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ハイラーキーの出現 第3章 p366-p381

ハイラーキーの出現 第3章 p366-p381 _f0053026_14110346.jpg
『ハイラーキーの出現』輪読第29回

前回までに大祈願第二スタンザの解説は終わった。
今回からは、いよいよ第三章!

アバターについて!から。
アバターって何??


第三章 人類の進化過程の背後にある勢力

アバターの教義

1941年 5月


なぜアバターなのか?
それが何であれ、「アバターの教義と神の啓示の連続性」にあらゆる人間の疑問や必要に対する満足のいく答えがあるのだという。

アバターはこれまで、様々な宗教の教えを通して、その形を現してきた。人間が必要に迫られたときには常に、神聖な啓示によってその必要を満たしてきた。
それは、神の愛であり、それが霊的な真実である。
その神の愛は、人間の必要をいつもかなえてくれる神の深きハートに対する人類の尽きることない信念に反映されているという。


ウエサク祭

この節は5月に書かれているだけに、またウエサク祭について。

ウエサク祭は、仏陀が毎年戻ってきて、いたるところにいる自分の民を祝福し、知恵と光と愛のメッセージを人類に伝えている。

これこそ神の内的な導きや啓示が行われてきたことの外的な証拠なのだそうだ。

この出現を可能にしているのが、三名の偉大な霊的存在だという。

1 世界の主、日の老いたる者、サナット・クマラ、惑星ロゴス、メルキゼデク
2 仏陀、啓明された方、私たちの惑星生命よりはるかに偉大な稲本から届く光と知恵を啓示する方、神々の使者
3 キリスト、父の巫女、世界救世主、贖い主、私たちと共にとどまり羊を囲いの中に集めている方、愛の主

人類は、輝かしい愛と光をその性質とするこの三名を通して、神の性質をある程度把握することができる。そのエネルギーの影響の圧力に人類位が耐えられるように、その霊的な力の強度が下げられなければならないが、ウエサク祭の満月のときに起こるのはこの低減の過程だという。

ハイラーキーの一丸となった意図と、あらゆる地にいる人々の一丸となった必要によって引き出される、世界の熱誠家や弟子たちの一丸となった要求によって、かれらの霊的な力が「伝導の焦点」へともたらされる。

もし、霊的な考え方をするすべての人が、必要とされる非利己性、鍛え抜かれた純粋さ、それに伴う感受性を達成することができるならば、この1941年のウエサク祭は「情勢の転回点」に、人類の人生における大きな転機になりうる。

と書いてあるが、おそらくこれは起きなかったのだろう。


これまで啓示されてきたすべての宗教の背後にはいくつかの根本的な真理がある。それらは、人間が霊的な成長し、漸進的に神性を実現していくためには必要不可欠なものである。これまでの宗教の教義などは、これらの根本原理を人間が解釈し、言葉で言い表したものでしかなく、装飾、推量、予測などの類であるという。

来るべき新時代に新しい世界宗教が地上に形成され、人間の思考や意識を条件づけるときに発見し認識しなければならないのは、変わることのない真理である、という。


現在までの基本的な真理

基本的な真理は、神自身の性質に関連しているために、決して変わることはないのだそうだ。
これまで、そうした真理が啓示を通して人類に明らかにされてきた。

1 慈悲の法則:正しい関係、愛ある理解、積極的に表現された愛。同胞愛の基礎であり、内的な一体性の現れ。

2 神の事実:存在とは内在する神であり超越する神。大きな全体とそれに関連した部分についての認識に喚起し、正しい関係と起源の同一性によって確かめられる神性についての知識。

3 啓示の連続性:昔からずっと、人類の危機が起こるたびに、必要な時にはいつも、新人種を創始する際に、もしくは、用意の整った人類を新しいより大きなヴィジョンに目覚めさせようとする際に、神のハートは、教師を、世界救世主を、啓蒙者をアバターを送り出す。

4 人類からの必然的な反応:人類や人間の不滅なる霊が、人類に内在し、きわめて確実に、聖なる出現に反応する。

5 進歩:啓示の連続性に対する個人や大衆の反応は、否定しえないもの。それぞれ新しい啓示は常に、一層輝かしい目標とより偉大な栄光へと人類を導いてきた。

6 超越:事前法則を超えることができる生来の能力を指す。こうした限界は常に克服されてきており、この超越の過程はますます認識されるようになる。


アバターとは、望ましい効果を人類に及ぼし、反応を喚起し、必要な刺激をもたらし、ベールを引き裂いて、光をさし込ませることにつながる特質とエネルギーである。

そのエネルギーは常に、顕現する実在者に集中され、要求や一丸となった訴えかけによって呼び起こされ、人類の反応を喚起し、結果的に人類の生活活動と文化と文明に変化をもたらす。

現在のところ、最も容易に認識され最もよく知られているアバターは仏陀とキリストである。彼らのメッセージはすべての人に知られており、その生涯や言葉の果実は両半球の考え方や文明を条件づけてきた。彼らは神聖かつ人間的なアバターである。

アバターは、ダイナミックな真理、強力な想念形態、惹きつけるエネルギーの渦を、人間の生活が営まれる三界に集中させ固定する。その後、数世紀を経て、そうした真理とアバターの生活や言葉の効果が徐々に人間の思考を条件づけ始める。確立された想念形態が聖なるアイディアを表現するようになるにつれて、その想念形態はますます聖なるエネルギーの伝導媒介として働くようになり、これがやがて、文化、宗教、政策、政府、教育課程を伴ったひとつの文明を生み出す。

歴史は、流入する聖なるエネルギー、アバター、啓発された指導者に対する人間の周期的な反応の記録に過ぎない。


聖なる介入

アバターには二種類ある。

1 臨在の天使の体現者であるアバター
2 敷居の住者の体現者であるアバター

臨在の天使は、神聖な可能性を示し、解放に向けて次にとるべき手段を注意深い弟子に明かし、光の道において差し当たって踏み越えるべき段階に光を投げかける。未来の可能性や神聖な性質を示す。そのアバターも同じである。

敷居の住者は、悪い傾向、蓄積された限定、弟子の物質的な性質の特徴である利己的な習慣や欲求、これらすべてを総括している。過去をその限定や悪い習慣と共に示す。悪や人類の低位性質の体現者として時折現れるアバターもそうである。


弟子も人類も、これら二つの「対峙」という様相が顕著な周期もあれば、別の様相が顕著な周期もある。しかし、最終的には、弟子は住者天使に同時に対峙し、大きな葛藤を経験する生涯が訪れる。

現在は、霊的なものと物質的なものが衝突し、人類そのものが戦場になっている。そうして、弟子が正しい欲求を抱くようになり、正しい方向に向けて本当に努力したとき、解放を要求する瞬間がやってくる。恐れを抱くことなく揺らがずにいられるとき、まさしく臨在自身からの必然的に応答があるであろう。光と愛と力が顕現し、ほとばしり出でるだろう。

人類にとっても、「悪を終わらせ、より良い真の生活を送れるようにしなければならない」という一丸となった意図を抱く。緊張と困難が最も大きくなった瞬間に、要求が発せられ、応答が寄せられる。アバターが現れ、光が流入し、道が明らかになる。日常生活が営まれる外界と霊的なリアリティが支配内界を融合できるようになり、愛と光が新たに流入することが可能になる。

人類は今日、いたるところで来るべき力を待っている。アバターが向かっているのが感じられている、らしい。

行いを伴わない信仰が死んだものであるのと同じように、行動を伴わない要求は役に立たない。アバターの出現は五重の鎖つまりエネルギーの糸によって起こらなければならない。

それは、
・人々の集中した意志
・世界の弟子や熱誠家たちの一丸となった意図
・弟子や熱誠家たちの欲求
・アバターの道を切り開く仕事への積極的な参加
・完全な非利己性
である。


「すべてのアバターが到来する源と人類の間に、愛のハイラーキーが経ち、キリストとその弟子たちが立ち、知恵の大師方が立っている。人類がこの時期に、敷居の住者に打ち勝ち、臨在の天使に近づくのを手助けするという一つの途方ない努力のために彼らは全員団結している。そのためにはより大きな助力が必要であるが、人類とハイラーキーが一つに融合した努力を行う中で、一丸となった意図をもってそうした援助を祈願し、また期待するとき、このような助力は得られるであろう。」(p380‐381)




# by phytobalance | 2020-10-11 14:12 | AB ハイラーキーの出現

ハイラーキーの出現 第2章 p352-p363

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『ハイラーキーの出現』輪読第28回

第二章 世界の全般的な状況

大祈願 第二スタンザ

前回から大祈願第二スタンザの第一節の解説だった。今回は、第二節と三節の解説。



人々の魂よ、光に目覚めたまえ、
そして、彼らが一致団結しますように。
主よ、宣言を発したまえ。
苦悩の終焉が訪れたと。
来たりたまえ、力強き方よ。
救いの力の奉仕の時がいま訪れた。
かく広めたまえ、力強き方よ。

Let the souls of men awaken to the Light,
And may they stand with massed intent.
Let the fiat of the Lord go forth:
The end of woe has come!
Come forth, O Mighty One.
The hour of service of the Saving Force has now arrived.
Let it be spread abroad, O Mighty One.


第二節では、人類(人間の王国)と霊的ハイラーキー(神の王国)との関係性に触れている。
この二つが密接に整列し、関係し合ったとき、熱誠家個人の中で光がほとばしり、人の子ら全体からも光がほとばしる。

これは、世界の霊的な考え方をする人々、善意の人々、世界の弟子たちが「一丸となった意図」を抱いて立つことによって引き起こすことができるという。

願望的思考、期待、祈りに鼓舞されている人はとても多いが、人類の解放のために必要なものは必ず現れるに違いないという意図、挫けることのない不動の決意を動機にしている人はとても少ないのだそうだ。

「一丸となった意図」についてじっくり考え、意図と欲求を慎重に区別せよ、という。メンタル的な要求を集中させることによって、人類が条件を満たすとき、霊的な勢力から断言がもたらされる。


主よ、宣言を発したまえ。苦悩の終焉が訪れたと。

現在の邪悪な状況を終わらせるのは、共同での取り組みによってである。

解放の主方が発生され、聖所から騎手が表現されることで、ヨーロッパにおけるハイラーキーの代表として焦点化された力-文明の諸問題に関係しているラコッツィ大師-が、地上や戦場に降下するのを促進する。

1 解放の主方。マインドを正しく集中させている、世界の進歩した霊的な思考者たちがこの方々に声を届かせる。

2 白馬の騎手、つまり、聖所からの騎手。正しく感動するハートを持つ人々がこの方に声を届かせる。

3 文明の主であるラコッツィ大師。最初の二つのグループと共に、「一丸となった意図」を抱いて立つことのできるすべての人々がこの方に声をかける。


もし人類がこの三者を喚起するのに成功できるならば、一致団結した活動によって、この惑星の三つの偉大な霊的センターが整列し、正しく関係し合うようになる。それはこれまで一度も起こったことがないという。


そのとき

1 解放の主方は、神の意志が知られ、推進されるセンターからエネルギーを受け取り、それをハイラーキーに伝達する。

2 白馬の騎手はこのエネルギーを受け取り、それを表現するような行動を起こす。神の愛が表現されるセンターからの動機づけるエネルギーについても同じ。

3 再活性化し、刺激し、解放をもたらすこのフォースを正しく受け取ることができるよう、文明の主は、人類と呼ばれるセンターを刺激し、準備させる。


このようにして、神の意志神の愛神の知性は、人類の問題に関連において、地上で溶けあい融合する。その結果として条件が揃うことになり、人類に認知され支援された上で光の勢力が勝利することを通して悪の支配を終わらせ、戦争を終結させるエネルギーが始動する。


このような形で統合された三つのエネルギーには、秘教的に「救いの力」という名前が与えられている。人々は長い間、「神の愛がわたしたちのハートに注がれている」という聖パウロの言葉を使って祈ってきた。しかし、今日必要なのは、救済の具体的な形であり、「救いの力」が広まって私たちのマインドを捉え、その方向付けるセンターから統御を行うことなのだそうだ。

これを実現するためには、私たちの惑星上での神の表現の焦点になっている三つのセンターすべてが一致団結した努力を行わなければならない。そうすることは可能であるとのこと。



光と愛と力と死よ
来るべき方の目的を満たしたまえ。
救済しようという意志がここにある。
その働きを進めようという愛があまねく広まる。
真理を知る方々すべての活発な援助もまたここにある。
来たりたまえ、力強き方よ。
これらの三つを融合させたまえ。
偉大なる防護の壁を築きたまえ。
悪の支配はいま終わらなければならない。

Let Light and Love and Power and Death
Fulfil the purpose of the Coming One.
The Will to save is here,
The Love to carry forth the work is widely spread abroad.
The Active Aid of all who know the truth is also here.
Come forth, O Mighty One and blend these three.
Construct a great defending wall.
The rule of evil now must end.


最後の節では、この惑星規模の戦争を終わらせようと光の勢力に協力しているすべての人々を支援するために、人類がその役割を果たし、努力の一端を担う方法が示されている。

来たるべき方聖所からの騎手の目的を満たすためには、光と愛と知と死に祈願しないとならないとされている。

解放の過程における個人が果たす役割は、正しい協力正しい準備正しい理解を生み出すために、魂の中にある四つの力を喚起し活用することである。それは本来高位我だけに備わっている力であるという。


:新しいヴィジョンを見るために、すべての人に必要なもの。これは全く新しいヴィジョンであり、接触した時にそれを認知するためには、自分の中にあるすべての光と鍛えられた洞察力が必要。

これは、情緒や感傷ではなく、感情にも関係がない。全人類にとって最善のこと、グループにとって最善のこと、個人的にどのような代償を払ってでも、最大限の犠牲を捧げて行おうという断固たる決意のこと。

平和は私たちの人種や時代の目標ではないという。幸福と平和は正しい人間関係が存在するとき訪れる。現代は、正しい人間関係の確立を知的に推進するという目標を視野にいれて、活動を着実に成長させていく周期である。そうした活動や激しい変化は、平和として通常理解されているものとは相容れない。愛は、物質の均衡や物質的な環境を乱すことが多いため、いわゆる平和に逆行することもある。

:大計画を知り、大計画の進展のために働く能力のこと。利己的な目的に転用することなく、この危急の時に人間の魂から喚起されるべきもの。

偉大で活動的なエネルギーの出現と消滅を支配する周期の法則というものがある。そのエネルギーは、顕現したり顕現から外れる過程で神の目的を成就していくが、その衝撃を受ける形態の特質によって制約を受けて不利を被ることもある。これに対して、非利己的な「選ばれた人たちが」その力を行使し、介入することができる。

:これは「放棄する力」を指す。肉体や形態の死ではない。それは相対的に重要ではないからである。新しい理想・文明、新しい形の生活・教育・宗教・統治へ移行しつつあるが、それを阻止することはできない。しかし、古い形に固執する人々が、それを妨げ、移行を遅らせている。霊的な柔軟性、つまり、それまで抱いていたすべての概念や理想を進んで手放そうという姿勢が必要。人類に対する真の持続的な愛が生活の動機になっていれば、難なく、安心して、結果を恐れずにそれらを放棄することができる。


意志・愛・活動という三つのセンターのエネルギーも私たちになじみ深いものになりつつあり、それらは統合されて、その輝かしい関係は一層深まろうとしている。来るべき方に対して、この三つの力を地上で融合して物質界で表現するのを助け、人間王国の力を彼が人類救済のために携えてくる力と結合していかなくてはならない。

現在、内的な力と外的な力との完全な協力が切実に必要とされているが、こうした協力が実現するのは、悲しむ人々、苦しむ人々、抑圧されている人々への奉仕に捧げなければならないものを、人類が全て与えつくし、解放をもたらそうと活発かつ知的に働いた時だけである。

例えば、大祈願を唱えることと並行して、何らかの明確な奉仕を物質界で行うことによって光の勢力を建設的に支援しなければならない。解放の主方からの新しいエネルギーを降下させ、解放の主方が地上で活動するのを可能にできるのは人類だけである。


偉大なる防護の壁を築きたまえ

これは、「これ以上進ませない」という意味であるが、弟子や善意の人々が、それ相応の役割を果たすならば、悪の表現の効力や侵略者の力は限界に達するとのこと。霊的なエネルギーでできた難攻不落の壁を打ち立て、人類の敵を完全に狼狽させることができる。


善意の「一丸となった意図」がメンタル界から引き下ろされ、低位我である願望に左右されることがなければ、善意は物質界で活発に表現され、目に見える行為として現われるようになる。その結果、三つのレベル全てで真に調整され、統合され、統一体として機能できる人々は、祈願、祈り、正義のために必要な戦いといった手段を用いて活動するようになる。これは物質の優位を永遠に終わらせることを意味する。侵略、貪欲、残虐行為の勢力が追い返されるとき、それは利己的な欲求非利己的な愛と犠牲によって征服されることを意味するであろう。


人類自身の運命を決定するのは人類である。人類は進むべき道を自由に選択でき、人類の選択についての責任の大部分は、人類家族の中でより多くの指導を受けている人々やある程度のヴィジョンを得ている人々の肩にかかっている。


「新しい大祈願についてのこうした考えを元に、内省的な意識に奥でこうしたアイディアを練り上げて欲しい。ダイナミックな意図を抱いて、本当に理解しながら、大祈願を頻繁に使用して欲しい。そうすることで、侵略勢力を元の場所に追いやって憎悪と恐怖による支配を終わらせようと務めている外界と内界にいる人々に、-大祈願を使用し、人類への愛を抱き、光の勢力の側で活動することによって-協力して欲しい。」(p363)




# by phytobalance | 2020-10-05 15:54 | AB ハイラーキーの出現

ハイラーキーの出現 第2章 p343-p352

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『ハイラーキーの出現』輪読第27回

第二章 世界の全般的な状況

大祈願 第二スタンザ

前回は、聖なる介入の方法が述べられていた。最後の方は、強いヴィジョンをしっかり持ち、強い欲求や要望を持って祈る力を信ぜよ!という感じだった。

いよいよ第二スタンザの解説に入る。



第二スタンザは3つの節に分かれている。それぞれの内容は以下の通り。

1.正しい要望が正しい時期にだされたときに援助しようと待機している霊的な生命が他からなるグループについて

2.人類とその反応について、その2つのグループの相互作用の可能性

3.方法と結果


では最初の節から。

解放の主方よ、来たりたまえ。
主方よ、人の子らに援助をもたらしたまえ。
騎手よ、聖所から来たりたまえ。
来たりて、救いをもたらしため。
来たりたまえ、力強き方よ。

Let the Lords of Liberation issue forth.
Let Them bring succour to the sons of men.
Let the Rider from the secret Place come forth,
And coming, save.
Come forth, O Mighty One.


解放の主方よ、来たりたまえ。人の子らに援助をもたらしたまえ。

解放の主方とは、人類を解放と自由へ導くアイディアの端緒となる生命の源を指している。3名いるとのことなのだが、そのうち1名が、地球や人類により近いところにいるとのこと。

人間の生活を支配し、文明を勃興させるためのあらゆるアイディアは、このように何人かの偉大な生命方に端を発している。アイディアは、以下のようにして、人間の理想や思考となる。

・解放の主方が音打ち鳴らし、特質を放射し、それらが広範囲に及ぶ
・地上にいる人の中で最も進歩した人々が影響を受ける
・影響を受けた人々は、その感知したアイディアを自分のものにし、概念を系統立てて、同時代の思考者たちに慣れ親しませる
・解放と自由への根本的な衝動がゆっくりと確実に人類の努力を支配する
そして、
・個人の自由と解放のための苦闘となる
・徐々に人間の思考を形作る
・より偉大な理想が形成される


啓発された意識が人類に向けられるたびに、人類の側でも相応の移行や動きが起こる。それは、人類が理想をより行為の表現レベルに引き上げる用意ができていなければ、解放の主方は動きを起こすことができないからだそうだ。

祈りや要望や祈願だけでは解放の主方を動かすことはできない。理念を持ってフランスが「自由、平等、博愛」を掲げるという行動を起こし、全世界が注目を集めるに至ったということは、大きな意味がある。不幸を前に当惑していた人たちも、人類が直面している危険に焦点が当てることができるようになったからであるという。

大祈願が効果的に使用されるかどうかは、

「真の祈りや祈願の助けを借りたいと思う人の霊的な発達段階によって決まる・・・」(p346)

とのこと。

すべての偉大な生命は、崇拝、憧れる力、畏怖の念を望んではいない。なぜなら、それらは感情に基づいているからである。こうした生命方に接触できるのは奉仕を懇願する新の奉仕者だけである、と言う。

従って、世界奉仕者たちが呼び掛けることによって、解放の主方に声を届かせることができる。



騎手よ、聖所から来たりたまえ。来たりて、救いをもたらしため。来たりたまえ、力強き方よ。

騎手とは、私たちの人類の一員である。しかし、運命づけられた目的地に既に到達していて、秘められた啓示の場に長らく留まっており、再び時が巡ってきて、自分の民を大勝利に導くために出ていくことができるようになるまで待ち続けてきた方であるという。解放の主方同様、世界救世主の道を歩んでいる方である。

生命方は、人類が状況を理解した上で感応し受容できるようになった時、段階的な解放や啓示をもたらすために、神の意志が溶け込み管理されている最高の霊的センター(シャンバラ)を経由して到来する。

多くの人々が集中したマインドによる一丸となった意図を通せば、生命方に声を届かせることができる。

騎手には、意識を十分に高く引き上げることができれば、熱誠家個人でも声を届かせることができるのだそうだが、騎手は、神の愛が分配されrために保持されているセンター(ハイラーキー)から到来するという。

人類(人間センター)が、真の愛に波長を合わせ、すべての人と同一化し、聖なる愛に対して自由に反応することができるようになったとき、この騎手は到来する。

人類を手助けできるこれらの方々がいるシャンバラとハイラーキーのセンターに声を届かせるには、集中したマインドと熱情に満ちた思いやりのあるハートになっていなくてはならない。

そして、三つのセンター、人類、惑星の霊的ハイラーキー、シャンバラ(神の意志が秘められているところ)が整列し、互いに連結する時、3つのセンターすべての直接的な関係が確立され、解放をもたらすフォースが流入する直接的な経路が確立される。

これが起こったのは人類史上で一回しかないという。



理想についての人類の解釈も、新しいより適切な解釈にとってかわられるよう破棄されなければならない、とある。自由、平等、博愛の意味についての解説が続く。

「自由(liberty)」とは、自主的に重農し、進んで取り組む、そして防壁としての働きをする責任感に動機づけられた、正しい人間関係についての認識、であるそうだ。

しかし、大衆は、この魂や両親の自由(liberty)と、低位性質の赴くままに行動するパーソナリティの自由(freedom)を混同している、という。

自由(liberty)は、神の意志の性質とシャンバラの特質に関する人間に与えられた最初の啓示なのだそうだ。


「平等」とは、正しい平衡感覚正しい自己尊重、霊的であるがごく自然な法則、再生誕の法則と原因結果の法則への理解に基づくとともに、未来の世紀においては、「すべての人は平等である」という断固とした声高な断言ではなく、魂の経験年数と達成した進化段階についての認識に基づくものになるであろう。


「博愛」とは、神の第三様相の一つの現れとして人類自身が寄与するものであり、正しい接触や接触への正しい反応を土台にするものである。


このようにして、神聖な起源(平等)に基づき、神性の自由な真の表現(自由)につながる同胞愛という人類の真のライフテーマが徐々に発展していくであろう、とされている。


「こうした考えを心に抱くならば、新しい大祈願のこの最初の節はおそらく、ますます重要性を帯びてくるであろう。その結果として、あなた方は、正しい行動へと鼓舞することで救済をもたらすことができるかt型に知的に祈願すると共に、正しいリーダーシップを通して事態を収拾できる方を喚起することが可能になるであろう。」(p351)


白馬の騎手が物質界に全く姿を現さないこともありうる。

といいつつも、彼が行使する影響力や彼が解放の主方から伝導するエネルギーは必ずや強力に感じられ、人類の反応をすぐさま喚起するであろう、とのこと。


「彼が「空」からやってくるというのは新薬聖書の有名な予言であり、それによって「すべての人の目が彼を仰ぎ見る」(ヨハネの黙示録・第1章7節)ことができるようになる。」(p351)


この言葉は、これが書かれた二千年前より意味を持つのだそうだ。なぜなら、この世界紛争は際立って空中戦だからである、という。

大祈願を使用する人々はこれを心に留めておかないと、救済者がやってきたときに彼を見て認知できないかもしれないから、と大師。そして、それは以前に起こったことなのだという。

以前というのは、イエス・キリストを救済者であることを認知できなかった、という意味である。


白馬の騎手は、空からやってくる?

空に注意!



# by phytobalance | 2020-09-29 16:46 | AB ハイラーキーの出現

ハイラーキーの出現 第2章 p333-p343

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『ハイラーキーの出現』輪読第26回

第二章 世界の全般的な状況


前回は、大師が私たちに検討して欲しいことのひとつが「大祈願を唱える」ことなので、大祈願の説明に入っていきつつあったが、本題に入る前に、聖なる介入ができない理由である、互いに絡み合っている自然の法則自由意志カルマの説明だった。


今回は、聖なる介入の具体的な形についてだ。


余談だが、秘教の本が読みにくいひとつの理由は、それぞれの箇所の本題をストレートに簡潔に語ってくれないことだ。関連ある重要な捕捉情報なのだが、その捕捉情報自体が壮大で複雑だから、ついつい何について話していたのか本題を忘れてしまうのである。時に、とくとくと語っていたことが、本題とどう関係しているのかわからないこともある。ここでも、第二スタンザという節にもかかわらず、いきなり聖なる介入について20ページくらい続くのだ。しかも、聖なる介入の形から説明せずに、介入ができない理由から説明している。読んでいて迷子になりやすい。



大祈願 第二スタンザ
1940年9月


闇の勢力がこれまで大きな成功を収めてきた理由は、物質的なものの力と物質的なものに対する掌握力と、物質界において焦点を分散させなかったことである。

光の勢力に味方する人々が、同じくらい明瞭に目標を捉え、同じように逸し乱れずに団結する時、発生するフォースと物質界に放出されるパワーは並外れたものになり、人類の解放が速やかに実現するという。

目標や目的が真に統合され、メンタル界でのヴィジョン、情緒界での確固とした変わることのない欲求、物質界での実際的な活動への献身が統一されたとき、諸国のすべての民を平和へと導く聖なる体現者が現れる。これは聖なる介入のひとつの方法である。

また、破壊によって侵略行為を終わらせる天変地異も聖なる介入の方法のひとつである。ノアの箱舟の洪水がその例だ。

聖なる体現者と自然界の大変動のどちらの方法がとられるかは、人類が自由意志と理解力を発揮するかによるため、人類自身が決定するものだという。光の勢力のもとに結集できなければ、「火のような試練」は避けがたいかもしれない、とある。


・・・こう言われると、新型コロナも、現在燃え続けている北米西海岸火災も、人類が選択した結果の聖なる介入なのかもしれない。確かにそうだ。自然を顧みず、破壊し、汚染してきたのは人類のチョイスだ。


さらに、眠れる軍勢が霊的な勢力への助力のために喚起される方法、また、聖なる存在がオーバーシャドーし、人を驚くべき行動へと刺激し、力強い鼓舞されたリーダーとなるのも聖なる介入法である。後者は、モーゼや、武人であったアクバル、レオナルド・ダ・ヴィンチなどがその例である。


これらが、聖なる介入の形だが、以下の通り。

1. 聖なる体現者
2. 自然界の大変動
3. まどろむ存在者の喚起
4. インスピレーションを受けたリーダーシップの出現


さらにもう一つの介入法は、私たちの惑星外の遠くに源を置く並外れた神聖な表現力や力を持つ生命の方の出現である。膨大な数の人々の一丸となった霊的な目的だけが、地球を守る覆いを突き破り、この生命が他の源である遙か彼方の領域に達するほど十分に協力になることができ、十分遠くまで影響を及ぼすことができる。

しかし、これは、霊的ハイラーキーと人類からの要求を溶け合わせなければならず、決して簡単に達成できることではないらしい。

これが理由で、古い祈願文に由来する大祈願の第二スタンザがもたらされたという。これらの言葉を声に出した要求や断固とした信念として使用することができるのであれば、この種の神聖な活動が特定の線に沿って始まり、良い変化につながり、新しい天と新しい地が速やかに実現する可能性があるという。



聖なる接触を喚起すること自体が危険であり、混乱を招き、破壊的であることを覚えておいて欲しいと大師はいう。というのも、人々はまだそれほど高度で神聖な性質を持った生命が他や影響力に感応することに慣れていないからだという。

しかし、霊的に方向付けられた人々が現在の危機に正しく対処するならば、高度なエネルギーの一部が放出されるとともに、地球に接触できる実際の作用経路が確立される可能性があるらしい。

このことについて熟考し、マインドの狭小からくる硬直性や有限性によって神を限定しないようにしなさい、と大師は言う。



物質界の全ての表現が、第一に思考の結果として想念形態が形成され、じっと考えることによっていずれ磁場が生じ、その磁場が強力になり、次に欲求が入り込んでくる。欲求の作用が十分に進展した時に、最後にヴィジョンは物質界に凝結することになる。そのとき、物質的な活動や具体的な顕現方法が調整され、その想念形態は徐々に、万人に認知される現実として表現される。

人類史上何度も何度も、強い欲求や要望によってヴィジョンは形になり、夢は実現してきた。何度何度も、神は啓示を与え、使者や代理人を派遣し、人類を助け導いてきた。こうしたことが起こるのは、要望が十分に声に出され、要求が高い天に届くほど叫ばれた時だけであるが、応答がなかったことはこれまで一度もない、という。


人々のハートから発せられる要望、祈願や祈りがもたらす正しい結果になるならば、物質的な利己性や欲深さに満ちたパーソナリティーの意志と、全人類を助けることを願う非利己的な意志は拮抗することになる。低位我の意志と真我つまり魂の意志が衝突し、人類はどちらか一方に自らの影響を及ぼすことになるらしい。

大師は「人類がどちらか一方に影響を及ぼす」と言う時、思考の力や人々がメンタル・レベルでの仕事と呼ぶ者だけを言っているのではないそうだ。メンタル的にも、情緒的にも、非常に力強く肉体的にも働く一人の人間のまるごとの意識的な活動のことを言っているとのこと。

つまり、統合されたパーソナリティーになっている人々だけ、低位我の意志魂の意志のどちらか一方に影響を及ぼすことになるというわけだ。

メンタル的にしか働かない人々、つまり、座って愛の想念を世界に放ち、邪悪な人々を善い方向に向かわせていると信じ、自分の理想論の美しさに溺れている人々は、現実には自分以外の誰の役にも立っていない。

なぜなら、愛とは本質的に非人格的な力つまりエネルギーであり、その効果は、そのエネルギーが接触し、影響を及ぼす形態のタイプにより異なってくるからである。

つまり、利己的で物質主義的な性質を持ったものに注がれると、愛は欲望を肥大させ、一層貪欲な侵略行為を促進するだけであり、低位性質を助長し、真の愛の表現を歪曲し、邪悪な活動を増大させるからである。

非利己的で純粋で私心のないものに注がれると、愛はリアリティと真の愛を育てる。


善意を持っているが、オカルト的には無知な奉仕者は、こうした点を覚えておくべきである。




# by phytobalance | 2020-09-14 22:49 | AB ハイラーキーの出現

新しい時代の教育 #1

アリス・ベイリー『新しい時代の教育』の解説講座が始まった!

と、言っても、年間講座ではなく4回の連続講座。

と、言うのも、この書籍、取り扱い書店では全て在庫切れ。
アマゾンでは、30,000円以上の値がついていた。


久々に新しいアリス・ベイリーの書籍の講座だからな、という流れで、さして強い気持ちもなく申し込んだのだが、書籍が手に入らないとなると、ちょっとプレミアム感。

実は、神尾学先生がこんなに丁寧に内容を説明している動画を見てなかった!
https://aquarius-g.com/2020/07/11/esotericscience-202009ed/



新しい時代の教育 #1_f0053026_16263997.jpg
さて、その第1回は、“アリス・ベイリーと『新しい時代の教育』“。


そもそも何が新しいのか?という問いかけ。


何が新しいのか?

それは、
1.真のアクエリアス時代の教育
2.真に「魂」を目指すアンタ―カラナの教育
3.初めての本格的な「エネルギー」教育
ということだそうだ。


「アクエリアス」とは、人類の新しい時代。既に突入していると言われているのだけど、とは言え、私たちの意識、生活や社会は、まだまだ「新しい時代」に見合うものになっていない。そのアクエリアス時代のあるべき教育を語っている、というのだ。


「アンタ―カラナ」とは、多くの人々がそのつながりを失っている魂とのつながりをつくる、いわば橋、のようなもの。つまり、新しい教育とは、魂としっかりつながって生きていくために、アンタ―カラナの教育をするというわけだ。


そして、「エネルギー教育」。いよいよ教育でもエネルギー的な見方をする時代にはいったということだろう。



これまで10年近く、神尾学先生や、この連続講座の主催赤坂溜池クリニック院長の降矢英成先生、他の皆さんたちとエネルギー医学について探求してきた。まだまだではあるけれど、人類は、エネルギー医学については、既に多くの知見を蓄積しつつある。次は教育にエネルギー的な見方が反映されなければならないのだろう。



講座では、『新しい時代の教育』のアリス・ベイリーの書籍シリーズの中での位置づけ、他の書籍との関係性も明確にされた。

アリス・ベイリーや秘教の定義、考え方も、「新しい時代の教育」に絡めながらいい感じに解説されていたので、秘教初めての方でもその世界観を感じるとることができたのではないかな。


本文からの解説では、

・マインドの3つの様相とこれからの教育の課題
・時代の移行期における起きるべき教育の変化
・従来の教育目的を超える必要性

などのトピックに分け、基礎的なところを学んだ。


「これまでの教育は主に記憶力の訓練であった。しかし、このような考えをやめなければならないということが今認識されようとしている。」

教育には、これまでの教育で行われてきた、記憶力の訓練や、情報を与えること、仮説の検証に基づく研究、楽しく人生を生きることなど以上のことがあるという。新しい時代の教育は、確実にそれら以上のものとならなくてはならない。


ふふ。なぜなら、新しい教育で、私たちは魂とつながり、さらに上からの啓示を下せるようになるのが目指すところ。

一生懸命本を読んで勉強しなくても、アイディアとして降りてくるのだ!!



私がもっとも興奮したのは、新しい時代の教育のカテゴリーだ。

初等教育:文明:1歳から14歳
中等教育:文化:15歳から21歳
高等教育:霊的:22歳から28歳

これだけ見れば、意味わからないし、そもそも28歳まで勉強するのか!と思ってしまうであろう。それぞれの教育の概要が簡単に説明されたが、その理解に基づけば、新しい教育は、望むところ!そんな教育を受けたい!と、気分が大いに盛り上がった。


魂につながるための教育。これが、普通の教育になれば、確かに世の中は大きく変わる。私たち人間の意識も変わる。

意識が先か、教育が先なのかはわからないが・・・


と、いうことで次回以降が楽しみ。

第2回:エネルギー身体論から考える個人の発達と教育
第3回:人類の成長と教育の変遷~アクエリアス時代の課程
第4回:真の直観を開く魂の技法~アンタ―カラナの科学

https://aquarius-g.com/2020/07/11/esotericscience-202009ed/





# by phytobalance | 2020-09-10 16:31 | アリス・ベイリー・AB