来ている。」
(TH第2巻第2章3.啓示.P161:『グラマー』より)

科学的大発見は、やはり啓示であることには違いない。ただ、先の引用にあるように、それは一時的なものであり、いずれより大きな真理の一部になるにすぎないということを知り、そのような視野で受け止める必要があるということだ。

それにしても、「その両方が人間の要求を満たすために悪用されてきた」とは、確かに。科学においても、宗教においても。

私が洗礼を受けなかった理由は、キリスト教の名のもとに、いかに沢山の悪行が行われてきたかを世界史で学んだからだった。人間が「人間の要求を満たすために悪用」したから、、とは明確には理解できていなかったんだな。あの頃は。


その後、私は大学で歴史学科に進み、西洋史を専攻した。しかし、選んだ時代は、西洋史の花形ルネッサンス期でも無く、ローマ時代でも無く、古代ギリシアだった。キリストが生まれる以前の時代だ。
(余談 :-))






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# by phytobalance | 2016-08-25 19:49 | アリス・ベイリー・AB

エソ基礎8月前半 奉仕

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エソテリックヒーリング基礎講座も早4か月目。
トランスヒマラヤ密教入門第2巻第1章「生命としての地球」の続き。
今回のテーマは「奉仕」。

秘教では、進化には、「瞑想」と「奉仕」が不可欠とされている。昨今、多くの人たちが、いろいろな形で瞑想を試みている。そして、数々の震災、災害を経て、日本ではここ20年くらいの間に、いわゆる「ボランティア」が市民権を得て、身近な活動になってきた。ボランティアは、一般には、奉仕とも解釈されているけれど、秘教では、「奉仕」とは何かを深く説いている。


「真の奉仕は愛あるハートと知的なマインドの自然な流出である。それは、正しい位置にあり、そこにとどまることによる結果である。それは、霊的なフォースの必然的な流入によって生まれるものであって、物質界での忙しい活動によって生まれるのではない。・・・」
TH第2巻第1章16.奉仕者と奉仕.P127:『ホワイト・マジック』より)

ハートからの愛があるだけでは、よろしくなさそう。
知的なマインド、、とは、情緒的な性質や沸き立つどのような低位の欲求にも妨げられることのない、想念形態(具体化されたエネルギー)を創造するもの、、とされている。だから、ただ、頭を使っていればそれに相当するわけではない。知的なマインドを正しく働かせるのは、そう簡単ではないのだ。(真の奉仕とやら、できそうにないなー。)


「・・・彼(真の奉仕者)は自我を忘れて奉仕し、献身的に振る舞い、自分が成し遂げた達成の偉大さや失敗について語らず、自分の価値や有益性についての先入観を抱くことはない。」
TH第2巻第1章16.奉仕者と奉仕.P127:『ホワイト・マジック』より)

つまり、、、「連休を利用して、被災地にボランティにア行ってきました―!」のようなツイートやインスタはない、ということなんですねぇ。ドキッとしますがね。


2巻第1章「16.奉仕者と奉仕」(p126p143)には、さらに、「奉仕の動機」、「奉仕の方法」、「行動に伴う態度」、が説明されている。どれも深い教えなのだけど、以下、「行動に伴う態度」から抜粋。


「・・・彼(完璧な奉仕者)は、自分が行ったことへの誇りや達成できなかったことによる過度の意気消沈に苦しむことはない。彼は終始最善を尽くし、後向きの黙想に時間を浪費せず、次なる義務の達成に向けて着実に前進する。過去の行いをくよくよ考えたり、かつての業績に思いを巡らせたりすることは退化であり、奉仕者は進化の法則にかかわるよう努めるべきである。・・・」
TH第2巻第1章16.奉仕者と奉仕.P135:『秘教瞑想に関する手紙』より)

最善を尽せばよいのだと、説いている。最善を尽くしたのであれば、振り返ることも悔やむこともなく、ただ、また、先に進む、、、。
確かに、最善を尽くしたのだから、それ以上もそれ以下もないのである。だから気にするな、、と。
わかるけど、これはそんなに簡単なことではない。


そして、さらにこう続く・・・


「・・・自分が知っている限りの最良のことを誠意をもって行ったのであれば、結果が予期したものでなかったとしても気にすることはない。内なる自己が平静なまま責めることがないならば、非難を浴びせられたとしても気にすることはない。・・・・・友人、親戚、子供、かつて喜ばせてくれた評判、周囲の仲間の賛同を失ったとしても気にすることはない。」
TH第2巻第1章16.奉仕者と奉仕.P135:『秘教瞑想に関する手紙』より)

うぉ~。奉仕を行う、ということは、こういうことだそうだ。
最善を尽くして、結果には執着しない。
結果に執着しようもないほどに最善を尽くす、、ということなのだろう。

「すべてを出し切ったのだから、順位は気にしない、、、」
とオリンピック代表アスリートが言っていたね。なんか、それに共通するところもあるような気がする。

喜ぶ顔が見たい、、、から、するのであれば、それは少なくても秘教でいう「奉仕」ではないのであろう。






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# by phytobalance | 2016-08-14 20:58 | アリス・ベイリー・AB

エソ基礎7月後半 生命としての地球 つづき・・・

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トランスヒマラヤ密教入門第2巻は、「生命としての地球」という副題だけに、そのフォーカスが個人ではなく、もっと大きな枠組みについて述べている。初めて聞くような内容もあれば、なるほど~と感心する部分もあり、また、そうかもしれないけど、そこまで言ったら怪しいとか、単に宗教じゃない、、と一蹴する人々がいそうだな~という概念も含まれている。なので、比較的宇宙スケールというか神秘的ではないもの、、、私たちの実践にも重ね合わせられるようなところを1つセレクトしてみることにする。


その前に、いくつか用語の説明。
マスター(大師)とは、高次のイニシエーションを得た存在のことを指す。では、イニシエーションとは何、ということだが、要は魂の進化段階という風に理解しておけばとりあえずよいと思う。但し、今生に生を受けて人間として生きている者のほとんどが、低次のイニシエーションであっても、そう簡単に達するレベルではない、、。弟子とは、低次のイニシエーションを受けた人。熱誠家は、弟子見習い、とでもいう位置づけとのこと。まだイニシエーションは受けていない。秘教を始めとして、精神性を高める学びを継続している人や修行をしている人は、熱誠家のカテゴリーに入るらしい。


「陳腐にも、「弟子の準備が整ったときに大師は現れるであろう」と、熱誠家は聞かされてきた。そして、彼は気楽に座って、大師を待ち、もしくは自分は準備ができており十分に善良であるという思いを明確にマインドに添えて、ある大師の注目を引き付けようという試みに集中する。彼は自分自身に時々霊的な激励を与え、訓練と浄化の作業に発作的に精を出す。しかし、着実に長期に渡って横道に逸れずに熱誠家が努力することはまさに稀である。・・」
TH第2巻第1章9.大師. P77:『ホワイト・マジック』より)

弟子とか熱誠家など、よくわからない位置づけを用いなくても、この文は、精神性、スピリチュアリティを高めたいと思っている人たちには、響いてくるものなのではないかと思う。大師の接触を望んているかはともかくとして、「発作的に精をだす、、、」には、思わず苦笑してしまう、、。


「・・次のことを覚えておかなければならない。大師が熱誠家を彼の弟子のグループに加入させたとき、その熱誠家は長い間お荷物であり、しばしば邪魔者である。学ぶ人々はしばしば自らを過大評価しており、そうは思わないときでさえ実際には過大評価している。彼らは主観的に自分のことを気に入っており、なぜ大師方が印を与えないのか、なぜ見守っていることを示さないのかとしばしば困惑する。」
TH第2巻第1章9.大師. P78:『ホワイト・マジック』より)

「過大評価・・・」 していると思わなくても、しているそうだ。そうらしい。ん~。
「長い間お荷物・・・」なんだとぉー。修行の道は長い。大師、許せ。


「熱誠家が、より低位の教師たち、書籍、印刷された世界の聖典などから得た知識を完全に活用するようになるまで、大師はそのようにはしないであろうし、そうする必要もない。」
TH第2巻第1章9.大師. P78:『ホワイト・マジック』より)

まずは、目の前にあるものをしっかり学び、活用、実践せよ、、という。目の前にあるアリス・ベイリーから得られる知識を完全に活用する!なんて、、、、。今生でどこまでできるものなのか。


「当面の義務に精を出し、世界への奉仕のために自分の道具を整備しなければならない。」
TH第2巻第1章9.大師. P78:『ホワイト・マジック』より)

秘教では、進化のためには、奉仕が不可欠。しかもこの奉仕、ただ、ボランティアやればよい、、というわけではない。これについては、次回に詳しくやるようなのだけど。「奉仕」は、キーワード♪
そして、自分の「道具」を整備・・・。自分を磨け、ということだな。


「そして、大師を求めることで時間を無駄にすべきではない。いま挫かれたところで、勝利を得るべきであり、そしてそのとき、奉仕と苦闘の生活において完全な忘我の域に達し、大師の接近を阻むものは無くなるであろう。」
TH第2巻第1章9.大師. P78:『ホワイト・マジック』より)

つまり、やるべきことを淡々とやる、ということ。


大師との接触まで望まないにしろ、成長するには、このような姿勢が大切なのだろう、、と思う。






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# by phytobalance | 2016-07-30 09:24 | アリス・ベイリー・AB

エソ基礎7月前半:生命としての地球

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いよいよ第2巻に突入した『トランス・ヒマラヤ密教入門』。
副題は、「生命としての地球」。

生命としての地球と言っても、生態系とかガイア理論を語っているのではなかった!
秘教では、人類同様、地球にも物質的な側面と、霊性・スピリットの側面があると捉え、第2巻は、そのスピリットの部分の解説だった。

人で言えば、神とか、高次のものに相当するのが、シャンバラ。これは、言ってしまえば、大目的、または、宇宙の進むべき(進化すべき?)方向を指している。そして、ハイラーキー。これは、人で言えば「魂」にあたる。初めて聞いたのであれば、よくわからないし、思いっきり怪しく聞こえるかもしれない。でも、秘教とは、人のみならず、この太陽系宇宙の進化の構造を説き、その方法論を語っているもの。だから、一応、進化というもの、そして、それが望ましいものである、ということが前提である、と捉えておく必要がある。

なぁんて書いている私も、「人間の本質」を解説している第1巻から、いきなり壮大なる宇宙空間的な、、、人類の運命的、歴史的遷移のからくりを説明しているような視野に拡大されており、、ん~、まだ、アジャストしてない!

「霊的ハイラーキーは次のような人々を通して働くことはできない。批判的な言葉を吐く人々、考えや態度が分離的な人々、自分たちの信念や解釈に対する党派心の強い人々。これは事実である。そのため、あなた自身の生活、および世界でのあなた個人の表現を手始めに、適切に活動するように自分自身を訓練して欲しい。」
(TH第2巻第1章5.ハイラーキー p45:『秘教心理学II』より)

ハイラーキーは、ともかく、適切に活動しなさい、ということなので、そう心がけましょうかね。


「私たちの惑星の進化の観点から見て、愛以外のものは存在せず、善意と善をなさんという意思以外のものは存在しない。これは既に存在しており、それが新に顕現するときが今日、惑星史上のどの時期よりも近づいている。」
(TH第2巻第1章6.第五王国(神の王国) p52:『光線とイニシエーション』より)

やはり「愛」なのだ♪そして、「善意」、「善」。わたしたちは、いつもいい人でいられないし、ダークサイドもあるし、、善を繕うことはできない。繕ったら、それは善でないし。でも、最終的には愛に基づく、善が、普通のことにならなくてはならないのだと思う。そこを目指すというか。他の箇所にも何回か出てきたけど、大きな変化、、、進化の時に今、差し掛かっているらしい。そして、意識していてもしていなくても、私たちはその大きなうねりの中にいるということだそうだ。と、いうことは、努力しなくても、善に向かえるのかな~。 :-) 


「死にもの狂いになり、完全に耐え切れなくなったときだけ、…古い道を放棄する準備が整う。個人において真実であることは、大きな規模での人類においても真実であるにちがいない」
(TH第2巻第1章6.第五王国(神の王国) p55:『キリストの再臨』より)

今日の社会や世界情勢を考えると、確かに今、刻々と変化に向かっているような気がしないでもない。古い道を手放し、新しい世界に移行する前兆かのように。


「いまだかつて理論によって救われたものはいない。・・・各々の人間のハートに内在するキリスト意識の目覚めによってだけ救われるのである。」
(TH第2巻第1章7.キリスト p60:『人類の問題』より)

これはキリスト教の話ではない。いかなる宗教を信じていても、信じていなかったとしても、私たちひとりひとりの中に既にある「キリスト意識」について語っているのである。それは、愛と慈悲。そして、それを目覚めさせること、それに基づき日常生活を送ることこそが、救いの道であり、そして、進化の方向性であるというのである。

私たちは、壮大なる枠組みの中で進化を続けているのであろうが、そんなことまで思いを巡らせなくてもよいのかもしれない。秘教には、日々の生活の指針や戒めが沢山書いてある。そんなところから、考えていく、行動していく、、ということで、とりあえずは、いいのだと思う。




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# by phytobalance | 2016-07-05 22:42 | アリス・ベイリー・AB

エソ基礎6月後半:新しい時代

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『トランスヒマラヤ密教』の学びも第1巻最終章までたどり着いた。

第4章 新しい時代

「新時代の特徴は、グループ統合とグループ協力へと向かう傾向、・・・」
(TH第1巻第4章2.新時代 p213:『秘教心理学I』より)

「パイシス時代(うお座の時代。これまでの時代を指す。)がパーソナリティーの発達と強調、パーソナリティーへの集中、パーソナリティー意識の時代であったのに対して、この来るべき時代はグループ相互作用、グループ理想主義、グループ意識の時代である。私たちがいま理解しているような利己主義は徐々に消え去るであろう。」
(TH第1巻第4章2.新時代 p214:『光線とイニシエーション』より)

アリスベイリーを経て伝えられる秘教は、人類の進化について説いているのであるが、次なる進化は、個人的ではなく、「グループ」で行われなくてはならないのである。


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この「グループ意識」は、ダライラマ法王が、先月来日時に説かれたことと、私には重なって響いてくる。

チベット仏教の2つの大きな目的は、
・空を理解する
・菩薩心を起こす
ことであるという。そして、これらを通じて一切知=「智慧」を得ること=悟ること、が究極の目的であろう。空を理解するとは、いわゆる、解脱をすることである。そして、菩提心とは、他を思いやる心、利他の思いのこと。他者の利なくして、自分の利はない、のである。

空の理解と菩提心の発起は、双方ともに到達していくことではあるが、法王は、
「煩悩を無くせば、解脱は可能ではあるが、菩提心なくしては、一切知の境地は得られない」
とおっしゃった。つまり、利他の思いが、悟りに不可欠である、ということである。

修行というと、独りで山にこもってする、、ようなイメージを漠然ともっていたが、悟りは、独りでは成しえないのである。
仏教で言う、利他の思いとは、グループ意識に他ならない。他者の進化なくしては、自己の進化はありえない、グループで進化していかなくてはならないのである。

進化、、というと今一つわからない?先過ぎて?
では、「幸せ」ではどうか。

他者の幸せなくして、自分の幸せはありえないのである。

そんなことは分かっている?

本当に?

私たちは、このことを熟考しなくてはならない。


さて、来月、7月からは、いよいよ『トランスヒマラヤ密教』第2巻を学ぶ。
~生命としての地球~ 楽しみ!




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# by phytobalance | 2016-06-23 18:47 | アリス・ベイリー・AB

エソ基礎6月前半: 時空と錯覚

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エソテリックヒーリング基礎講座6月前半は、トランスヒマラヤ密教第1巻第3章「時空と錯覚」についての学び。

空間:Space

「存在するものは全てエネルギーとみなされる。顕現とはエネルギーの海の顕現であり、このエネルギーのうち、あるものは形態を形作り、あるものはこれらの形態がその中で生き動き存在するための媒体になっている。・・・」
(TH第1巻第3章1.空間p164:『テレパシーとエーテル体』より)

秘教を学んでいたり、エネルギーセラピーに携わっていると、「すべてはエネルギー」という概念は基本前提となっているけど、まだまだ一般ではそのようには心の底から受け止められているわけではない。「エネルギーが形態を形作り・・」については、アインシュタインの方程式E=mc2が、物質とエネルギーは変換可能なことを示している。「・・・これらの形態がその中で生き動き存在するための媒体・・・」は、まさにエネルギーセラピーが有用であると、エネルギーワーカーが信じている所以ね。

時間:Time

「弟子の実践において時間という要素は重要ではない。深く根差した確立された成長が目標である。成長は、しっかりとした適切なものであるならば、ゆっくりである。」
「焦ることはない。あなたの人生において速さを強調する必要はない。・・・・成長のための多くの時間がある。いまここにも、そして他の存在状態においても。」
(TH第1巻第3章2.時間p167:『新しい時代の弟子道I』より)

ここでいう「弟子」は、現在の人類の多くがまだ達していない進化段階にある人々を指しているけれど、そこまで達していない多くの私たちにも同じことが言えるはず。秘教の原則、大宇宙と小宇宙の対応関係があるから。進化というとわかりにくいけれど、自己成長、と捉えれば、私たちの経験と重ね合わせることができるかもしれない。

知識を得るのと違って、成長することは、計画することなんてできないな、と実感したことがあった。知識を教えるものは、勉強すれば知識は得られるので、講師資格を取る計画を立てられたけど、成長を伴わないとお伝えできないものは、講師になれるとは思えなかったし、もちろん、計画なんて立てられなかった。成長がいつ起こるか、本当に起こるのかも、全くわからなかったから。

成長のスピードも人それぞれだし、それぞれの段階で速かったり、遅かったりするのだろうけど、いずれにしても、焦らなくてよい、、ということらしい。焦って成長できるわけでないし、それに、成長に終わりはないしね。起こる時に起こるのだろう。(今生でないかも~ :-))

f0053026_21184482.jpgグラマー:Glamour

待ってました!でも、分かりやすく書けるかな。あれもこれもグラマーだし。気づいてないものもいっぱいありそうだし・・・

グラマーとは、錯覚のこと。秘教においては、エーテル(物質)界のグラマーをマーヤ、アストラル界のグラマーを(狭義の)グラマー、そして、メンタル界のグラマーをイリュージョンという。グラマーにより、真理が覆い隠され、秘教の目的でもある魂のつながりへの道が阻まれるのである。アストラル(感情・情緒)的に支配されている現代の多くの私たちにとって、特に狭義のグラマーは強力で、私たちは錯覚していることすら気づいていないらしい。

以下、狭義のアストラル的グラマーについて。

「見習いの道において人は、中庸の道が見つかり明らかになるまで、相反する対をなすものの間の揺れ動きを意識的に感知する。この活動が相反する対をなすものというグラマーを生み出すのである。それは濃密な霧のような性質を帯びており、弟子が二重性の間を揺れ動くときに、あるときは喜びと至福に、あるときは暗黒と意気消沈に色づけられる。この状態は感情に強調が置いている限り持続する―この感情は、人が献身や熱誠を向ける対象と同一化するよう努力するときの素晴らしい喜びと、そうすることに失敗したことで陥る暗澹たる絶望と衰退感との間の全域に及ぶ。」
(TH第1巻第3章4.グラマーp170:『グラマー』より)

相反する対をなすもの、、愛と憎しみ、喜びと恐れ、上と下、陰と陽、、相反するもの、と捉えること自体が一種のグラマー、錯覚ということ、、、。

「生活と環境に対する自身の反応を深く疑うことは、そのような反応が批判分離性、もしくはプライドを目覚めさせ呼び起こすとき価値がある。ここで上げた特質は明確に、グラマーを増大させるものである。これらは秘教的に言って「グラマー的な特性」である。このことについて熟考しなさい。もしこれら三つの特性から自分自身を解放できるならば、まさにすべてのグラマーを放棄し消散させる途上にある。・・」
(TH第1巻第3章4.グラマーp171:『グラマー』より)

出ました、「熟考しなさい」。ここがポイントに違いない!批判については、批判の目を持つこと自体ではなく、批判を主張する、、とでもいうのかな、そういうことがグラマーである、とのこと。プライドも要注意。今は、SNSで、自由に意見を言ったり、批判したり、自分が成した出来事を表現している。しかし、それはグラマーを増大させるだけ。つまり、ますます錯覚を起こさせるということらしい。それらを必ずしもやってはいけない、というのではなく、それがグラマーなのだ、と認識することが大切だそうだ。

グラマーは沢山ある。個人的なものから、世界的なものまで。

「行うべき仕事があり、語り働く宿命がある」宿命というグラマー
「自分が熱誠家であるという事実に安心する」熱誠というグラマー
「自分の視点が絶対に正しいとみなす信念」である自信というグラマー
「責任感を過剰に重視させ、無駄な行動と重要でないものを強調させる」義務というグラマー
「欲求不満、虚無感、無力感を生み出す」周囲の状況というグラマー
「マインドにはあらゆる問題に対処する能力と力量があると思い込ませる」マインドというグラマー
「一つのアイディア、一人の人物、一つの権威、真理のある一つの面しか見えない」献身というグラマー
「平安と効果的な働きを台無しにする」欲求というグラマー
個人的な野心というグラマー」。
(TH第1巻第3章4.グラマーp173-4:『新しい時代の弟子道I』より)

まだまだある。
ほとんど全ては錯覚、、、なのであろう。
ふぅ。。。本当に熟考せねば、、、。




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# by phytobalance | 2016-06-09 21:31 | アリス・ベイリー・AB