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魂の光 第二の書 スートラ10~18

前回は、「妨げ」を生み出す困難についての解説で終わった。

今回は、そこから、カルマのお話へと入っていく。

では、スートラ行きます。
(スートラの赤紫文字『魂の光』黄色文字『インテグラル・ヨーガ』


10 この五つの妨げを精妙な意味で知ったとき、それとは反対のメンタル的な姿勢をとることで、それらは克服できる。
(これらの障害〔煩悩〕が微妙な状態にあるときは、始源の原因【=自我】に還元することによって破壊することができる。)

「精妙な意味で知ったとき」とは、「内なる人間が認識したとき」の意味だそうだ。

第一の書にも出てきたけど、精妙(subtle)なものは、粗雑(gross)なものと対比される。
精妙なものは、「印象」で理解されるもの、粗雑なものは「マインド」で理解されるもの、と解釈してよいと思われるが。

それにしても、『インテグラルヨーガ』では、「微妙」と訳がついている。subtleの訳であれば間違えではないけど、精妙とはイメージが違うなぁ。

克服は、障害の性質を(1)認識し、(2)メンタル界から働きかける、ことから始めよ、と言う。
(ここでは、「障害」という言葉を使っている。妨げと同じなのか?)

思考の道具を支配し、その道具の使い方を学ぶことで、妨げをそれとは反対の流れによって相殺できるのだとしている。

「妨げそれ自体は、間違った思考習慣と思考原理の誤用が引き起こす結果である。それらが「障害を生む形態」を生み出す種子であることを精妙な意味で知ったとき、解放をもたらす方法を作動させることにつながる正しい思考習慣によってそれらを潜伏段階で絶滅できるようになる。」(p150)


11 それらの活動は、瞑想の過程によって消滅させることができる。
(それらが活動の状態にあれば、瞑想によって破壊することができる。)

「私たちが行うことの多くは自動的であり、長く続けられた情緒的メンタル的な習慣の結果である。本能的に、太古からの実践と触知できる形態の世界への従属によって、物質界での私たちの活動は五つの妨げに支配されている。」(p152)

であるから、スートラ10の「それとは反対のメンタル的姿勢」とは、メンタル的瞑想と一点集中した思考を指しており、それによって、肉体の活動を統御するのである。

潜在する種子(5つの妨げ)への対処へは、一点集中した思考を持って、また、外的な活動の抑制は、思考者、マインド、肉体脳という三つの様相を取り入れる瞑想を持って、行うのである。

この瞑想については、第三の書で述べられている、とのこと。


12 カルマはそれ自体、この五つの妨げに起因し、この生涯か後の生涯で、実を結ばなければならない。
(カルマ【行為とその反作用】〔業〕の子宮の根は、これらの障害の中にあり、そうしたカルマが、見える生【現生】および見えざる生【来世】における諸経験をひき起こす。)

「物質界の人間がこれらの妨げに従属し支配されている限り、人は必然的な結果を生む活動を行い続け、輪廻転生の車輪に縛り付けられ、形態をまとう運命にある。」(p153)

つまり、これがカルマ。

「この五つの妨げが低位のパーソナリティーつまり低位人間のすべての活動を生み出す原因であるということをよく覚えておく必要がある。彼の行動すべてがこのいずれかに基づくものであり、一般の人が三界で行う活動で、無知とそれに伴う誤った同一化と反応がもたらす結果でないものはない。」(p153)

妨げが克服されると、人間を物質的顕現の車輪に結び付けている三重の鎖が一つ一つ切り落とされていく。

最初は「無知の殿堂」にいて、これが意識的な経験の領域になり、その鎖が足かせであり限定であると感じられると、「より精妙な界層」の「学びの殿堂」に入り、欲求(カーマ)とマインドの間違った使用法によって作られた足かせを切断する。後に、「知恵の殿堂」に入り、解放の過程を早める秘教的な方法が教えられる、とのこと。


いずれにしても、前回のスートラ3~9の五つの妨げが、進化していない人間のすべての活動を生み出す源であり、それがカルマをつくる、ということで、以下、スートラ13~16は、カルマの説明。


13 根(サムスカーラ)が存在する限り、その結果として、誕生、人生、そして苦痛や快楽を生み出す様々な経験が起こる。
(根因が存在するかぎり、その結実すなわち、さまざまな生類への再生と寿命と経験とがある。)

熱誠家は、三界における「自らの客観的存在という現象」を引き起こす「原因」に注目しなければならない、とある。

「客観的存在」というのは、ここでは、本質、つまり、魂と離れた状態を意味しており、私たちが克服すべき状態を指している。

その第一の原因は、エゴそのものであり、第二の原因が、三界における感覚的な接触への反応を発達させるようとするエゴの根本的な衝動である。

熱誠家は、エゴ(魂)との「直接的な接触」を確立することによってのみ、背後にある原因を突き止めることができ、将来の活動のサムスカーラつまり種子に対処し始めることができる。

これらの種子はカーマ・マナス的(部分的にメンタル的で、部分的にアストラル的)であり、

a. 低位マナスつまり具体的マインドは、エーテル体を生み出す基本的な要因
b. カーマつまり欲求は、濃密な肉体的媒体を存在へと呼び寄せる主要な要因

である。

根(種子)が三界のいずれかの外的要因からきりはなされたとき、生命エネルギーはもはや流れ下ることはないのである。

カルマは三種類ある。
1. 潜在的なカルマ:未発達で無活動な種子。現在または近い将来の生涯で実を結ぶ
2. 活発なカルマ:身を結ぶ過程にある種子。現在の生涯で開花すべきもの。
3. 新しいカルマ:この生涯で生み出されつつある種子。将来の生涯の状況を支配するようになるもの。


14 これらの種子(サムスカーラ)は、その元の原因が善であるか悪であるかに応じて、快楽か苦痛を生み出す。
(カルマは、善行に起因するものは楽、悪行に起因するものは苦として結実〔業報〕する。)

善とは、すべての形態に宿るリアリティー、魂を通して明らかになる人間の霊、子を通して顕現する父に関連するもの。形態に束縛されない自己に気づいており、物質の束縛から自由であれば、善の力であり、完全に自由であれば、至福をひき起こす。

悪とは、形態、媒体、物質に関連するものであり、自らの顕現体との子との関係に関するもの。形態に閉じ込められ盲目にされているならば、悪の力であり、苦痛をひき起こす。


15 イルミネーションを受けた人には(三界)のすべての存在がグナの活動によって生まれる苦痛と見なされる。グナの活動には三種類あり、様々な結果、心配、潜在意識的な印象を生む。
(得たものを失うことへの恐怖と懸念、結果として心の中に残り新たな切望をひき起こす印象、心を支配する三グナの絶えざる相剋‐これらに鑑みるとき、識別ある者にとっては実にあらゆるものが苦である。)

三つのグナは、すべての形態に生来備わっているもので、物質自体の特質である。

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苦痛とは、これらの形態活動の産物であり、物質と霊という相反する対をなすものの間にある固有の差異がもたらす結果なのである。

苦痛は、過去と現在と未来を網羅する包括的なものである。
1.結果:過去の活動によって、誤りの調整という形で表現されるカルマの解消、間違いの代償の支払いによって引き起こされる苦痛。
2.心配:現在に関するもので、「懸念」とも訳される。悪に苦しむのではないかという恐怖心と、奉仕に失敗するのではないかという恐怖心による苦痛。
3.潜在意識的な印象:未来に関係し、死と苦悩と窮乏の予感に関する苦痛。


16 これから起こる苦痛は避けることができる
(未来の苦は、回避することができる。)

1. これから起こる特定の種類の「不幸」は人間のエネルギーを正しく調整することでさけることができる。マインドの姿勢を変えることで、苦痛に満ちた反応はもはや起こりえなくなり、欲求を変性することによってかつての「苦痛」は起こりえなくなる。

2. 苦痛を生み出す結果を生むような原因を始動させないように現在を生きる。

従って、ヨギの生活では、
1.無執着を実践しようという固い決意
2.低位性質のしっかりとした訓練
という二重の訓練が行われる。

「過去のものを解消できるのは今だけである。苦痛、悲しみ、惨めさを次々にひき起こすタイプのカルマはその自然な成り行きに任せなければならない。現在のカルマ、つまりエゴが現在の生涯で消散させようと計画している結果の凝結にも、魂の解放においてその役割を果たさなければならない。」(p160)

ん、執着を捨ててヨギ的になるまで、苦痛は仕方ない、ということだ。⁼_⁼


17 知覚者と知覚されるものが一つの同じものであるというイリュージョンが(苦痛を生み出す結果の)原因である。これは避けなければならない。
(その、避けうる苦の原因は、見る者【プルシャ】と見られる者【プラクリティ、自然】の結合である。)

はい、復習。知覚者は魂(霊的人間)、知覚されるものは、三界の形態、その現象。

「あらゆる苦痛と悲しみは、霊的人間が三界の客観的な形態やそれらの形態が活動する現象領域と自らを同一化させることによって引き起こされる。」(p161)

もうだいたい分かってきましたねん♪

「感覚の王国から自分自身を引き離し、自分自身が「見て、触れ、聞くことができるものではないもの」であることを知ったとき、彼はあらゆる形態限定から自由になり、聖なる知覚者、演技者として超然としていることができるようになる。」(p161)

はい、これもほぼ繰り返し。分かりますね♪♪

そして、さらに!!

「彼は特定の目的を達成するために自分が欲したときには形態を用いるが、それを自分自身と見なすように仕向ける惑わしには動かされない。」(p161)

道具だからね、使う時は使うけど、それと同一化はしない。
そんな惑わしに動かされてはいけないのである・・が、私たち、常に惑わされてますねぇ~。

DK大師は、熱誠家にとって、今はすべてである三界における三重性の最高要素が、自分であるという意識をしっかりと保っておいてほしい、とおっしゃっておりますぅ。

また、第1様相、第2様相、第3様相なのだけど、つまり、私たちは常に、この第1様相なのであることを知りなさい、という意味。

知覚者 知覚 知覚されるもの
思考者 思考 想念形態
知る者 知識 知識の領域
見る者 視覚 見られるもの
観察者 観察 観察されるもの
観る者 視力 光景

「知覚手段が六つの感覚、つまり聴覚、触覚、視覚、味覚、嗅覚、マインドであり、この六つを超越し、それが何のために存在するのかをしらなければならないということを覚えておくべきである。知覚手段は大いなるマーヤつまりイリュージョンの世界を明らかにする。」(p162)

は~い。

「ラージャ・ヨガの大きな目的は、思考者を思考原理の変異から解放して、想念イリュージョンの大きな世界に溶け込んだり純粋に現象的なものと同一化したりすることのないようにすることである。」(p162)

うん。


18 知覚されるものには、サットヴァ、ラジャス、タマス(リズム、機動性、惰性)という三つの特質がある。それは元素と感覚器官で構成されている。これらを活用することで経験と最終的な解放が得られる。
(見られるものは、照明(プラカーシャ)、活動(クリヤー)、惰性(ステイツテイ)というグナの三つの性向を備え、元素〔五大〕と感覚器官からなっているが、その目的とするところは、プルシャに経験と解放〔解脱〕を与えることである。)

「このスートラは、簡潔な数語で、質料の性質、その構成と目的と理由が要約されているため、この書の中で最も重要なスートラの一つである。」(p163)

わぁ、そうなんだ~。(そこまで、とは思わんかったなぁ・・・)

「それぞれの言葉を考察するのに長い時間をかけてもよいものであり、「特質」「元素」「感覚」「進化」「解放」といった言葉は人間の成長に関係する全要素を言い表している。」(p163)

この五つは、人間が最初に転生した瞬間から、進化完了の全期間を網羅するものなんだって。

では行きま~す。

最初:タマス(惰性)が特徴。
・形態があまりに重く粗雑なため、周囲の環境に気づき、多くの激しい接触が起きる。
・地、水、火、風が形態を築く役割を果たす。
・最初に五感が確立する。

次:ラジャス(活動性)が確立。
・第六感覚つまりマインドも発達し始まる。
・自らを取り巻く全てのものの中に、自分自身の中にあるのと同じ特質と元素を知覚する。
・知識は急速に拡大する。
・知覚者としての自分自身と形態として知覚するもの、その存在する世界との違いに気づく。

その次:サットヴァ(リズム)状態になる
・第六感覚がますます支配的になる。
・真の人間がやがてそれを統御する。
・自分自身の中に調和を生み出し、周囲のすべてのものとも調和する。
・権限はリズムあるものになり、偉大なる全体と調和する。
・光景を見下ろす。
・現象界での活動に用いる形態を正しく統御する。
・あらゆる活動を偉大なる計画と調和させるように気をつける。


「このようになったとき、彼は全体の一部でありながらも、形態、元素、感覚の世界による支配から自由であり、解放されている。彼がそれを使うのであって、もはやそれに使われることはない。」(p164)


あら、また到達した気分。

目的に向かって、やるべきことを最初から一つ一つご指導してくれるのかと思いきや、また、一気に駆け登ってしまった!





by phytobalance | 2018-09-23 06:15 | AB 魂の光