『ハイラーキーの出現』輪読第28回
第二章 世界の全般的な状況
大祈願 第二スタンザ
前回から大祈願第二スタンザの第一節の解説だった。今回は、第二節と三節の解説。
人々の魂よ、光に目覚めたまえ、
そして、彼らが一致団結しますように。
主よ、宣言を発したまえ。
苦悩の終焉が訪れたと。
来たりたまえ、力強き方よ。
救いの力の奉仕の時がいま訪れた。
かく広めたまえ、力強き方よ。
Let the souls of men awaken to the Light,
And may they stand with massed intent.
Let the fiat of the Lord go forth:
The end of woe has come!
Come forth, O Mighty One.
The hour of service of the Saving Force has now arrived.
Let it be spread abroad, O Mighty One.
第二節では、人類(人間の王国)と霊的ハイラーキー(神の王国)との関係性に触れている。
この二つが密接に整列し、関係し合ったとき、熱誠家個人の中で光がほとばしり、人の子ら全体からも光がほとばしる。
これは、世界の霊的な考え方をする人々、善意の人々、世界の弟子たちが「一丸となった意図」を抱いて立つことによって引き起こすことができるという。
願望的思考、期待、祈りに鼓舞されている人はとても多いが、人類の解放のために必要なものは必ず現れるに違いないという意図、挫けることのない不動の決意を動機にしている人はとても少ないのだそうだ。
「一丸となった意図」についてじっくり考え、意図と欲求を慎重に区別せよ、という。メンタル的な要求を集中させることによって、人類が条件を満たすとき、霊的な勢力から断言がもたらされる。
主よ、宣言を発したまえ。苦悩の終焉が訪れたと。
現在の邪悪な状況を終わらせるのは、共同での取り組みによってである。
解放の主方が発生され、聖所から騎手が表現されることで、ヨーロッパにおけるハイラーキーの代表として焦点化された力-文明の諸問題に関係しているラコッツィ大師-が、地上や戦場に降下するのを促進する。
1 解放の主方。マインドを正しく集中させている、世界の進歩した霊的な思考者たちがこの方々に声を届かせる。
2 白馬の騎手、つまり、聖所からの騎手。正しく感動するハートを持つ人々がこの方に声を届かせる。
3 文明の主であるラコッツィ大師。最初の二つのグループと共に、「一丸となった意図」を抱いて立つことのできるすべての人々がこの方に声をかける。
もし人類がこの三者を喚起するのに成功できるならば、一致団結した活動によって、この惑星の三つの偉大な霊的センターが整列し、正しく関係し合うようになる。それはこれまで一度も起こったことがないという。
そのとき
1 解放の主方は、神の意志が知られ、推進されるセンターからエネルギーを受け取り、それをハイラーキーに伝達する。
2 白馬の騎手はこのエネルギーを受け取り、それを表現するような行動を起こす。神の愛が表現されるセンターからの動機づけるエネルギーについても同じ。
3 再活性化し、刺激し、解放をもたらすこのフォースを正しく受け取ることができるよう、文明の主は、人類と呼ばれるセンターを刺激し、準備させる。
このようにして、神の意志、神の愛、神の知性は、人類の問題に関連において、地上で溶けあい融合する。その結果として条件が揃うことになり、人類に認知され支援された上で光の勢力が勝利することを通して悪の支配を終わらせ、戦争を終結させるエネルギーが始動する。
このような形で統合された三つのエネルギーには、秘教的に「救いの力」という名前が与えられている。人々は長い間、「神の愛がわたしたちのハートに注がれている」という聖パウロの言葉を使って祈ってきた。しかし、今日必要なのは、救済の具体的な形であり、「救いの力」が広まって私たちのマインドを捉え、その方向付けるセンターから統御を行うことなのだそうだ。
これを実現するためには、私たちの惑星上での神の表現の焦点になっている三つのセンターすべてが一致団結した努力を行わなければならない。そうすることは可能であるとのこと。
光と愛と力と死よ
来るべき方の目的を満たしたまえ。
救済しようという意志がここにある。
その働きを進めようという愛があまねく広まる。
真理を知る方々すべての活発な援助もまたここにある。
来たりたまえ、力強き方よ。
これらの三つを融合させたまえ。
偉大なる防護の壁を築きたまえ。
悪の支配はいま終わらなければならない。
Let Light and Love and Power and Death
Fulfil the purpose of the Coming One.
The Will to save is here,
The Love to carry forth the work is widely spread abroad.
The Active Aid of all who know the truth is also here.
Come forth, O Mighty One and blend these three.
Construct a great defending wall.
The rule of evil now must end.
最後の節では、この惑星規模の戦争を終わらせようと光の勢力に協力しているすべての人々を支援するために、人類がその役割を果たし、努力の一端を担う方法が示されている。
来たるべき方、聖所からの騎手の目的を満たすためには、光と愛と知と死に祈願しないとならないとされている。
解放の過程における個人が果たす役割は、正しい協力、正しい準備、正しい理解を生み出すために、魂の中にある四つの力を喚起し活用することである。それは本来高位我だけに備わっている力であるという。
光:新しいヴィジョンを見るために、すべての人に必要なもの。これは全く新しいヴィジョンであり、接触した時にそれを認知するためには、自分の中にあるすべての光と鍛えられた洞察力が必要。
愛:これは、情緒や感傷ではなく、感情にも関係がない。全人類にとって最善のこと、グループにとって最善のこと、個人的にどのような代償を払ってでも、最大限の犠牲を捧げて行おうという断固たる決意のこと。
平和は私たちの人種や時代の目標ではないという。幸福と平和は正しい人間関係が存在するとき訪れる。現代は、正しい人間関係の確立を知的に推進するという目標を視野にいれて、活動を着実に成長させていく周期である。そうした活動や激しい変化は、平和として通常理解されているものとは相容れない。愛は、物質の均衡や物質的な環境を乱すことが多いため、いわゆる平和に逆行することもある。
力:大計画を知り、大計画の進展のために働く能力のこと。利己的な目的に転用することなく、この危急の時に人間の魂から喚起されるべきもの。
偉大で活動的なエネルギーの出現と消滅を支配する周期の法則というものがある。そのエネルギーは、顕現したり顕現から外れる過程で神の目的を成就していくが、その衝撃を受ける形態の特質によって制約を受けて不利を被ることもある。これに対して、非利己的な「選ばれた人たちが」その力を行使し、介入することができる。
死:これは「放棄する力」を指す。肉体や形態の死ではない。それは相対的に重要ではないからである。新しい理想・文明、新しい形の生活・教育・宗教・統治へ移行しつつあるが、それを阻止することはできない。しかし、古い形に固執する人々が、それを妨げ、移行を遅らせている。霊的な柔軟性、つまり、それまで抱いていたすべての概念や理想を進んで手放そうという姿勢が必要。人類に対する真の持続的な愛が生活の動機になっていれば、難なく、安心して、結果を恐れずにそれらを放棄することができる。
意志・愛・活動という三つのセンターのエネルギーも私たちになじみ深いものになりつつあり、それらは統合されて、その輝かしい関係は一層深まろうとしている。来るべき方に対して、この三つの力を地上で融合して物質界で表現するのを助け、人間王国の力を彼が人類救済のために携えてくる力と結合していかなくてはならない。
現在、内的な力と外的な力との完全な協力が切実に必要とされているが、こうした協力が実現するのは、悲しむ人々、苦しむ人々、抑圧されている人々への奉仕に捧げなければならないものを、人類が全て与えつくし、解放をもたらそうと活発かつ知的に働いた時だけである。
例えば、大祈願を唱えることと並行して、何らかの明確な奉仕を物質界で行うことによって光の勢力を建設的に支援しなければならない。解放の主方からの新しいエネルギーを降下させ、解放の主方が地上で活動するのを可能にできるのは人類だけである。
偉大なる防護の壁を築きたまえ
これは、「これ以上進ませない」という意味であるが、弟子や善意の人々が、それ相応の役割を果たすならば、悪の表現の効力や侵略者の力は限界に達するとのこと。霊的なエネルギーでできた難攻不落の壁を打ち立て、人類の敵を完全に狼狽させることができる。
善意の「一丸となった意図」がメンタル界から引き下ろされ、低位我である願望に左右されることがなければ、善意は物質界で活発に表現され、目に見える行為として現われるようになる。その結果、三つのレベル全てで真に調整され、統合され、統一体として機能できる人々は、祈願、祈り、正義のために必要な戦いといった手段を用いて活動するようになる。これは物質の優位を永遠に終わらせることを意味する。侵略、貪欲、残虐行為の勢力が追い返されるとき、それは利己的な欲求が非利己的な愛と犠牲によって征服されることを意味するであろう。
人類自身の運命を決定するのは人類である。人類は進むべき道を自由に選択でき、人類の選択についての責任の大部分は、人類家族の中でより多くの指導を受けている人々やある程度のヴィジョンを得ている人々の肩にかかっている。
「新しい大祈願についてのこうした考えを元に、内省的な意識に奥でこうしたアイディアを練り上げて欲しい。ダイナミックな意図を抱いて、本当に理解しながら、大祈願を頻繁に使用して欲しい。そうすることで、侵略勢力を元の場所に追いやって憎悪と恐怖による支配を終わらせようと務めている外界と内界にいる人々に、-大祈願を使用し、人類への愛を抱き、光の勢力の側で活動することによって-協力して欲しい。」(p363)