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GRACEプログラム その2 意図

「日が暮れたら、町は独りで歩かないほうがいい。」

フェニックスの空港で、一緒にお茶をしていたスタンバイの同士がそう言った。アニマルカイロプラクターの彼女は、以前にサンタフェに住んでいて、今も仕事で定期的に通っているとのこと。

「貧しい層の人々も結構いるから・・・」と。


しかし、目の前に現れた向こうの斜面の木々の間に見える恰好いいスタッコの家々は、どう見ても邸宅だった。

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Upayaに入って2日目。GRACEプログラムが始まる午後2時まではフリータイム。朝の瞑想と朝食を終え、隣の部屋の看護師のクラスメイト二人とそのご主人と、近くのネイチャートレイルを歩いていた。

瞑想やセラピーのリトリートの私にとっての唯一の難点は、動きが少ないこと。3日過ぎると体がおかしくなる。プログラムが始まる前にしっかりと動いていたかった。森、という雰囲気でもなかったけど、薄グレイの雲とよく合うジュニパーとパイン(皮肉^^;)が覆う丘にトレイルは続いていた。そこは、自然公園、というよりは、緩やかなカーブを描く坂を登って行った先に広がるレジデンシャルエリアの脇を飾るために残されている緑地のようにも見えた。下町とは違う。

雪が残っている北側斜面を回り込んで、多少のぬかるみを越えて、そのあたりのピークに達した。どんよりと曇っていたが、雪をかぶった遠くの山々が見渡せた。暗すぎて写真にならない。カップルはブルガリアからの移民だった。移民の経緯や市民権の取得について、ブルガリア料理やアメリカで寿司の美味しい都市の話や、もし、動物に食べられるのだったらどうされたいか、とか、看護業務の大変さとか、とりとめもない話をしながら3時間しっかりと歩いた。


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禅堂の後ろ半分は椅子席が3列、前半分は背もたれ付きの座布団席が2列並んでいた。既に席は半分近く埋まっていたが、最前列中央の隣が空いていた。ラッキー。

いよいよGRACEプログラムが始まった。

GRACEは、ハリファックス老師と、緩和ケア、がん科専門医師、ワシントン大学教授であるトニー(Dr. Anthony Back)と看護学、臨床倫理学専門のジョンホプキンス大学教授であるシンダ(Dr. Cynda Hylton Rushton)が組み立てたプログラム。この3名の講師陣によって展開される。


COMPASSION 

コンパッションとは何か。

心理的にも、心身的にも欠如していない状態である。

と、いきなり老師は説く。

その意味するところは、これまでの学びのお陰で、おそらく理解できたが、「そう来るか」と思わず苦笑した。そうはっきりと、ダイレクトに。

そして、コンパッションとは、それを伴う行為を観ることで、その観た人にコンパッションを導くものである。と。ゆえに、向社会的なものである、と。

だから、一人一人が、コンパッションを養い、他者の、社会のリソースとなるべきなのである、と言う。

これまた、はっきりと、So Direct!

コンパッションは、慈悲と訳される。ヒーリングタッチでは、一応、思いやりという言葉を当てている。コンパッションについて、これまでに何度となく教えを得てきた。しかし、ここまでストレートな説明を聞いたことがない。私がヒーリングタッチを続けている唯一の理由は、老師がここで意図しているところと実はそんなに違わないと思われるけれど、ここまではっきりと言い切ったことはない。


GATHER ATTENTION

GRACEGは、Gather Attention。

実は、Groundingすることを指しているのだけど、Gather Attention(注意を集める)とする深い意味がある。

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一瞬止まり(ポーズ)、呼吸をし、自身の体に意識(注意:Attention)を向け、マインドを鎮める。これはセンタリングに違いないが、これで終わりではない。ここではさらに、今、自分の体はどう反応しているかに気づいていく。ここがポイントである。直面している状況に対する自身の反応に気づくのだ。まだ続く。さらに、その注意を広げ、起きていることに対する自身の解釈や期待などに気づき、その自身の解釈や期待に割入っていく。ここも重要。つまり、無条件な、フィルター無しの状態へと移行するのだが、そこへ「注意を分配する」と表現された。

この一連の行為には、しっかりとグラウンディングしていることが不可欠なのである。

Attentional balance(注意のバランス)を養う必要があるという。単にGroundingではなく、Gather Attentionとしている由縁である。

なるほど。まずは、自分の状態に気づき、より深い境地へと意識を向けていく、感じなのだろう。


RECALL INTENTION

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GRACERは、Recall intention。

Intentionは、意図と訳されることが多いかもしれないが、目的、とも言える。ここでは、自分自身の本質、自身の価値を思い出す(Recall)、と説明された。

しかし、この後の説明が、私を固まらせ、くぎ付けにした。

講師のシンダは説明する。

あなたの価値(your value)、あなたが誰であるか(who you are)の根底には、倫理的モラル的な要素がある。それは向社会的(pro-social)であるはずだ、と。

つまり、自身の本質、価値に気づけば、そこには社会にとって、倫理的に、モラル的に良きIntentionがあるのである。これは、人としての根本であり、私たちが持っている否定しがたい価値である。これがベースなのである。

ノックアウト状態だ。こんなにもはっきりと明確に私たちが共有しているはずの倫理感、モラルを説明するのだから。

ともすると、「各自の価値観はそれぞれだから」「それらを尊重しなければ」とか、「場所が変われば倫理やモラルも違うし」なんて正論めいたりするが、自身にもっと深く入り、フィルターを外し、無条件の境地に立てば、そこにあるのである。プロソーシャルな倫理、モラルが。

最初に老師は言っていたではないか。
コンパッションとは、心理的にも、心身的にも欠如していない状態である。と。

コンパッションとは慈悲の心である。プロソーシャルである。フィルターが取れ、その本質、欠如していない状態にあれば、私たちは皆プロソーシャルなのである。否定しがたい共有する倫理観、モラルがそこにあるのである。

Recall intentionとは、ほかならぬ、私たち皆が持つコンパッションの境地に立つ、ということなのであろう。

深い。

しかし、仮にこの解釈が的を得ていて、頭でそう理解したとしても、そんな境地にいきなり立てない。そこでワークが始まる。もう一人の講師トニーとシンダがワークの前は必ずロールプレイをしてワークの見本を見せてくれる。ここでは、Recall intentionのための自分自身は誰なのかを徹底的に掘り下げるワークだ。

面白い。しかし、深い。



初日が終わった。既に深みにはまった。



禅堂を出ると雪が降っていた。


つづく



by phytobalance | 2019-03-25 20:16 | 旅・Journey

GRACEプログラム その1 サンタフェの光と風

サンタフェに到着したのは、深夜過ぎだった。
開いている店は全くなく、人はおろか、ほとんど車も走っていないその町は、途上国を感じさせた。

その日、30年来の友人を5年ぶりに訪ねたロサンゼルスからフェニックスに到着すると、サンタフェへのフライトはキャンセルされていた。その時点で、サンタフェから50マイル離れているアルバカーキへのフライトは3本残されていた。スタンバイだったが、7時間待って、2本目になんとか搭乗することができた。アルバカーキの空港で、サンタフェ行きのシャトル出発まで1時間、そこからさらに1時間かけてやっと目的地の宿に到着したのだった。

数年前にTEDでのスピーチを聞いた時、ジョン・ハリファックス老師(Roshi Joan Halifax‐ジョンと発音するのだそう)の教えをいずれ受けるのだろう、と感じた。その時がやってきたのだ。老師が30年前に開いたというUpaya Zen Centerは、サンタフェのプラザにほど近いところにある。

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初めて訪れたこの町には、プエブロスタイルと呼ばれる赤茶色のスタッコの建物が見事に立ち並んでいた。屋根はフラットでいくつもの木の梁が漆喰の壁から外に飛び出していて、なんとも可愛らしいのだ。このスタッコと少ない緑が相まって、いかにもサウスウエストの砂漠、という感はあるのだが、標高は2000mを越える。アリゾナの隣の州だから暑いのかと思っていたが、気温は東京と変わらなかった。街を散策しているうちに雲が増し、風はどんどん強くなっていく。高地の風か砂漠の風か。寒い。

中心街から車で10分もかからなかったが、Upaya Zen Centerは、背景に小高い丘が見える、ぐっと緑が多い「いなか」感がするゆるい傾斜の地にあった。Googleマップには、「仏教寺院」と書かれているのだが、日本人が想像するそれとは程遠いスタッコの建物が可愛らしく並んでいた。雲が晴れ青くなってきた空とのコントラストが美しい。ここで、翌日から3日間のGRACEプログラムを学ぶのだ。

GRACEとは、老師が作り上げたCompassion(コンパション)を養うプログラムである。死に逝く人々とともにある仕事についている医療従事者や宗教者、セラピスト、ケアワーカーは、その過程にともなう悲しさや辛さで心痛めてしまう。燃え尽きてしまう。または、専門家たちは感情を抑え込み、仕事に従事している。そうならずにケアしていくにはどうしたらよいのか。その鍵になるのが、Compassion(慈悲)であるという。その学びは、”Being with Dying”という8日間のプログラムにまとめられている。それを3日間に凝縮したプログラムがGRACEである。

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GRACEとは、

・Gather attention
・Recall intention
・Attune to self and others
・Consider what will serve
・Engage in action/End

の頭文字である。

私が長年携わっているヒーリングタッチは、ハートセンタードなバイオフィールドケアメソッドである。コンパッションはハートの質のひとつとして、ヒーリングタッチが最も大切としていることのひとつである。GRACEの文字それぞれの意味を見ても、全く違和感がなく、それなりに理解できると思えた。だから、より深い学びができるであろうという確信とともに、しかし、コンパッションなるものを果たしてメソッド化して養うことができるものなのだろうか、という若干の疑いと好奇心を持って臨んだ。

Upayaには、プログラムの前日入りし、その生活が始まった。キャンパスを歩き、施設と若干のルール、宿泊するハウスの案内を受けた。宿泊する施設はキャンパス内外に点在していた。庭には、控え目に細見のお釈迦様と小さいお地蔵様がいて、ラビリンス(迷路)もあった。その頃には風も止み、澄み渡った空気が、空を私の最も好きなブルーに染めていた。太陽の光はまぶしく、写真に収めるには陰影が強すぎる。

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禅堂は、日本建築とプエブロスタイルが見事に融合された、いわゆるお寺感があまりないフレンドリーな心地のよい空間だった。紺色の作無衣を着てあちらこちらで仕事している人たちは、レジデンスと呼ばれ、ここに住み、料理から掃除、ワークショップのサポートなどUpayaの生活を支えながら学びを続けている。数カ月間~数年学びを続けている人、新たに加わった人、一定の期間を経て社会に戻っていく人たちも。

午後5:00。地域の方も参加できる座禅は毎日開催されている。ちょっとした作法があるのだが、「間違ってもいいから」と書かれていたので、どきどきしながら静まり返った禅堂に入った。一年ぶりにお寺で瞑想をする。場のエネルギーに浸り、心地よい30分が過ぎていった。

後半は、英語のお経が書かれた小冊子が配られ、食べ物に感謝をささげる儀式をするという。レジデンス二人が、少々機械的に動き、引き下がり、供物を顔の高さに掲げ、僧侶に続いて現れた。一斉にお経が唱えられた。とりあえず、文字をたどりながら一緒に声を出したが、きれいに向きを変える際に少々ロボットや兵士を思わせるレジデンスの動きに気がとられてしまった。お経の単語を目で追うと、なんかキリスト教のように感じた。

英語のお経は初めてではない。ティクナットハン師のプラムビレッジのリトリートでもお経は英語だった。その時は歌を謳うように唱えられていたが、確かにキリスト教の聖歌を聴いているようであった。

仏教に詳しいわけでは全くないが、小さい頃からそれなりに身近にある仏教(お釈迦様と仏像好き)。特にここ数年は、何かと仏教から学ぶことが多くなっていた。なんとなく違和感を覚えつつ、儀式は終わった。その儀式とは、Gate of Sweet Nectar. 調べてみると、「甘露門」だった。ネットに挙がっていたそのお経を斜め見てみたが、英語のそれとは受ける印象がまるで違った。面白い。日本でもこの儀式を是非見てみたい。

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ディナータイム!キッチンでは老師が待っていた。昨年12月、日本で開催された「GRACEプログラム研究会」でご挨拶し、書籍にサインをいただいた以来だ。お会いした時より何故かずーっと穏やかに、でも、より威厳を感じた。食事前の感謝の祈りを唱えて、各自サーブしてダイニングへ。前日入り組もそれなりにいて、会話を始める。医師、看護師、チャプレンが多いように感じた。再受講の方、Being with Dyingを受講された方もそれなりにいた。昨年、キャンセル待ちで参加できなかったという人もいた。今年もプログラムは定員いっぱいの70名だという。その人数に驚く。ベジタリアンを感じさせない十分満たされる美味しいディナーだった。

Buddhaと名付けられた私の宿泊ハウスは、禅堂から徒歩5分くらいのところにあった。天井が高く、白を基調した内装で、白木のベッド、白の寝具で清潔感があった。シャワーも洗面台も新しい。夜はまだまだ冷え込むが、暖房もあった。お寺なので特に期待していなかったが、私にとっては十分過ぎるぐらいの施設だった。ルームメイトはまだ到着していない。今夜はひとり。あっという間に眠りに落ちた。

つづく。

by phytobalance | 2019-03-24 15:23 | 旅・Journey