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魂の光 第一の書 スートラ30 ~ 40

これまでにサマーディの段階や、それとは別な方法での魂とのつながり方を学んだが、スートラ30~40は、サマーディに至るまでの障害を説明している。

ヨーガスートラの秘教的解釈は、随分とこれまでの解釈とかけ離れているように思えるかもしれないけど、意外とそんなにかけ離れているわけではないように思えてくる。その違いは、これまでのいろいろな解釈の違い程度を大きくは超えてはいない。

と、思ってしまうのは、秘教的フィルターが培われているから?

秘教的解釈のせいで、スートラ(の解釈)の構造を理解しなくてはならないのだけど、それを『魂の光』のページを切り張りして並べて、関係している内容を線でつなぐ、、という涙ぐましい努力の上にできた補足資料が配布された。(すご過ぎ)

それをパワポに落としてみた!(パクリ)
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さて、スートラ行きまーす。
(スートラの赤紫文字『魂の光』黄色文字『インテグラル・ヨーガ』


30 魂を認識する上で障害になるのは、肉体的無能、知的惰性、間違った疑問、不注意、怠惰、平静の欠如、誤った知覚、集中を達成する能力の欠如、そして、瞑想的な態度を達成したときにその態度を維持できないことである。
(病気、無気力、猜疑、散漫、怠惰、好色、妾見、不動の境地に至りえない状況、獲得した地歩からの滑落 - これらの心の散動が、その障害である。)

図にもあるように障害が9つもあるから、全部は説明できない・・・
少しだけ抜粋。

障害I  肉体的無能
物質媒体の調整:1.免疫アップ、2.エーテル体強化精製、3.エーテル体の火を集中、4.肉体を魂と整列、を要する。ヨガの八支則の最初の3つ:5つの訓戒(ヤマ)、5つの規範(ニヤマ)、正しい姿勢(アーサナ)を実践して、それに熟達した後に初めて3の調整を安全に行える。

障害II 知的惰性
知的惰性は、メンタル体の無気力状態、解ろうとすることができない「惰性」。行動する前に明晰に思考できない限り、問題の大きさを正しく見定めることはできず、十分な勢いは得られない。コントロールすべきマインドすらちゃんとできあがってないため。

障害III 間違った疑問
低位の知覚に基づくもの。人間がイリュージョンの道具であるメンタル体と同一化していることによって起こる。

障害IV 不注意
一点集中と注目の達成を困難にする移ろいやすいメンタル的な姿勢。

障害V 惰性
知的な認識と内なる熱誠に達するのを妨げる低位人間全体の不精のこと。知っていることと行動の間には何の一致も見られない。

障害VI 平静の欠如
物質的、感覚的なものを求める欲求のこと。どのような種類の形態とも自分自身を同一化せず、常に無執着で超然としており、財産や所有物が課す限定から自由でいるという態度をもつことで、「平静」を培わなければならない。

障害VII 誤った知覚
ものごとを正確に知覚し、ありのままに見ることができないこと。前述6つの障害からの当然の結果。いろいろな視覚のうち、1.肉体の視覚、2.エーテル視力、3.透視力、4.抽象的なヴィジョンの4つは、誤った知覚の原因になり、イリュージョンと誤りを生じさせるだけ。5.純粋な視覚、6.霊的な視覚つまり真の知覚、7.宇宙的な視覚、を研究することによって、自分がなにをしなければならないかを正しく理解できる。

障害VIII 集中を達成する能力の欠如
新しい人間が自らの正徳財産を手にするための方法で、自己訓練や奉仕だけではなく、マインドを焦点化し統御する集中と、魂が接触し知ったものを熟考する安定した過程である二つの段階を含む。

障害IX 瞑想的な態度を維持できないこと
(説明がない!!)


31 苦悩、絶望、肉体の不適切な活動、そして生命の流れの間違った方向付け(統御)は、低位サイキック性質に障害が生じた結果である。
(心の散動に随伴して起きるものに、苦悩、失意、失態の震え、乱れた呼吸がある。)

低位人間の障害による4つの結果。
1 苦痛:アストラル体に誤って偏極したときに生じる。
2 絶望:メンタル体に生じる自責の念から起こる。
3 肉体の不適切な活動:内的な状態が物質界において、猛烈な活動、解決やアンドを求める激しい追及、平安を求める大麻内遁走としてあらわされる。
4 生命の流れの誤った方向付け:内的混乱によって、エーテル体に生じる。


32 障害とそれに付随するものを克服するためには、何か一つの真理(つまり原理)に対して強烈に意思を適用することが必要である。
(一つの対象に集中して修練をおこなう【あるいは、一つの技術を用いる】ことが、障害とその付随物を防ぐ最良の方法である。)

平安を達成して目標に到達するための七つの道。

障害        克服法
1. 肉体的無能: 健全で穏やかな生活
2. 知的惰性: 生命フォースの統御
3. 間違った疑問:一点に集中した思考
4. 不注意: 瞑想
5. 惰性:   自己訓練
6. 平静の欠如: 正しい分析
7. 誤った知覚: イルミネーション

「障害とその対処方を理論的に理解していても強烈な意思をもって対処しなければあまり役に立たない。継続的にしっかりと忍耐強く意思をマインドを通して機能させるように努力することによって初めて、熱誠家は闇から光へと、死の状態から不死へと移行できるのである。」(p89)

なので、ここで取り上げられているスートラを学ぶのだ!


33 チッタ(マインド・スタッフ)の平安は、同情を抱き、優しくし、ゆるぎない目的を抱き、苦楽やあらゆる陰の善悪に対して平静になることによってもたらされる。
(他の幸福を喜び〔慈〕、不幸を憐れみ〔悲〕、他の祐徳を欣び〔喜〕、不徳を捨てる〔捨〕態度を培うことによって、心は乱れなき静澄を保つ。)

「この体は他のあらゆる客観的な形態へと向かう傾向があり、物質的な対象に容易に引きつけられがちである。・・・エネルギーがまとうすべての物質的な形態からの解放は、客観的な形態に対して平静になろうと努めたときに起こる。」(p91)

スートラにある各語句は以下を指す。
a 同情:同胞への援助
b 優しさ:動物王国に優しく接する
c 揺るぎない目的:物質界での奉仕
d 苦楽や善悪に対する平静

『インテグラル・ヨーガ』では、この4つを仏教の慈悲喜捨に対応させている。

こうして、脳の反応の平安が達せされ、完全な静寂と平穏が訪れる・・・


34 チッタの平安はまたプラーナつまり生命の息を規則正しく保つことによっても生じる。
(あるいはその静澄は、息の制御された排出、または保留によっても保たれる。)

パタンジャリは、プラーナヤマ(呼吸の科学、つまりプラーナ・エネルギーの科学)を「チッタの平安」に達するための「一つの方法として挙げていることに注目して欲しい。・・プラーナヤマとは、相互に関連し結びついている次の三つの過程を指す用語である。」(p92)

1 リズムある生き方の科学
2 呼吸の科学
3 センターの科学

「平安に達するこの方法が、穏やかで健全な生活とその結果である健康な肉体を前提としていることを心にとめておくことは重要である。」(p93)

健全な肉体に健全な精神が宿る??

そして、呼吸で平安に向かうのだ!


35 マインドは、感覚知覚に関係する様々な形の集中によって安定させることができる。
(あるいは、微妙な感覚的知覚に対する集中が、心の不動をもたらす。)

このスートラを理解する鍵は、「無執着」。

「熱誠家は、次第にますます傍観者の立場をとるようになる。その結果として、彼の意識は感覚媒体の領域から「肉体に住む者」の領域へとゆっくりと移行していく。」(p94)

「肉体に住む者」とは、魂のこと。

感覚の支配者、感覚知覚の分析者という立場をとるようになると、メンタル的に集中するようになるらしい。


36 光と輝きについて瞑想することで霊の知識に到達でき、かくして平安が達成される。
(あるいは、永遠の私服に満ちた、内なる無常の光に集中するとによって。)

「ここで先に示したそれぞれの方法が特定のセンターに関係していることを心に留めておくべきである。・・・達成の手段は七つあり、それは七つのセンターに関係していると推測できる。」(p96)

と、いうことで、スートラ32のそれぞれの克服法に対応するセンターが記されている。しかし、これについては、以下、右側に書かれていることを除いて、その手順の詳細を述べることはできないとしている。

方法1 スートラ33太陽叢センター  各センターを蓮華と見なすことができる
方法2 スートラ34脊柱基底センター 蓮華は振動する花弁で形成されている
方法3 スートラ35眉間のセンター 各蓮華は特定の枚数の花弁、がく、中心で構成
方法4 スートラ36ヘッドセンター 各センターは聖惑星ロゴス顕現体に対応
方法5 スートラ37仙骨センター 各センターはAUMの使用で発達
方法6 スートラ38喉センター  太陽の持つ特徴はセンターの特徴
方法7 スートラ39ハートセンター

光と輝きを瞑想し、光とそれを用いる能力を通して霊の知識が得られる。熱誠家は「十二の輻を持つ車輪の内側にある光の点」、つまり、「ハート・チャクラ」の中心に住んでいるというブラフマに気づき、それを熟考したとき、目標に到達するために、どのような道をたどらなければならないかが明らかかになる、というのだ。


37 低位性質が精製され、もはや耽溺することがなくなったとき、チッタは安定し、イリュージョンから解放される。
(あるいは、感覚対象への執着を難れた聖者の心に集中することによって。)

この言葉を正確に翻訳することは困難とのことで、このスートラは意訳だそうだ。

知覚器官と感覚による接触を真の人間が打ち消し続けることで、「激情から自由になる」という意味らしい。

すべての対象に対する情熱と欲求は克服され、低位の感情性質から解放されると、マインドスタッフは、そのような感覚的な反応の影響を受けなくなるため、それに対する知的安定と集中力が生まれる。

情熱と欲求・・・の克服かぁ・・・なかなかねぇ。


38 平安(チッタの安定)は、夢がもたらす知識について瞑想することで得られる。
(あるいは、夢や深い眠りの中で得られる体験に集中することによって。)

夢は、スートラ10ででてきたように、眠っている時の物質界の夢、感覚的な知覚に没頭している時のアストラ体で経験される夢、メンタル体の夢である想像力などがあるが、

「三界の三つの界層における思考者は、無知で野蛮な状態から平均的な啓発された人間の状態に至るまで、この三つの夢の状態にある。これはさらに高位の夢意識の状態へとつながるものである。」(p101)

無知で野蛮な状態から・・・だって。秘教は度々きつい単語を使うね・・

想像力を真に活用するためには、高度な統御と高度なメンタル能力が必要。そのときに「サマーティの状態」と呼ばれるものが最終的に起こる。

自身の低位人間全体を眠らせているこの状態で「神自身の夢」の領域に移行でき、そこで神が創造した「イメージ」についての知識を知ることができるのだそうだ。


39 平安はまた、ハートにとって最も大切なものに集中することによっても得られる。
(あるいは、なんでも心を高揚させるようなものを選び、それに瞑想することによって。)

低位の欲求に関係してもたらされる平安は一時的なものであるため、自分のハートにとって最も大切なものが一時的なものかどうかを調べ、確かめなければならない、という。


40 かくして彼の認識は無限に小さいものから無限に大きなものへと、アニュ(原子つまり微小な点)からアートマ(霊)へと拡大し、彼の知識は完成される。
(集中の修得は次第に拡大して、根源的原子から最も巨大なものにまで及ぶ。)

偉大なる対応の法則のもとに、人が自分自身についての知識を得るにつれて、神についての知識にも到達するということは、秘教における公理である、という。

この知識には、五つの様相が含まれる。
1 形態 自らの体とすべての鞘の性質を理解する。
2 形態の構成要素 すべての形態は原子、つまり「エネルギーの点」からできている。
3 フォース 形態を構成している原子エネルギーの集合について理解する。
4 グループ 波動とフォース表現が似ている類似した形態を発見する。
⇒これにより、立場に気づき、何をすべきかを知る。
5 エネルギー すべての形態に関する知識を得て、すべてのフォースを統御し、
すべてのグループの原動力になる。

この五つの認識を通して、人はものごとに対する支配を達成する。
認識するためには以下の要素が必要。
1熱誠
2学習と研究
3実験
4同一化
5認識

そうすれば、自分自身を無限に小さいものの意識と同一化し、その中に入ることができる。

最も小さいものの意識を包含することは、太陽系という最も大きなものを包含するのと同じくらい遠い道程。
しかし、すべての意識領域において、支配する方法は同じ。

つまり、

マインドを完全に支配する力を生み出す完全に集中した瞑想。



ん・・・ま、様々な障害を、上記な感じで克服し、完全に集中した瞑想ができれば、、ね。



次回は、いよいよ第一の書、最終回!!




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# by phytobalance | 2018-08-09 23:32 | アリス・ベイリー・AB

魂の光 第一の書 スートラ23~29

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今回は、スートラ23~29までを学んだ。

前回のスートラ22は、
「・・・真の霊的意識の達成にはもう一つの道がある。」
で終わっている。

ここで、そのもう一つの道、つまり、アトランティス人種的な方法、カメの道についての説明になる。

ウサギの道で行けるのであれば、よいのだが、私たちの多くは、まだまだアストラル的なコントロールができない。
そんな私たちのために、ひとつ前の時代の方法が説かれているのである。


以下、スートラの赤紫文字『魂の光』黄色文字『インテグラル・ヨーガ』のもの。


23 イシュヴァラへの強烈な献身によって、イシュヴァラの知識が得られる。
(神【イーシュヴァラ】への完全な帰依によっても【サマーディは達成される。】)

「イシュヴァラはすべての神の子らのハートの中に住む神であり、ハートの洞窟の中に見つけることができる。純粋な愛と献身的な奉仕によって彼に達することができ、そのときイシュヴァラがハートの十二枚の蓮華に座し、「蓮華の宝珠」をその手に握っているのを見るであろう。」(p62)

とのことだ。

前回学んだサマーディへの道をすんなりと歩めない者たちは、一生懸命献身的な奉仕をすべし、、。
そうすれば、ハートの中でイシュヴァラ、つまり、「魂」を見る、つまり、つながる、ことができる!!


24 このイシュヴァラは、カルマと欲求から自由な限定を受けない魂である。
(イーシュヴァラとは、いかなる苦悩〔煩悩〕、行為〔業〕、行為の結果〔業報〕、欲望の内的印象〔業遺存〕によっても染められていない無上のプルシャである。)

これは、霊的人間(魂)のありのままの実像と、三界との関係を示しているという。
それは、低位性質、つまり、三界のフォースやエネルギーには支配されない魂の状態である。

このスートラは、高位我、つまり、魂の性質を示しているのだが、個々の解説は次の通り。

1.限定を受けない。
「低位の四つ組に「束縛され、閉じ込められ、幽閉され」てはいない。・・・四つの低位の鞘 - 濃密な肉体、エーテル体、アストラル体、メンタル体 - はもはや彼の牢獄ではなく、彼が意のままに用いたり立ち去ったりできる道具に過ぎない。」(p63) 

四つ組、または三界からの限定を受けない、との意。

2.カルマから自由な。
カルマから自由であるということは、カルマを精算し、「主観的な認識を通して意識的に原因の世界に」入ることだという。結果は三界のものである。一般の人々は結果に関わり、その中をやみくもに突き進む。しかし、高位我は、「常に法則に従って働き、どのような結果が得られるかを完全に知った上ですべてのエネルギーを表現する。そのため、彼の(その)行為に悪い結果を生むものは何もなく、どのようなカルマも生み出さない。」(p64)のである。

なるほどねぇ。結果というものは、三界のドメイン。
三界からの束縛を受けない、ということは、カルマを生み出す「結果」からも自由ということか。

3.欲求から自由な。
「三界のどの階層の感覚知覚に関するものも、もはや彼をひきつけ魅了することはない。彼の意識は内へと、そして上に向けられており、下と外には向けられていない。彼は中心に位置し、周辺のものが彼にひきつけることはない。」(p64)

ひきつけられるものがないなら、欲求もなさそう・・・

『インテグラル・ヨーガ』の解説は、以下の通り。

「<彼>にはいかなる欲望もない、したがって行為がなく、行為の結果を刈り取る必要もない、というのである。」(p81)

こちらの方がシンプルで分かりやすいかも。


25 イシュヴァラつまりグルデヴァの中で、すべての知識の胚珠が無限へと拡大する。
(彼の中には、一切知の種子が完全に備わっている。)

『インテグラル・ヨーガ』からみてみる。

「<彼>とは、すべを知るものである。<彼>は、知そのものである。<宇宙の知>が、<至上の魂>すなわち<プルシャ>と呼ばれるのである。」(p82)

わかるようでわからない。

『魂の光』のスートラは分かりにくいが、解説の方は、少し複雑だが、意外とわかりやすいかもしれない。

「大宇宙的な意味において、神はすべての支配者であり、すべての知識の総和であり、すべての意識状態の総和である。彼は万物の魂であり、人間の魂と同じく物質原子の魂もまた彼の無限なる認識の一部である。人間の魂は潜在的にそれと同じであり、意識が媒体や器官と同化するのをやめるや否や、すべての知識の胚種が拡大し始める。」(p64-65)

秘教の基本的な概念のひとつである大宇宙と小宇宙。

今ここにあること、起きていることは、今ここより小さな次元(発達段階)でも大きな次元でも似たように起きるのである。「すべての知識の胚種」は、どの発達段階でも存在し、各段階において人間の魂は、万物の魂と同じなのある。

「それぞれの段階で人間は支配者であるが、獲得した地点を越えた別の可能な拡大が常に明らかになる。」(p65)

だから無限に拡大していく、というのである。


26 時間的条件に束縛されないイシュヴァラ(グルデヴァ)は、太古の主方の教師である。
(彼は、時間によって制限されないがゆえに、太古の師たちにとってさえも、師である。)

どちらも同じことを言っているね、このスートラは。

「人間が体験するそれぞれの意識拡大は、同じような拡大の経験をまだしていない人々にとっての大師にする。・・・・・すべてが学ぶものであり、すべてが教えるものである。違いは認識の度合いだけである。」(p68)

これはわかるね。


27 イシュヴァラの言葉はアウム(オウム)である。これはプラナヴァである。
(イーシュヴァラをことばで表したものが、神秘音オームである。
【注:<オーム>は、<神>の名であると同時に、形である。】)

さぁ、ここで聖音であるアウム(AUM)が登場!

まず『インテグラル・ヨーガ』の解釈をまとめるとこんな感じ。

名前がないとわからないので、もともと名前などない「至上のプルシャ」に名称をつけたかったが、「イシュヴァラ」としても、神と言っても、有限なものしか表せない。そこで、無限のイデアとそのヴァイブレーションを表すため、すべての音と音節を含む「Mmmmm 」にした。でも、それではわかりにくので、OMになったという。

なるほどね。

『魂の光』にはこうある。

アウムとは、AUMであり、「意識的生命そのものであるプラナヴァの音であり、すべての形態に吹き込まれる息である。・・・・正しく表現された時、魂を介して父つまり霊を顕現させる。」(p70)

しかし、こう続く。

「この秘密の中の秘密、時代を超えた偉大なる神秘に関する論文を書くことはできない。できるのはアウムに関するいくつかの事実を集めて、対照することでだけであり、それぞれの直感に応じて概念を拡大させ、与えられる短い説明の意義をつかむよう学ぶ人々に委ねることだけである。」(p70)

その後、この聖語について、10項目書かれているが最後の2つを引用する。

「9 大師つまり内なる神はまさに言葉つまりアウムであり、(すべての存在のハートに見られる)この大師にとって、「初めに言があった。言は神とともにあった(このようにして二重性が生じる)・言は神であった」(ヨハネによる福音書・第1章1節)という言葉は真実である。これを使うことによって、人間は次のことを認識するに至る。

a 自分自身の本質的な神性。
b 形態形成過程の目的。
c これらの形態の構成と性質。
d 意識の本質、つまり聖なる自己(霊)とその反対極にある形態との関係。

この関係の進化的成就を、私たちは意識と呼び、この意識の本質的な特性は愛である。」(p71)

a~dは、解る。
そして、これらの関係は、進化とともに成就し、それは、その進化に伴う本当の意味での意識、、という言っているのは、なんとなく理解できる。
しかし、いきなり、意識の本質的な特性は「愛」と言われてもね。
世の中的にそういわれているから、そうだよね、とは思っても、この説明からは、それが「愛」かは明確でなく、あぁ、そうですか、と言うしかない。

スートラに、「これはプラナヴァである」とある。プラナヴァとは、意識的生命そのもの、らしい。
その本質は、愛、つまり、生命は、愛、ということになる。
ま、よく言われていることではあるが。
秘教では、「意識的」生命が愛そのもの、と言っているのだが。
霊的人間でないと、その本質は愛、とは言えないのかな。

「10 弟子をイニシエーションの扉へと導き、彼のあらゆる試練と過程を最初からずっと見守るグルつまり大師も同様にこの言葉を象徴しており、この偉大なる音を科学的に使用することによって、大師は弟子のセンターに行くつかの刺激と活性化を引き起こし、いくつかの発達を可能にする。」(p71)

まさにマジックワードだ。


28 この言葉を発生することで、そしてその意味を深く熟考することで、道が見いだされる。
(意味を熟慮しつつ、それを反復誦唱するがよい。)

『インテグラル・ヨーガ』では、以下のように解説している。

「マントラを絶えず唱えることによって、心の一部がそれに繋がれる。それはちょうど、命綱を腰に巻き、もう一方の端を外部の杭に固定して、穴の中へ降りていくようなものだ。そうしておけば、何かの危険に出くわしても、ロープをちょっとゆするだけで引き上げてもらうことができる。それと同じで、あなたは心のある部分をマントラによって<神>に繋ぎとめ、同時に他の部分で世俗の営みに励むのだ。」(p95)

『魂の光』は、興味深い解説になっている。

「・・・多くの翻訳者の中で、ヴィヴェーカナンダだけが、このように解釈し、次のように述べている。

「オウムを繰り返し唱え、その意味を瞑想すること(が道である)。」

他の翻訳者たちは最後の句(=が道である)を省いているとのことだが、その意味するところは明らか。

「言葉の発声」という表現もまた文字通りに解釈してはならない。秘教的な「発声」は波動の法則の学習の基づくものであり、意識の鞘つまり覆いの低位の波動を徐々に調整して、意識的な内在者の音色つまり音と一致させていくことである。正確に言えば、言葉は魂つまりエゴがそれ自身の界層で発声し、その波動が魂が宿る媒体である様々な体に結果的に影響を与えるのである。従って、その過程はメンタル的なものであり、 ー 奉仕を伴う瞑想と訓練を通して ー 魂との意識的な一体化を成し遂げた人々だけが実際に行えるものである。この状態を志す熱誠家は、この最初の段階に達成するために、想像力、心象化、瞑想を行う忍耐力という有効な要素を活用しなければならない。熱誠家が受け入れられた弟子になる前に、比較的小さな程度であっても、この段階を達成していなければならないことに留意すべきである。」(p73-84)

まぁね。意味はわかるのだが、純粋な愛と献身的な奉仕の道の話をしていたのではなかったか。
結局、瞑想しなくてはならないのね。

だから、今の時代、瞑想と奉仕が、次のステップへ歩む2大要素、と言われるのだろう。


29 このことから真我(魂)の認識とすべての障害の除去が生じる。
(これを修することにより、すべての障害が消え、同時に内なる自己の知が明け初める。)

『インテグラル・ヨーガ』では、

「あなたは宇宙の力と同調するのだ。あなたは、そういう同調作業によって、その力を自分の中に感じ、その性質をすべて吸収し、宇宙的なヴィジョンを得、自分の限界のすべてを超えて、ついにはその超越的な実在となる ー。」(p98)

と説明している。

『魂の光』では、

「内なる大師を知った時、その支配力がますます感じられるようになり、熱誠家は自らの全低位性質をこの新しい支配者に従属させるようになる。

ここで、すべての障害の最終的な完全な状況が起こるのは、認識の最初のひらめきが起こった後であることを覚えておくべきである。
それは以下のような順序で起こる。

1 魂の知識を求める熱誠。
2 障害の認識、つまり真の知識を阻むものについての理解。
3 これらの障害の性質についての知的な把握。
4 それを除去しようという決意。
5 魂のリアリティーについての突然のひらめきつまりヴィジョン。
6 そのつかの間のヴィジョンを低位回想での経験における匪賊する現実に使用という新たな熱誠と固い決意。
7 クルクシェトラの戦い。これにより、クリシュナ(魂)がアルジュナ(熱誠家)を着実な綱持続的な努力へと駆り立てる。これと同じ考え方が、『旧約聖書』でもエリコの壁を前にしたヨシュアの場合に見られる。」(p75-76)


ということで、次回は、この段階で完全に除去されるという「障害」についての解説スートラが続く。



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# by phytobalance | 2018-07-21 08:27 | アリス・ベイリー・AB

魂の光 第一の書 スートラ17~22


今回は、なんとサマーディ!について学んだ。

サマーディとは、「三昧」と日本語に訳される、瞑想における深みの境地の状態のことを指す。

わぁ、いきなり、サマーディ~♪♪。

でも、まだでしょう。やることいっぱいあるでしょ、その前に・・・
先に、サマーディを見せて、やる気にさせる戦略か。
それともその逆か。


前回までの話。ビジュアルに復習。数字はスートラ#。

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今回は、スートラ17~22。
以下、スートラの赤紫文字『魂の光』黄色文字『インテグラル・ヨーガ』のもの。


17 対象の意識はその四つの性質への集中によって達成される -調査を通して形態への集中、識別ある寛容を通して特質(つまりグナ)への集中、インスピレーション(つまり私服)を通して目的への集中、同一化を通して魂への集中である。
(サムプラジュニータ・サマーディ【区別ある三昧】〔有想三昧〕には、論証性〔尋〕、反射〔伺〕、歓喜〔楽〕および純粋な我-性〔我想〕が伴う。)

どちらのバージョンもわかりにくい。

『魂の光』がここで言う「集中」は、サマーディを指す。

ここでは、瞑想(サマーディ)の4つの段階があることを説明している。
実は、その上には上があるのだが、ここでは、区別する瞑想とか、分析する瞑想とか言われる、仏教用語では「有想三昧」と言われる最初のステップ(サムプラジュニータ・サマーディ)の4段階を指している。

『魂の光』では、対象の意識、対象についての瞑想、という言い方をしている。つまり、自分と対象物があるのだから、区別ある瞑想、ということになる。
その4段階とは、以下の通り。

1. ヴィルカ・サマーディ:形態への集中、論証性(尋)、目で確認できる物の分析
2. ヴィチャーラ・サマーディ:特質への集中、反射(伺)、感覚や心の分析
3. アーナンダ・サマーディ:目的への集中、歓喜(楽)、心の状態と自分自身の違いの分析
4. アスミタ・サマーディ:魂への集中、我‐性(我想)、自分と自我意識の分析

各ステップにおいて、何を分析しているか、という説明はわかりやすい。これは、『やさしく学ぶYOGA哲学~ヨーガスートラ』(向井田みお著)から。確かにやさしく学べそう。

ここで、神尾仮説登場。
このサムプラジュニータ・サマーディの4段階は、メンタル亜層下位4層ではないか、ということ。

秘教を学んでいるのだからね。常に界層構造と対応して考えねば。


18 思考の一点集中によって外的な活動が静まったとき、さらなるサマーディの段階に到達する。この段階においてチッタは主観的な印象付けにだけ反応する。
(心の作用の完全停止が確固不抜におさめられることによって、後に残るのは印象〔サンスカーラ、行〕のみとなる。これがいま一つのサマーディ【アサムプラジュニャータ・サマーディ、区別なき三昧】〔無想三昧〕である。)

先の4段階を経て、サムプラジュニータ・サマーディに到達することで、

「外部からの印象付けは感覚を経由してマインドに到達する。」(p52)

つまり、物事を「認識」しなくてよく、感覚として入ってくる、解る、というふうになる。という理解でいいかな。

「知覚したものへの反応をマインドに伝達しなくなったとき、二つのことが起こる。

a. 肉体脳が静まる。
b. マインド・スタッフつまりメンタル体、チッタが様々な変異をお紺合わなくなり、肉体脳と同じように静まる。」(p52)

知覚したものへの「反応」はいらないのである。

そして、
「彼にはまだそれが何であるかはわからないが、新しい知識の領域に気づくようになる。」(p52)

この次の知識の領域を、アサムプラジュニャータ・サマーディ、区別なき三昧、無想三昧、と言う。


19 ここで描写したサマーディは現象界の境界超えるものではなく、神々や具体的世界にかかわる人々を超えるものではない。
(単に物質的身体を去って天界の神格たる状態に至った者、あるいは自然〔自性〕に没入した者には、再生がある。)

二つのバージョン、全く関連性が見えない!!

『魂の光』の解釈の意味は、この状態において、メンタル体の変異を鎮め、魂、魂のヴィジョンの範囲、魂の知識を初めて認識したが、まだ、三界に閉じ込められている、ということ。

『インテグラル・ヨーガ』の解釈では、いくらか自然を統御できるようになって、天界にいてのある主の愉楽を享受できても、その後、戻って、修行を続けなければならない、という意味らしい。

と、説明されると、両者、似たようなことを言っていることがわかる。

この程度のレベルは、まだまだ「合一」ではない!!


20 エネルギー、記憶、瞑想、正しい知覚につながる信念を通して、サマーディを成し遂げ、純粋な霊の識別に達するヨギたちもいる。
(その他の者〔ヨーギーたち〕は、堅信、努力、念想、三昧、叡智を通して、このアサムプラジュニャータ・サマーディを得ることができる。)

ここでは、まだ三界の閉じ込められていながら魂の知識を認識したヨギ(弟子)ではなく、次の段階にいる、
「低位性質全体の統御と編成を完了」(p55)
した弟子のことを述べている。

彼らは、
「法則についての知識を通してー変性され純化されたすべてのセンターを使って働く。彼らは次の能力によって真のサマーティ、つまり、オカルト的な抽出の状態に達する方法を知っている。つまり、ヘッドの千枚の蓮華にエネルギーを引き上げ、・・・ついにはすべてのエネルギーを・・・魂の蓮華の中心に集めて焦点化する能力である。」(p55-56)

この能力は、次の5つの段階によって生み出される。

1. 信念:弟子はまず、魂の認識に達し、次に純粋な霊、絶対者である存在の父に接触する。この歩みには、常にまず、「信念」が必要である、とのこと。
2. エネルギー:正しい活動とフォースの正しい仕様によって目標に近づき、理論は事実になる。
3. 記憶:リアリティーを隠してきたあらゆる形態のエゴの忘却が、真に理解できる状態、つまり、魂が知覚したものを正しく感知する能力につながる。
4. 瞑想:魂が見て脳が感知したもの、魂から発っせられたものは、瞑想によって人生の布に織り込まれなければならない。
5. 正しい知覚:魂の経験、霊つまり父の様相についての知識がアデプトや大師の脳の中身の一部になり始める。


21 強烈に活発な意思を持つ人々はこの状態(霊的意識)速やかに達成する。
(強い熱情をもって修練する者には、これ【アサムプラジュニャータ・サマーディ】は非常にすみやかに来る。

「これは当然である。」(p58)

そうだね。

『インテグラル・ヨーガ』には、このスートラの解説はない。「当然」なのだからだね。


22 意思を行使する人々も様々であり、その行使が強烈な場合と、適度な場合と、軽い場合がある。さらに、真の霊的意識の達成にはもう一つの道がある。
(成功のために要数時間はさらにまた、その修練が温和であるか、注意であるか、非常に熱烈であるかによって、異なる。)

『魂の光』では、
人間が霊的生命の知識と解放に到達する道が二つあるという。

ひとつは、
「意思を用いて自己と非自己を識別し、純粋な霊に到達する方法である。」(p59)
これは、パタンジャリが教えるヨガの道であり、マインドを発達させ、制御するという課題を持つアーリア人種にとっての道である。

もうひとつは、
「強烈な崇拝と完全な献身を通して、熱誠家は霊のリアリティーについての知識に達する。これは多くの人にとって最も抵抗の少ない道である。」(p59)

後者は、アトランティス人種にとっての方法だったのだが、現在の私たちの多くにとっても、歩みやすい道だという。
なぜなら、私たちはまだ、アトランティス人種の課題であるアストラルの制御を完全に為しえてないから。


このスートラは、この前者の方法を用いている人々の3つのグループに分けられる、と言っている。

*非常に強烈に意思を用いて、極めて速やかに結果を達成する者。しかし、アンバランスな発達、性質のハート面の否定、後に修正しなければならない破壊的な行動などの危険が伴う。

*それほど休息には進歩しない、中庸の道の典型である熱誠家たち。着実かつ穏やかに前進し、いかなる種類の行き過ぎもゆるさないため「識別の達人」と呼ばれる。現在の周期においてすすめられるのはこの方法である。

*沈着冷静で粘り強い意志を持ち、着実に進み、脇道に逃れることなく前進し、やがてゴールに到達する穏やかな魂たち。容易には動揺しない根気強さを持つが、進歩は遅い。

最初の人々は、野うさぎ、最後にあげた人々は亀。

だけれども、これらのグループの大多数の人々が、いずれ注意深く相反する対をなすもののバランスをとり、偏った発達を均等にし、それまでの偏った努力を修正し、「一定の歩調で歩み」始める、とのこと。
速度を修正するもの、進歩を早めなければならない人々がでてくる、と言う。

そして、「野うさぎと亀はゴールで出会うのである。」(p61)
のだそうだ。


ウサギでも、カメでも、ゴール全然見えん・・・





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# by phytobalance | 2018-07-05 07:56 | アリス・ベイリー・AB

魂の光 第一の書 スートラ12~16

『魂の光』の講座4回目は、スートラ12~16を学んだ。

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毎回、5つくらいの文献からのスートラ比較表が準備されている。それぞれのスートラの捉え方がわかるように、その解説がコンパクトにまとめられている。

『魂の光』は、神智学系秘教の概念にもとづいたヨーガスートラ解釈だから、オーソドックスな解釈や、わかりやすくかみ砕いた解釈を合わせて学べるのは、ヨーガスートラ初心者の私にとってはとっても有難いのだ。


それでは、スートラへ。
以下、スートラ赤紫文字『魂の光』黄色文字『インテグラル・ヨーガ』のもの。


12 内的器官であるマインドのこのような変異は弛みない努力と無執着によって統御すべきである。
(これらの心の作用は、修習と離欲によって死滅される。)

『インテグラル・ヨーガ』では単に「心の作用」としているが、「内的器官であるマインド」は、もちろん『魂の光』での追記であり、秘教独特の解釈である。

さらにこの「内的器官」とは、肉体器官ではなく、
「・・・マインド、様々な永久原子、そして様々な鞘の中のフォース・センターといった活動のセンターを指す。」(p41)

とあり、これらのセンターの放射がもたらす結果が外的な肉体器官だという。
例えば、脳はマインドの外的器官、というように。
ちょっとイメージし難いが。

マインドなり、心の作用なりを統御、または死滅するという「弛みない努力」または「修習」、そして、「無執着」または「離欲」について、以下のスートラが解説する。


まずは、「弛みない努力」「修習」から。


13 弛みない努力とはマインドの変異を抑制しようという不断の努力である。
(これら二者のうち、心に不動の状態をもたらそうとする努力が、修習である。)

弛みない努力は、絶え間ない実践を要する。一日に何分かだけ、ではなく、常時それに携わらなければならない。

その不断の努力とは、
「霊的人間がマインドの変異つまり揺らぎを抑制するために、そして移ろいやすい低位サイキック性質を統御して自分自身の霊的な性質を十分に表現するために行う不断の努力である。」(p42)

そして、
「このようにしてだけ、霊的人間は日々物質界において魂の生活を送ることができるのである。」(p43)

簡単ではない。
そう簡単に魂とつながれないし、つながって生活などできない、ということだ。


14 獲得すべき対象の価値をしっかりと見定め、その達成に向けて中断することなく忍耐強く努力しつづけることで、マインドの安定(ヴリッティの抑制)が得られる。
(修習は、長い間、休みなく、大いなる真剣をもって励まれるならば、確固な基礎を持つものとなる。)

「魂への強烈な愛、そして魂を知ることに必然的に伴うすべてのものへの強烈な愛があって初めて、熱誠家は着実にゴールへと導かれるのである。」(p43)

なるほど~。
愛。「魂への」愛!!
なんか、新しい認識。
生半可な気持ちでは、魂とつながることなどできない。

「目指す目標 - 魂との合一、その結果としての超魂とすべての魂との合一 - がどのようなものであるかを正しく認識しなければならない。マインドの変異を支配し、その結果としてすべての低位性質を支配できるようにする十分に強力な努力を行う前に、なぜそれを達成したいのかを正しく見極め、獲得すべき結果を極めて熱心に求めなければ(つまり愛さなければ)ならない。」(p43)

大谷翔平選手が浮かぶ。
極めて熱心に求め、中断することなく忍耐強く努力し続けているのだ・・・。

あのレベルで向かわなければ、魂とはつながれない・・・。
世界トップクラスのレベルだ。
これを十分認識しなければならない。

「これを十分に認識した上で、(低位性質を)征服し支配する努力を中断せずに続けるならば、変異の抑制が何を意味するかを意識的にますますはっきりと知る時が訪れるであろう。」(p43)


次は、「無執着」「離欲」について。


15 無執着とは、俗世的もしくは伝統的、この世的もしくはあの世的な、欲求が向けられるすべての対象に対する切望からの自由であるということである。
(見たり聞いたりした対象への切望から自由である人の、克己の意識が離欲(無執着)である。)

「無執着(non-attachment)は不渇望(thirstlessness)と言うこともできる。」(p44)

物質存在の象徴も欲求がその特質であるアストラル界の象徴も水。
つまり、水である物質も欲求も渇望しない(thirstlessness:渇きがない状態)、ということだ。

言葉はうまくできているね。

「どのような対象への切望も存在しなくなったとき、また再生誕(これは常に「形態表現」つまり物質的顕現への切望がもたらす結果である)へのどのような欲求もなくなったとき、真の不渇望が達成され、解放された人間は低位三界のすべての形態に背を向け、真の救世主になる。」(p45)

ここで、「無執着」または「離欲」と表現されているのは、原典の「ヴァイラーギャ」。
面白いことに、ヴァイラーギャとは、「色のない」という意味だそうだ。
水でなくて、色。

『インテグラル・ヨーガ』にはこう書かれている。

「どんな欲望でも、心にその欲望独自の色づけをする。あなたがここに色づけをした瞬間に、さざ波が形づくられる-ちょうど、静かな湖に石が投げ込まれると、波が立つように。次から次へとそうした欲望によって心が揺れ動いているときには、心には平安や休息はない。そうして、そういう動きを止まぬ心によって着実な修練をすることはできない。」(p55)

あれ、やっぱり、水が出てきた。:-)


16 特質つまりグナから解放されたとき、この無執着を達成した結果として、霊的人間についての正確な知識が得られる。
(プルシャ【真の自己】の悟得によってグナ【自然の構成要素】に対してさえ渇望のなくなったとき、それが至上の離欲である。)

『インテグラル・ヨーガ』では、通常のヴァイラーギャ(離欲)は、
「心が何かを欲してもそれを制御し、心にむかって「否」という。するとそれはとどまる。だが高次のヴァイラーギャでは “執着”を云々することもない。」(p64)
としている。

つまり、制御する、という行為が必要な段階では、まだ至上の離欲には達していないということだ。

『魂の光』では、これを三界の限定からの解放、というふうに表現しているが、さらにその先と言えそうな説明がある。

霊的人間とはモナドのこと。
進化過程の頂点に達すると、三界の限定から魂を解放するだけではなく、魂そのものさえも含むすべての限定から霊的人間を解放する、とある。
目に見える客観的な顕現からの自由、無形態状態が目標である言う。(p48)

霊的人間についての正確な知識、とはこのことか?

さらに、

「グナとは物質の三つの特質であり、大宇宙のエネルギーが質料を動かし活気づけるときに生み出される三つの影響である。三つのグナとは -

1 サットヴァ霊のエネルギー父 リズムつまり調和のとれた波動 モナド
2 ラジャス  魂のエネルギー 子 機動性つまり活動性 エゴ
3 タマス 物質のエネルギー 精霊 惰性 パーソナリティー

この三つは、唯一なる生命を表現する三つの様相それぞれの特質に対応している。」(p45)

お馴染みの三様相♪

「三つのグナすべてを使い、形態の使用を通して完全な経験を獲得し、対象や形態への執着を通して意識と知覚と認識を発達させ、すべての手段を活用し終えたとき、(ロゴスとしての、もしくは人間としての)霊的人間はそれ以上それらを使う必要はなくなる。その結果、グナから自由になり、執着の結果として形態をまとうことはなくなり、今の私たちが推測しも無駄な新しい意識状態へと入るのである。」(p45)

対象や形態への執着も、意識と知覚と認識を発達させるために必要なものである、ということ。

と、聞いて安心するのは、進化してない証拠^^;

すべてを経験し、もう使う必要がなくなった時、霊的人間は形態をまとわずに、意識の次のステージへ行けるのだ。

これが、霊的人間の正確な知識だ。

今の私たちが推測すらできない意識状態へ達しないと、霊的人間の正確な知識などわからない、、
のだろうね。


ふふふ。ここまで学んで、実は、結構すんなり入ってくる。
全く違和感ないのだ。秘教的な解釈は・・・

オーソドックスな理解との違いもしっかり理解せねば。





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# by phytobalance | 2018-05-29 20:32 | アリス・ベイリー・AB

魂の光 第一の書 スートラ4~11

『魂の光』の学び、2カ月目に入った。

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前回から始まった『ヨーガスートラ』本編の学び。

前回は第一の書のスートラ1~3を学んだが、
要約すると、

・(この教えは)ヨガ(合一)に関するもの
・マインド鎮めることで、ヨガ(合一)が成し遂げられる
・ヨガ(合一)することにより、本来(ありのまま)の自身を知る

ということになる。

極めてシンプル。

多くの人が、意識的にか、無意識的に自分探しをしているが、
まさに、その方法を伝えてくれている、、という感じ♪

合一、というのは、固い感じだけど、これは、いわゆる、魂とつながる、ということ。


さて、つづき。
今回は、スートラ4~11。

以下、スートラの赤紫文字『魂の光』黄色文字『インテグラル・ヨーガ』のもの。



4.これまで内なる人間は自分自身を自らの様々な形態と、そしてその活発な変異と同一化してきた。
(その他のときは、【自己は】心のさまざまな作用に同化した形をとっている【ようにみえる】。)

これは、自分を自分としてみなす時、例えば、自分は女性である、とか、会社員である、ということで、脳にある概念と同一化している、と『インテグラル・ヨーガ』は説明している。ちなみに、心の作用の部分の原文は、サンスクリット語「ヴリッティ(VRITTY)」である。

『魂の光』では、「形態」ということに重きをおいて説明している。世の中で私たちが認知するものほとんど全てが「想念形態」なのだが、それはその性質上、活発で移ろいやすい「変異する」ものである、という。私たちは、そのようなものと自身を同一視している。


5.マインドの状態には五種類あり、快楽か苦痛を免れない。つまり、苦痛であるか苦痛でないかのどちらかである。
(心の作用には五種類あり、それは、苦痛にみちたもの〔煩悩性のもの〕、あるいは苦痛なきもの〔非煩悩性のもの〕である。)

五種類あるのは、原文では「ヴリッティ」であるが、『インテグラル・ヨーガ』では、心の作用、『魂の光』では、マインドの状態、としている。

『魂の光』に、
「原典には「快楽」という言葉は出てこない。」(p30)
と、説明されている。
通常は、「苦痛でない」と訳されるが、その根底にある考えは認識への障害物であるとし、それは相反する対をなすものによって引き起こされるので、あえて、「快楽」としているらしい。

また、マインドの状態とは、アストラル的(情緒的)な反応だけでなく、低位マインドの作用も含めるとしている。
(秘教的には、マインドには、高位マインドと低位マインドがある。)

この5種類のマインド状態が、それぞれ、苦痛か快楽である場合があるので、5x2の状態がある、ということになる。


6.これらの変異(活動)とは、正しい知識、誤った知識、空想、受動性(眠り)、記憶である。
(それらは、正知、誤解、ことばによる錯覚、睡眠、そして記憶である。)

マインドの状態の5種類を示している。
それらひとつずつを、次のスートラ7~11でひとつずつ説明している。


7.正しい知識の基礎になるのは、正しい知覚、正しい推論、正しい証言(つまり正確な証拠)である。
(正知のよりどころは、直接的知覚、推理、および聖典の証言である。)

『魂の光』には、
「マインドは知識を得るための手段である・・・マインドが知覚器官になるべきものであるということを認識しなければならない。」(p33)
とある。

これは、現在私たちが五感を自動的に使っているように、マインド自体が知覚器官として自動的に知識を得る、ようにならなくてはならない、ということ。つまり、そこには、思いを巡らす、などということが介在しない、ということ。そのようにして得られた知識こそが、正しいものなのである。

これは、私が5年間秘教を学んできた中でも、あまり気に留めていなかった点(どこかに出てきたかもしれないが)。マインドが知覚器官になる!!自動的に知識を知覚する!!
まさに、進化以外の何ものでもない!?


8.誤った知識とは、存在の状態に基づかずに、形態の近くに基づくものである。
(誤解は、あるものに対する知識が、その実態に基づいていないとき、起こる。)

「外的なもの - すべての自然王国のすべての生命が自らを表現している形態 -に基づく知識、推論、決断は(オカルティスト)にとって真実ではない虚偽の知識であるということである。進化過程のこの段階においては、どのような種類の形態も、内在する生命にふさわしい十分な表現ではない。」(p35)

これは、スートラ7の説明から理解できる。
マインドが自動的な知覚器官として、働かない限り、真実をそのままのこととして、理解はできない、ということである。この進化段階では難しい、、のだ。

「魂だけが正確に知覚する。」(p36)


9.空想は、実在しないイメージに基づくものである。
(【基礎となる】実態がなく、単にことばだけを聞いて生ずる心象は、ことばによる錯覚である。)

「人間自身が思い浮かべたものである限り、そのようなイメージは実在しない・・・それは人間自身のメンタル・オーラの中で構築され、人間自身の意思や欲求によってエネルギーを吹き込まれたものである。そのため、注目が他の場所に向けられたときには消え去ることになる。」(p36)

これは、理解に難くない。

しかし、「エネルギーは思考に従う」というルールによって、作り上げた空想は、エネルギーを与えられ続けることにより、長い間維持されてしまうこともある。それに、養分を与えることをやめれば、消えていくものなのだが。


10.受動性(眠り)はヴリッティの休止状態(感覚の無知覚)に基づくものである。
(無を把握の対象として成り立つ心の作用が睡眠である。)

ここで、『魂の光』版、ヴリッティの解説。

「ヴリッティとは、使用した感覚と感じられたものの間の意識的な関係によって起こるマインドの活動である。メンタル作用の特定の変異、つまり「私は私である」という自覚がなくても感覚が活発なことがある。そのとき、その人間はそのような感覚には気づいていないが、自分が見て、味わい、聞いているということには気づいており、「私が見て、私が味わい、私が聞いている」と彼は言う。この事実を認識できるようにするのがヴリッティ(つまり、五感に関係するメンタル知覚)の活動である。」(p38)

「マインドの正しい活動と正確な使用がヨガの目標であり、感覚が遮断されたり萎縮したりした「空っぽの心」と呼ばれる状態や受動的な感受状態はヨガの過程に含まれない。」(p38)

「ここで言う眠りとは肉体の睡眠状態のことではなく、ヴリッティが眠りに陥ることを指している。これは第六感覚つまりマインド以外の感覚の接触が打ち消され、マインドが感覚の活動に取って代わることである。この眠りの状態おいて、人は幻覚、惑わし、間違った印象づけ、憑依の危険にさらされることになる。」(p39)

ヴリッティとは、使用した感覚と感じられたものの間の意識的な関係なのだから、マインドが動いていても感覚が遮断されてしまったら、ヴリッティではない、つまり、眠りに陥っていることになる。それは、危険な状態である、と言っている。



11.記憶とは、既に知っていることにしがみつくことである。
(過去に経験し今も忘れていないものを対象とする作用が意識に戻ってくるとき、それが記憶である。)

「この記憶とは様々な認識のいくつかの集合に関するものであり、その認識には活動的なものもあれば潜在的なものもある。記憶とは知っている様相のいくつかの集積・・・」(p40)

と、いうことで、
1.思考者が物質界において知った、目に見える客観的なものについての想念イメージ
2.過去に起こった欲求とその満足感についてのカーマ・マナス(欲求低位マインド)的なイメージ。
3.メンタル的な訓練からえた結果、獲得した知識の集積、読書や指導から導き出した結論といった記憶活動。
4.五つの低位の感覚知覚から生じたものとして記憶が保持し認識している様々な接触すべて。
5.記憶形成能力に隠れているメンタル的なイメージ。
に、分類される。

「このような形の記憶能力はすべて捨てなければならず、もはや保持すべきではない。それはマインドの思考原理の変異と認識しなければならず、したがってヨギが限定とあらゆる低位活動からの解放を望む前に支配しなければならない移ろいやすいサイキック性質の一部と認識しなければならない。この解放が目標である。」(p40)

かなり厳しい。
裏返せば、今ここへ意識を向ける、ということなんだろうけど。
スートラ7の正しい知識を得るためには、これら過去から得た全てのものが障害になるから、ということでもあるのだろう。

ヨガの道は厳しいね。





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# by phytobalance | 2018-05-19 23:04 | アリス・ベイリー・AB

魂の光 イントロダクション その2

『魂の光』第2回目。4月後半。

ありがたいことに、最初の2回のクラスをかけて、丁寧な『ヨーガ・スートラ』の背景とか、ヨーガ基本情報などの講義。


秘教は、俗に、エソテリック・サイエンスと呼んでいる人々もいるように、「科学」、と呼べるくらい、とても論理的。

『ヨーガ・スートラ』も、実はインドでは、「科学」と捉えられているとのこと。

それは、この教えに従って実践すれば、誰でも魂とつながることができる、、はずなので、つまり、現代科学の重要な要素である「再現性」があるから、ということらしい。


と、いうことで、秘教と『ヨーガ・スートラ』は、相性が良さそうだけど、
『魂の光』は、それを 大胆に意訳したもの、、なのだそうだ。


『ヨーガ・スートラ』は、仏教に匹敵するほど、「心」についての分析がなされている、、とのこと。


前回も触れたように、『ヨーガ・スートラ』は、多くの人々による解釈本が出ている。このクラスでも、他に6冊、参考図書として紹介された。インドのグルによるものや、日本の研究者によるものなど。

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それぞれの特徴が結構詳しく紹介された。初心者には、サッチダーナンダ著『インテグラル・ヨーガ』が、お勧め、と以前にも聞いていたので、とりあえず、この本だけは入手しておいた。幾つか比較するのが良いのだろうけど、全部は読めそうにないからね。


『ヨーガ・スートラ』は、第一の書〜第四の書から成る。
第一の書は理論編、第二の書は実践編で、八支則の5番目プラティヤハラまでの解説。第三の書は八支則の6番目〜8番目のダラーナ、ディヤーナ、サマーディをカバーするのだけど、どうやら、超能力編らしい。第四の書は解脱のプロセス、超越した自己の状態の解説。

『魂の光』では、それぞれの書のタイトルからして独特。

以下、後に記載したのが、『魂の光』にあるタイトル。
数字は各書の節(経=スートラ)の数。

第一の書(51):サマーディ・パダ  合一の問題
第二の書(55):サーダナ・パダ   合一へのステップ
第三の書(56):ヴィブーティ・パダ 合一の達成とその結果
第四の書(34):カイヤリヴァ・パダ イルミネーション



と、いう基本情報を備え、いよいよ本編!

最初の3つのスートラを学んだ。
( )は、『インテグラル・ヨーガ』の解釈。



第一の書 合一の問題 (三昧部門)


1. アウム(オウム)。以下の教えは合一の科学に関するものである。
 (これよりヨーガを明細に説く。)

アウムとは、秘教では、第二様相。第二様相は、第一様相と第三様相の間にあって、それら二つをつなぐような質を持つが、霊と物質をつなぐ魂を指す。

つまり、魂との合一を指している。

『インテグラル・ヨーガ』の解釈は、もともとのサンスクリットの経の直訳に近いものとすると、この最初のスートラには、魂とも合一とも、科学とも書いていない。ま、ヨーガは、魂と合一するもの、としても、科学とは書かれていない。

これが、『魂の光』の独特の解釈、ということになる。



2. この合一(ヨガ)は、サイキック性質を征服し、チッタ(マインド)を抑制することによって達成される。
(心の作用を止滅することが、ヨーガである。)

もともとは、サイキック性質を征服し、などと書かれていない。しかし、秘教的には、アストラルを抑制せずに、メンタルをコントロールできないからね。だから、ちゃんと、アストラルに相当するサイキック性質の征服が追記されているわけ。

このあたりは、よくわかるぞ!



3. これが成し遂げられたとき、ヨギは自分自身のありのままの姿を知る。
(そのとき、見る者【自己】は、それ本来の状態にとどまる。)

もともとのサンスクリットは、「観る」者とか「観る」存在、とかが、本来の状態のとどまる、と直訳されるようなのだけど、『魂の光』では、ヨガ行者を意味するヨギが、自身を知る(観る)と分かりやすい表現になっているね。


このクラスでは、この3つのスートラの『魂の光』の解釈と、先に紹介された6冊の解釈本にある解釈の比較表が配布された!
(今後もあるのかな、比較表?)

『魂の光』がいかに意訳かがよくわかる :-)


なんか面白くなってきたぞ!













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# by phytobalance | 2018-04-20 22:39 | アリス・ベイリー・AB

魂の光 イントロダクション その1

『魂の光:パタンジャリのラージャ・ヨガ経典』の講座が始まった!

これは、エソテリック・サイエンス・スクールが新たに開設した年間講座。

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『魂の光』は、アリス・ベイリーの著作のひとつ。

アリス・ベイリーは、全部で24冊の書籍を残しているが、そのうち18冊はジュワル・クール大師なるマスターから告げられたもの。残りの6冊がアリス・ベイリー自身の著作だが、この『魂の光』はそのうちの一冊となる。


私の秘教の学びも通算6年目に突入。
途中、2年くらいブランクがあったので、今の体制になってからは4年目。
これまでに、『秘教治療』、『トランスヒマラヤ密教入門』、『ホワイトマジック』を学んだ。水曜日夜コースの何人かとは、もう丸3年も一緒に学んでいることになる。学校、っぽくて、毎回、皆に会うのが、ちょっと嬉しい。


『魂の光』の副題に、ラージャ・ヨガの経典、とあるが、

秘教なのに、なんで、ヨガ?

ということが、この本を知った当初の疑問。

ラージャ・ヨーガの経典とは、『ヨーガ・スートラ』のことだが、これは、すごーーーーく昔から、何世紀にも渡って口伝されてきたものだという。それを、邦題の副題にある「パタンジャリ」が、初めて編纂したもの。パタンジャリが、いつ頃の人だったか、ということもひどく曖昧で、紀元前820年〜300年にわたる説があり、また、紀元後という研究者もいるらしい。

この『ヨーガ・スートラ』に、いわゆる、ヨーガの教えが書かれているのだが、ヨーガの元祖とも言えるものだという。その後、ヨーガも様々な教えが出てくるのだが、大元である『ヨーガ・スートラ』に基づくヨーガを王道とも訳せる「ラージャ」のヨーガ、と呼ぶらしい。なので、これをまとめたパタンジャリが、ラージャ・ヨーガの創始者ということになっているとのこと。

その後、多くの人々が、『ヨーガ・スートラ』を解釈している。
『魂の光』は、このラージャ・ヨーガ経典の秘教的解釈、ということらしい。


OK。
でも、秘教がなんでヨーガ?



このクラスが楽しみなのは、いよいよ聖域に入る、という感があること。ヨガ歴がかなりあっても、アーユルヴェーダを少しかじったことがあっても、どっぷりインディアン・コミュニティの中で過ごした経験(3食カレー的生活の一週間目は胃がおかしくなった)があっても、インドを数回旅したことがあっても、ヨーガの教えについては全く学んだことがなかったから。クラスメイトには、インド占星学を学んでいる人や、ヨガの先生も数名いるから、いろいろと補足情報をいただけるのではないかと期待。


ご存知、ヨーガにはいろいろな種類があるけれど、大きく、

カルマ・ヨーガ、バクティ・ヨーガ、ジュニアーナ・ヨーガ、ラージャ・ヨーガ

と分けられるらしい。それぞれ順に、活動や行為、感情的な衝動、識別力を養うメンタルを中心に扱い、ラージャ・ヨーガは、それらを統合した感じの位置付けになるとのこと。


『魂の光』を学ぶにあたって、どこまでが、秘教の解釈で、何が、伝統的というか、主流の解釈なのか、ということも、ちゃんと理解したいな、と思う。伝統的なところを全く知らないので、合わせて学びたい。



さて、何故、秘教がラージャ・ヨガなのか。

それは、秘教の目的を思い出さねばならない。

秘教の目的は、肉体、感情、メンタルを鎮め、コントロールすることによって、魂とつながり、啓示を下ろし、人類の、いや、宇宙の進化のための働き手を導くことである。


3月まで学んでいた『ホワイトマジック』では、どうやって、啓示が下されるか、つまり、神性なるアイディアが、どのように地上に顕現するか、どうやって私たちが分かるような形態を持って現れるのか、についての法則を15の規定を通して、学んだ。

『魂の光』では、そのプロセスに関与する働き手となるために、私たち人類が、どのようにしていけば良いか、ということを学ぶのらしい。
修行の道、、、なのだろうな?



で、なんで、ヨーガの経典?


それには、多くの人々が「引く」ような説明をしなければならない。

準備いい?


現代の人類は、秘教的には、第5根本人種という。
俗に言う、アーリア人種である。

第5根本人種の出現前には、スピリチュアルな世界ではよく聞く、アトランティス人種(第4根本人種)や、さらにその前のレムリア人種(第3根本人種)がいた。


(多くの人々にとっては、なんじゃそりゃ?って感じだろうな。私もそうだった。
今でも、「レムリアの時代のこと、覚えてるぅ〜」とか「レムリアで絶対一緒だったよね」とか聞くと、引くもの。)


で、神智学や秘教は、この第5根本人種を、最終的には次の第6根本人種に進化させる過程の教えなのである。


(あぁ、こんなこと書くと、友人の大半は、ドン引きだな・・・)


第5根本人種は、7つの亜人種から成るのだけど、一番目に出現した第1亜人種が、ヒンドゥ人。なので、このヒンドゥ人の時代のかなり昔に、つまり、インドに、教えが下されたのだ。インドの伝統的な教えに、進化のための教えが見出される所以である。

ただ、当時、多くの人類が次への進化の準備ができていなかったので、伝統的な解釈は、それに合わせた解釈だった、ということが言えるのだろう。

人類が、次のステップへ進む準備ができつつある今、その古き教えを秘教的に解釈し、前進しなければならないのである。

ちなみに、今は、第5根本人種の中の第5亜人種、ということで、アングロサクソン・ゲルマン人の時代、ということになっているらしい。

なので、私たちは、ヨーガ・スートラに隠される進化への秘密を探るのだ!!



ラージャ・ヨーガの中核にある教えは、八支則と呼ばれる、8つの教えである。

1. ヤマ
2. ニヤマ
3. アーサナ
4. プラーナヤマ
5. プラティヤハラ
6. ダラーナ
7. ディヤーナ
8. サマーディ

八支則は、一般には、ヨーガの目的を達成するための生活規範、体や呼吸を整えて、心を静めて、精神、霊性を高めていく実践的な教え、な、感じで説明されている感じ。ヨーガを学ぶ人であれば、必ず触れる教えであるよう。

もともと、日常生活から始まり、肉体を整え、心を静め、瞑想をして、悟りの境地へ行く、というように段階的にはなっているようなのだけど、『魂の光』では、これまで学んできた秘教の界層構造にこれをしっかり対応させて理解していくらしい。



このコースで何を学ぶかは、ざっくりイメージはつかめたが、もともとのインドの伝統的な解釈の理解も絶対必要。

『魂の光』を開くと、お馴染み、秘教的な書き方、言い回し、表現で綴られている。

インドの伝統的な教え、、ということでちょっと構えていたが、この秘教的な文字並びを見て、ホッとするのは、この6年間の学びの賜物か。

99%が文章で綴られているアリス・ベイリーの書籍に怖気付かないのは、マニアック化してきた証か・・・


『ホワイトマジック』とは、真逆の流れで秘教を理解し、また、ヨーガの教えも学んでいく。


一年後、どうなっているのだろうか。






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# by phytobalance | 2018-04-19 18:41 | アリス・ベイリー・AB

ホワイトマジック 規定15 その2 奉仕への呼びかけ 新時代のグループと訓練

規定15
火が影に近づくが、焼くことはない。火の鞘が完成する。魔術師よ、火と水を混ぜ合わせる言葉を唱えよ。


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規定15後半

・奉仕への呼びかけ
・新時代のグループと訓練

これがいよいよ最後!!


奉仕への呼びかけ

今世紀における学ぶ人々にとっての当面目標、とるべきステップ、除去し克服すべきこと。

主観的利己主義

多くの善意ある熱誠家たちは、
「一方では美しい理想主義と華やかな仮説と楽しげな理論という曖昧模糊とした領域で道に迷い、
一方では実りある奉仕の領域における自らの中心を演じることにうつつを抜かすようになる。」
(下p342)

例えば、
・奉仕のために自分が立てた計画についてくどくど説明することにあまりに多くの時間を費やす。
・自分自身の潜在的な可能性を強く認識しているため、自分を過大評価する。
・自分を理想的な神秘家として思い描くことに多くの時間を費やす。
・自分が霊的な達成を成し遂げていないことや、奉仕領域を達成するのに失敗したことを嘆くのに多くの時間を費やす。
・自分自身を奉仕が行われる中心軸とみなすために、世界的な努力の計画をメンタル的に思い描く。
・計画を実現するために、例えば、物質界において組織を作る。 - 潜在的に価値があっても、危険でなりにしろ、潜在的に無益なもの。
(下p341-342)


かなりグサグサくる。
こういうあたりが、なかなか他の教えにないところ。
私の大好きなエックハルト・トールの「ニュースアース」は、エゴについて深く探究されていて、「これもエゴ!!??」と思うくらいのことが沢山並べられていてグサグサくるが、ホワイトマジック、その比ではない。


「この主観的な利己主義は、真の奉仕が可能になるまえに取り除かれなければならない。そして、いずれは取り除かれるものである。」(下P342)


いずれ取り除かれる・・・嬉しいコメントだが、努力なしには成しえないよね、今のところ。
次世代は、教育自体が変わるから、努力なしに非利己的に子供たちは育つのかもしれない・・・が。


アクエリアスの影響

・熱誠と奉仕へと向かう傾向と表面化。しかし、これは、正しく良いもの。
・古い形態を破壊し、想像力がグループ概念とグループの計画に表現されるよう想像力を刺激する。

→現在の混乱状態の原因。

混乱の原因である現象は、、

非人格化:国家やグループや諸グループが個人や個人の権利よりも重要であるとみなす
混合:融合し、混ぜ合わせ、密着させる傾向、いずれは人類の交際を特徴づけるようにならなければなならない相互関係を生み出す傾向、「すべての未婚者の統合」を生み出す傾向
相互通信:顕現の主観的的側面と客観的側面の両方における様々な単位間やグループ館やグループ連合館の敏感な通信
(下p343)


パイシスからアクエリアスの時代の幕間における生活を検討するための自問:(下p344)

1. 神秘的な夢想に時間を浪費しているか。完治した霊的な真理を実践することに専念し、それを日常の経験の一部にしているか。

2. 非人格性に対する自分の反応は憤りであるか。個人的な無執着というこの態度が個人的な問題を解決するのに役立っているか。

3. 他の人々の考えやアイディアを感じる能力が強まっていることを感知できているか。より敏感になりつつたり、そのため相互通信という大きな潮流に飛び込む能力が強まっているか。

4. 自分を演じる能力が日常生活をどれだけ支配しているか。自分の周りを自動的に回転する宇宙の中心になっているか。自分自身の集中を解除し、全体に吸収されるという問題に取り組んでいるか。

「これらの質問と、沸き起こるであろう他の質問は、熱誠家が新時代の到来に対してどのように反応しているかを示すのに役立つであろう。」(下P344)

これは具体的、実践的で良いね。
自問くらいはできるだろう。
そこからだけど・・・


熱誠家の性格、気質(下p345-346)

奉仕への呼びかけに対応する熱誠家たちの反応は、彼らのパーソナリティーに色づけされ、プライドと野心に染められている。性格や気質に克服しがたい難点がある。このような隠れた性格は、奉仕活動を始めるまでは、姿を現さないことが多いが、隠れた弱点が現れた時に彼らも一緒に苦しむことになる、という。

危険は、
①内的な接触と接触する霊的エネルギーの過度な刺激の扱い方がわからない
②周りで一緒に働いている人々の貪欲さ、へつらい、賞賛、批判が、道を迷わせるが、それに気づかない
③隠れた弱点が、仕事の重荷によって露呈し、肉体の調子を崩したら、理想を引くくしたりする傾向となる


なんという分析!!
このようなことをここまで細かく分析し、戒めている、または、注意している教えがあるだろうか。
どこまでも厳しいが、また、そのようなことは日常で起きていることを、実は、多くの人々も薄々感じていると思う。


時代そのものの緊張と不幸な状態(下p347−p349)

これらは、無意識のうちに全ての弟子たちと世界で現在働いている全ての人々に影響を与える。
内的な生活は平静で正常のままであり、健全で正しい方向を向いているが、3つの危機が現れる。
・肉体的な緊張
・情緒的な崩壊
・メンタル体の緊張
これにより、真理が明瞭でなくなり、自己主張に陥ったりし、気づかずして分離性と個人的な方法で進めてしまう。自分に従い、自分が支配できる人々だけを自分のところに集めるようになり、新時代の特色を持たない、分離的なグループを作ってしまう。

しかし、
「真の非人格性が培われ、ぐらつかずに入られる力が発達し、どのような事態にも愛の精神で対処し、性急な活動を慎み、忍び寄る分離的な考えをされるならば、真の奉仕者のグループが成長し、大計画の具現化し、新時代とそれに付随する脅威を生み出すことができる人々が集まるだろう。」(下p349)


除去しなければならない二種類の恐怖心

「恐怖心が世界を奴隷状態にしており、その影響から免れている人は一人もいない。」
(下p349)

1. 本能的な性質に起因する恐怖心

・自己保存本能:死に対する恐怖。→命と耐久性を培わせた。
・性本能:分離と孤立に対する恐怖。→人類は世代を重ね繁殖してきた。
・群居本能:分離と孤立に対する恐怖。→現代文明が生まれた。
・自己主張本能:認められない、失うかもしれない恐怖。→利己性、欲張り感覚、獲得能力の発達させた。(現代の多くの経済問題と国家問題を生み出した。)
・探求本能:未知に対するものへの恐怖。→現在の教育システムと科学的探究が出現した。
(下p350-352)

恐怖心は、人間の性質全体への刺激となって作用し、人間を前進させ、現代文明を生み出したと言う。
さらに、これらの本能から、その行為の対応物へと変性させる過程から、魂表現が花開き満開になる、のだそうだ。

本能 - 相応物 - 方法
1. 自己保存 - 不死性 - 霊的探究
2. - 霊的合 - 宗教
   - 一体化 - 神秘主義
3. 群居 - グループ意識 - 同胞愛
4. 自己主張 - 真我の主張 - 心理学
5. 探究 - 直感 - 教育
(下p353)

「これらの本能が正しく理解され、用いられ、聡明な魂によって変性された時、それは認識を生みだし、成長の源になり、・・・休眠状態の魂に対して、必要な刺激、勢い、進歩への衝動を伝えるものになる。」(下p353)

2. 評判と失敗に対する恐怖心

大計画と協力して働き始め、奉仕の意義を学んでいる人々は、

・自分が行うことが批判され、誤った評価を受けたり、逆の考えの犠牲になったりするのではないかと恐れる傾向にある。
・自分が行うことが十分に好まれず、浄化されず、理解されないのではないかと恐れがちである。
・好まれ、賞賛を受けることを要求する。
・成功したかどうかを数と反応によって判断する。
・自分の動機が非難や誤った評価を受けることを好まず、大急ぎでその正当性を説明しようとする。
・自分たちが行うことが標準に達しなかったり、周囲の人々のやり方と一致しなかったり、訴えかける力がなかったりすれば、不幸を感じ、その結果、計画をしばしば変更し、見解を変え、水準を低下させ、ついには身近な大衆心理や、助言者たちに迎合する。
(下p354)


こ、これも、、
自分だったり、、、、
周りによく見られたり、、、、

よくぞ、ここまで、、、詳細にリアルなこと、言えるな、、


恐怖心の対処法

1. 未来に向けて強い性格を築き、どのような新しい恐怖心の侵入も許さないようにする方法
 魂が生活とその状況を意識的に支配している時、恐怖心は存在しえない

2. 古い想念形態を無力化する方法
 意識を向けないことによってそれらの破壊を引き起こす
(下p349)


真の弟子

・ヴィジョンを見る。
・ヴィジョンを現実にするように努力する間、揺らぐことなく耐えられるよう魂との密接な接触を保とうと努める。
・助言が分離的なもので、調和を乱す傾向があり、同胞愛と理解の欠如を生じさせるとき、それは直ちに捨て去られる。
・全てに神性を見、悪く考えることを拒絶する。
・口を閉ざして仕事をし、兄弟たちのことに口出ししたり、彼らに関することを暴露したりすることはない。
・生活は理解と会いに色付けられており、訓練された霊的知覚力、愛の精神から自然に生まれる鋭い知性を用いる霊的な認識力を持つ。
・沈黙の秘訣を学んできており、包括的な愛の精神に絶えず動機付けられている。
(下p355)

「全ての仕事が、偉大な方々の目には同等に重要である・・・家庭や仕事場が十分な経験を提供する段階に入る魂にとって、それが彼らにとっては至高の努力である。彼らの努力は、・・・キリストやナポレオンの運命を完了するのと同じくらい偉大な達成である。このことを忘れずに、人生をありのままに差別せずに見るように努めなさい。

・・・公での仕事の初歩を学び始めたばかりの弟子は、失敗やひどい愚行があっても、より広い知識や経験を備えた年配の弟子と同じぐらいよく働いているかもしれないのである。」(下p356)


なんて素敵・・・



新時代のグループと訓練

世界の働き手の三つのグループ

三つのグループは、多くの必要な仕事を行い、一致団結した企てを通して、大衆に影響を与え、自らのダルマを果たしつつある、とのこと。

1. 真にアクエリアス的な人々
・他の二つのグループの指導者たちの声を感知し、大師方の声によって謝ることなく前方へと導かれている。

2. 純粋にパイシス的な人々
・世論のグラマーのもとで働く。

3. アクエリアスのメッセージに反応できるが、真にアクエリアス的な方法で働き発言することが、まだ期待できない人々
・明確なヴィジョンがないため、選んだ環境の声と世界の知者たちの声がしばしば衝突し、あちらこちら引っ張りまわされる非常に困難な仕事を行っている。
(下p357)

人類史上初めて人類全体がヴィジョンを感知し、自分が神聖であることを知ったために、束縛に対する抵抗が起き、失敗に対する恐怖が生まれた、のだそうだ。

「失敗というものはない。ありえるのは時間の損失だけである。
時間の感覚がグラマーと失望を生み出す。

しかし、失敗は速やかな進歩へと導く。
長い目で見れば阻むことは何もにもできない。
大計画は間違いなく進展する。」
(下p359)


熱誠を抱く全ての弟子たちの当面目標

1. 自分自身の個人的な当面の問題、特に奉仕に関する問題について、明瞭に思考する。瞑想によって、
2. 今日、世界に席巻する新たな刺激に対する感情性の発達。愛と理解を持って接することによって。
3. 完全に非人格的に奉仕する。野心と権力への愛着を排除することによって。
4. 人々の言葉や失敗に注意を向けない。魂の声に完全に注目を傾注し、思考の秘められた場所で生きるように努力することによって。
(下p360-361)


グラマーと自らの性質の弱点に屈し、ヴィジョンと自分の間に割り込むのを許した時の罰

1. 肉体状態:奉仕における力の不足、肉体の束縛の増大として現れる
2. アストラル的イリュージョン:ヴィジョンに切りと霞がかかり、接触の感覚を失い、人生の細道にさまよい出て、目標へとまっすぐ通じる本道を見失う。
3. メンタル的なプライドとグループ形態で働く能力の欠如:成功が一時的なものに終わり、グループ最良の要素の活力が失われ、グループのトップのパーソナリティーを満足させる人々だけで構成されるグループと共に働くことを余儀なくされる。
(下p361-362)

あまり、罰っぽくないな、、、上手くいかなくなることが罰、、。


大師方の平凡な人々から知者と大師を育てる方法
1. 自分自身を知るように教えることによって
2. マインドに興味と探究心を目覚めさせ、答えを探すべき方向を指し示すことによって
権利から解放させることによって
3. 自分自身の足で立ち、自分自身の魂を拠り所にせざるをえない状態を提供することによって



最後に、熱誠家の仕事に関する要点のほとんどは、ホワイトマジックを通して与えられており、それをじっくりと学ぶの私たち全ての役目である、とある。


以下の言葉で締めくくられている。

あなたの方のフォースを結集させなさい。
人類に対する奉仕への献身の誓いを新たにしなさい。
あなた自身の考えや願望をグループの利益に従属させなさい。
目をあなた自身から逸らし、ヴィジョンへと新たに据えなさい。
無駄話や批判、噂話や当て擦りをしないようにしなさい。
読み、そして、学びなさい。

そうすることによって、仕事は知的に進展するであろう。

持てるものすべてを人類の救済のために捧げるよう決心しなさい。

必要とされ求められているのは今である。

私はあなた方に機会を与え、あなた方が、- もっとも微力な人でさえ - 必要とされていることを告げる。

一致団結して、お互いへの揺らぐことのない深い愛を持って働くならば、意義ある結果を達成できることを、私はあなたがたに保障する。

あなた方各々がそのように働き、世界の必要を認識することで自分自身を忘れるようにと、熱心に祈り、深く切望する。
(下p364-365)
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ホワイトマジック おわり













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# by phytobalance | 2018-04-15 11:22 | アリス・ベイリー・AB