細い階段から続いていく女人道は、よそ見したら必ずはずすくらい細い道から始まった。
弁天岳なるピークを越えて、大門まで40分少々とある。女人道のほんの一部。
午後4時過ぎ。雨はまだ降ってはこない。相変わらずグレイの空。誰もいない山道。
途中、“谷上女人堂跡”なる立て札を見る。弁天岳ピークまで0.5kmとある。楽勝か。
と、道は突如急になる。しかも、道はすり鉢状にえぐれていて、おまけに大きめの岩が乱雑に踏み石のように並んでいて歩き難い。岩が大きすぎて、階段の役割は全く果たしていない。やっきになって、大股で登り始める。と、突如突風が吹く。
いよいよ雨か?嵐かぁ?
風はどんどん強くなり、止む気配がない。空は相変わらずグレイ。
ピークに向かう誰もいない山道。急に不安さが増す。戻るに戻れない。
風はどんどん強くなる一方。飛ばされそうだ。
この急坂、0.5kmのわりには随分長い??不安のせいか?
冷たい風の中、シャツの下は汗。息を切らし、やっとピークに着く。
小さなお社があった。お社の後方には、高野山麓が広がる。
その前方の高野山聖地の山々を臨む。
相変わらずの怖いほどの強風は、聖地への道を阻む悪魔のようだった。
しかし、突風に吹かれながらの一種の達成感が、聖地に入る準備を確信させた。
下り始めると、小雨が降ってきた。
いくつもの鳥居を抜けていくうちに、何故か風は突然に止んだ。
いよいよ大門だ。
写真におさまらないほどの大門には誰もいなかった。
門をくぐり、向こうに見えた高野山の町並みは、あまりにも普通なので少々がっかり。
小雨の中、大門とは正反対の位置にある奥の院のすぐ横の寺の宿坊に向かった。
2kmはあるだろう。
通りにもツーリストらしい人々をほとんど見かけなかったが、宿坊のその夜のお客様は私ひとりだった。
昨年宿泊した那智の宿坊とは全く異なり、修行僧に迎えられ静かに部屋に通された。
写経はともかく、食事も布団敷きも全ては修行僧にお世話していただく。
なんとも申し訳ない気分になる。
高野山の精進料理も般若心経の写経も初体験。
しとしとと雨降る静かなお寺の夜が更ける。
翌朝おつとめに参加し、朝食をすまし、宿坊を出る頃、雨がなんとなく雪になりつつあった。意外ではあったが、雪は雪の時しか味わえない。完全防備で念願の奥の院に向かった。
奥の院の入り口、一の橋は宿坊からすぐであった。
雪がはっきりと降ってきた。
これが奥の院。
想像を遥かに超えた壮大なる空間が、時を越えてそこにあった。
一歩また一歩と聖地の奥へと進むにつれ、誰もいない奥の院は少しずつ雪をかぶっていった。
再び一の橋まで戻ってくると、あたりはすっかり雪で覆われていた。
雪は止むことなく降り続いていた。
壇上伽藍に着く頃には、靴が埋もれるほどに雪が積もっていた。
手も足も冷たいままにお堂に上がり、如来様を拝む。
寒さが何故か有難さを感じさせる。
雪は季節を気にする事もなく、ただただ降り続けた。
冷たい空気が身を清め、私は聖地とともに浄化された。
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