既定11
法則を行使するものは三つのことを今達成せねばならない。まずは、取り囲む球状の壁の中に生命たちを閉じ込めるための公式を突き止めよ。次に、何をなし、作ったものをどこに運ぶべきかを彼らに告げる言葉を発せよ。最後に生命たちの作用から自身を守る神秘的な言葉を唱えよ。
自分が創造した想念形態からの救済
「黒魔術と白魔術の違いが見られるのはまさしくここ、思考の使い方である。
多くの生涯にわたって自己拡大に集中し、個人的な所有に没頭し、人々にどのような犠牲を強いても自分自身の満足と喜びを達成しようとしてきた、メンタル物質を操作する人々の特徴は、利己主義、無慈悲、憎悪、残虐性であろう。
幸いにもそのような人々は非常に数が少ない。しかし、そのような観点に陥ることは容易であり、多くの人々が軽率にも物質性への道を辿らないよう自分自身を見守る必要がある。
グループ意識と責任感の漸進的かつ着実な成長、個我の願望の放棄、愛ある精神の権限が神聖な全体の生命の側へと向かっている人々の特徴である。」
(下p193)
ダークサイド、、、左手の道に陥るのはごく簡単なこと。
自分は大丈夫、、と思っていても、落とし穴はあちらこちらにある。
人間は三つの主要なグループに分けられるのだそうだ。(下p193−194)
1. 良くも悪くもなく、短に無思慮でしかない大多数を占める大勢の人々
2. 物質性の側で、つまり、悪の側で明確かつ意識的に働いている少数の、非常に少数の人々
3. 魂の王国への先駆者である相当な数の人々(新時代のアイディアの代表者)
このうち、2と3の人々が、思考を活用している。
そこで、熱誠家による思考の活用、なすべき仕事を行う手助けになるような実践的なアイディアとヒントが示されている。
「どんな真剣で献身的であっても欠点のない熱誠家は一人もいない・・・すべての熱誠家はまだ利己的であり、まだ短気で怒りっぽく、意気消沈し、時には憎悪に支配されることさえある。この怒りっぽさや憎悪は、正当な原因と思われるものによって起こることも多い。他の人々への不正、人間や動物への虐待、同法に対する憎悪や悪意、これらが彼らの中にそれ相応の反応を引き起こし、多くの苦悩と遅滞を引き起こすのである。・・・もし熱誠家が仲間に憎悪を抱かせ、短気を起こさせ、嫌悪や敵意を向けさせるならば、彼自身が完全には無害ではないということである。まだ彼の中に困難の種子がある。
なぜなら、私たちは自らが与えたものを受け取り、自らの活動に応じて − 物質的、情緒的、メンタル的な − 反作用を生じさせるというのが、自然の法則だからである。」(下p194-195)
相手も周りも、まさに自分の鏡。これは、自然の法則なのだ。
このあたりから、ドキっとすることが沢山書かれている。ホント、実践的というか、日常での自分の態度だったり、よく遭遇する状況だったり。
グサグサくる・・・
だからホワイトマジックが好きなのだけど。
そこで、熱誠家の教訓が三つ与えられている。(下p196−197)
1. 熱誠家が建設する想念形態はすべて、何らかの情緒つまり欲求の衝動のもとに建設されており、イルミネーションの光の中で建設され、何らかの直感を具体化していることは稀である。
2. そのようにして建設された想念形態は、
①創造者のメンタル・オーラを構成する想念形態の分厚い壁の一部になり、リアリティーから遮断し、彼は自ら建設したものの犠牲に成る。想念形態が創造者よりも強力になることで、自分自身の考えに憑依され、自分自身が創造したものに駆り立てられることになる。
②想念形態は他の人のメンタル・オーラやあるグループの中に入り込む。類似した衝動的な形態がそれと合体し、同じ振動率を帯びるようになる。グループは、周囲に想念形態に遮断壁を築き、ある考えに憑依されるようになる。
3. 想念形態の責任は創造者にある。想念形態は彼の生命ある目的意識と結果のカルマによって彼と結びついており、自らが建設したものを破壊するという究極的な仕事は彼自身が行わなければならない。これは、善であれ悪であれ、すべての具体化されたアイディアに言えること。
「考えることを学ぶ途上にある熱誠家の場合、真のアイディアについての自分の誤った理解を具体化するために想念物質を用いがちである。また、思考の力を通して自分の好き嫌いを表現し、自分のパーソナリティーの欲求を満たすためにマインド・スタッフを用いる傾向がある。」(下p197)
誤った理解であることに気づかずして、想念物質を使ってしまうのだなぁ・・・
なので、力強い思考者が他のマインドに過剰な影響を与えないための三つの方法が与えられている。(下p200)
・抑制:分かち合いたいという願望などからの防御は、想念形態をメンタル・レベルに保ち、アストラル界の物質の付着を防ぐ。
・分解:邪悪な情報、嘘、ゴシップは、愛によってその活力を奪い、平和と調和という、それに対抗する想念形態の力によって破壊する。
・吸収:悲しい出来事や悪い出来事が起きた時などは、その想念形態をハートに吸収し、愛の錬金術によって変性する。
上記は、想念質料の誤って使っているものへの対処法だが、誤って使ってしまうことによる三つの罰(危険)が示されている。熱誠家は、これらの罰から自分を守り、そのような行為をしないようにしなくてはならない。(下p200-203)
1. ブーメラン作用 − 創造者自身に必ず戻って来る
2. 毒として作用 − 熱誠家自身の人生を荒廃させるくらいの力はある
3. 具現化された自分自身のアイディアによって憑依される
これらの危険からの防御として、以下が述べられているが、いずれも努力なくしてなすことはできそうにない。
1. 無害性を常に実践する
2. 想念の扉を毎日監視し、思考生活を管理する(古い思考習慣、先入観を退ける)
3. 高位マインドの世界(アイディア、魂の世界)と低位マインドの世界(人間の想念、大衆意識)の両方の世界で自由な媒介として機能する。− 毎日の瞑想が必要
4. 自分自身の想念創造物に執着することなくそれらを知的に送り出した目的をそれらに自由に達成させるようにする
修行の継続が必要だ。
死からの救済
死は、どのような形態も免れることができない。
とのことだが、ここでは、肉体性質からの救済について述べられている。
覚えておくこと。2点。(下p206-207)
・肉体性質とは、統合されたパーソナリティー、つまり、肉体、活力(エーテル)体、欲求性質の物質、マインド・スタッフからなる人間装備。転生した魂の鞘、外的形態。
・この救済は、死と呼ぶ神秘的な体験を正しく理解することによってもたらされる。
死は、本質的に意識の問題であるという。それは、ある瞬間には物質界を意識し、次の瞬間には他の界層を意識し、そこで活動することであるから。(下p208)つまり、意識を別な界層に転換することが、死、、、のようだ。
私たちは何度も死んできたし、これからも何度も死ぬのだから、死は、私たちにとっても最も慣れ親しんだ活動の一つなのだと言う。実際、私たちは、毎晩、睡眠中に死に、物質界から脱して、別のところで生き活動している。(下p208)
睡眠も死であることの説明がなされている。(下p208-210)
・魂の糸である生命の流れ(スートラートマ)は、肉体に届いた時に二つの流れ(糸)に分かれ、一つは、脳内の松果体に錨を下ろし、もう一つは、心臓に錨を下ろす。
・前者は、人を自我意識と自己思考生を持つ知的な理性的実在にし、神経系、内分泌系と関係する。
・後者は、生命原理、自己決定の原理、陽エネルギーの中心核であり、肉体の全ての原子を正しい位置に保ち、魂の「存在しようという意思」に従わせる。その表現手段と統御媒体として血流を用いる。
・睡眠中は、脳に怒りを下ろしているエネルギーの糸だけが引き上げられ、これが起こった時、人は無意識になる。
・死の場合は、両方の糸が引き上げられ、生命の糸に統合される。
なるほど、エネルギーの引き上げられ方が違うだけなのか。
「人間は気づいていなくても、死が魂の指図の元に行なわれている・・・」(下p211)
魂が死期を決める、、、。
高く進歩した人の場合は、魂と接触し、魂の願望を認識しているため、死期についての予知感覚がしばしば見られ、イニシエートの場合は、意識の連続性を保持することで、意識的かつ完全に目覚めた状態で肉体を抜け出して、アストラル界で機能することができる。(下p211-212)
とのことだが、
「人々を転生へと入らせるときに用いる科学的な方法と、人々を転生から外させるときに用いる完全に盲目的でしばしば恐怖感を与える全く無知な方法の間には、現在、大きな隔たりがある。」
(下p213)
とし、しかし、JK大師は、ここで、あの畳み掛けるような問いかけをする。
・死という行為が勝利の終幕と考えられる時のことを想像できないであろうか。
・死の床で過ごす時間が意識的な脱出への栄光ある序章でしかなくなる時を思い描くことはできないであろうか。
・人間は肉体の鞘という障害を放棄するよう運命づけられているという事実が、彼と彼の周囲にいる人々にとって、長い間待ち望まれた喜ばしい達成になる時のことを思い描くことはできないであろうか。
・涙も恐れもなく、また避けることのできないものを認めたくないという態度もなく、死に行く人と友人たちが共に死の時を認め合い、彼岸に渡ることが幸福以外の何ものでもないことを認め合うようになる時を思い描くことはできないであろうか。
・残された人々の心に悲しみの思いが入り込まず、死の床が誕生や結婚以上に幸福な出来事であると見なされるようになる時のことを思い描くことはできないであろうか。
・人類のうち知的な人々にとって完全にそのようになるのはそれほど遠い将来のことではなく、すべての人々にとって徐々にそのようになるであろうと、私はあなたに告げる。
(下p213-214)
JK大師が、このような問いかけをする時、最近では、私は愛を感じるのだ。
本当に大切なこと、わかって欲しいことを、なんとか分かってもらいために、問いかけているのだ。
そして、大師は言う。
「死をいつまでも、私たちには統御することのできない、必然的に私たちを打ち負かすものにしておかずに、彼岸へ移る過程を制御し、移行のテクニックをいくらかでも理解し始めよう・・」(下p214)
と、いうことで、移行の、、つまり、死を迎えるテクニックのヒントが与えられているが、それは、熱誠家たちの多くの実践に新しい意味をもたらすという。今、次に歩むべき大いなるステップは、「意識の連続性をもたらす」ものであるとのことだが、それによって、すべての死の恐怖が取り除かれ、物質界とアストラル界が実際に一つの界層になるほどまで密接に結び付けられる(下p217)、のだそうだ。
そして、死を迎える時に、何の問題も起こらないようにするために、すべての人々が従うことのできる簡単な四つの規定が与えられている。(下p218-220)
1. 心象化と瞑想、集中の着実な実践を通して頭部に集中し続ける
2. ハートの奉仕を行う:(奉仕を個人に捧げているのか、グループメンバーに捧げているのか、同期は魂の衝動であろうか?)
3. 眠りに入るときに意識を頭部に引き上げる(アストラル界に意識的に移行するまで、意識をそのままの状態に保つように努める)
4. 瞑想時、入眠時に、この引き下がりの過程に関連したすべての現象を記録し、見守る
「この実践を続け、この四つの規定に数年間従うことによって、死の床でのテクニックを非常に容易に行うことができるようになる・・・」(下p219)
恐怖がなくなる、、ということか。苦しまずに死ねる、ということか。
いずれにしても、1と2は、死の床のテクを考えなくてもやるべきこと。
3と4は試みたが、すぐに眠ってしまって、記録や見守るどころではなかった。
今夜もやってみようか。
最後に、魂の移行をより容易にするための要点が述べられている。(下p219-221)
・部屋を静寂にする
・蘇生する可能性の無い人が死を迎える部屋には、オレンジ色の光だけが適切な儀式とともに点される
・肉体からの魂の抽出を容易にする音楽はまだ存在しないが、オルガンの音色に効果がある
・頚動脈と頭部にある大神経、延髄のある点を圧迫することが有効である
・マントラムが用いられる
・身体に油を塗る
・頭頂を東に向ける
・足や両手は交差させる
・お香は白檀だけ炊く
規定11 おわり
これでアストラル界の規定は終わり。
次回からは、物質界の規定に入る。